第三章 焼き肉を囲って

 勤に急遽呼び出されたあの件から暫く。オレの携帯電話にメールが届いた。誰かと思ったらリンからで、 本文に目を通して驚いた。

「やった、まじでやった!」

 メールには、先日リンを助けたと言う事と、彼の後輩のファイルを探す手伝いをしたお礼に、 食事をご馳走するので一緒にどうか。とある。それと、もし一緒に行けるのであれば、 どんなものが良いか要望を聞かせてて欲しいとも書いてあった。

「え~、あんま豪華なのおねだりしちゃっても悪いし、でも、 ちょっと奮発した感じのお願いしちゃっても良いかな~?

んんん、どうしよっかな~」

 こたつに入って転がりながら携帯の画面を見る。

 ふと、ジョルジュの顔が浮かんだ。

 オレは神妙な顔で起き上がり、返信メールにこう打ち込む。

『ドレスコードの無いところで』

 そう、無いとは思うけれども、万が一高級レストランをセッティングされてしまうと、着ていく服が無いのだ。

 これ、勤の所にも行ってるのだろうか。あいつはわりかしきっちりした服も持ってるから、 ドレスコードクリア出来るんだろうな……

 

 そして、リンとの待ち合わせ当日。まずは早めの時間に勤と落ち合って、 それからリン達と合流する予定だ。リン『達』と言ったのは、 今回オレ達に食事をご馳走すると言い出したのはリンの後輩と言う事で、先輩らしく後輩を引率してくるとのことだった。

 勤とは秋葉原で落ち合って、それから電車に乗ってリンとの待ち合わせ場所の水道橋に向かう。 秋葉原から水道橋はすぐそこだ。ものの数分で到着した。

 駅の改札で待っているとリンからメールが来ているけれども……と思いながら改札前を見渡すと、 見覚えの有る顔が手を振っていた。

「イツキ、勤、この前はどーも!」

 そう声を掛けてくるリンの所へ行くと、隣に立っている地味な見た目の男がオレ達に深々と頭を下げる。

「あなた達がイツキさんと勤さんですか。

先日はリン先輩と僕のファイルがお世話になりました。改めてお礼申し上げます」

「いえいえ、あれはたまたまなのでそんなお気になさらず」

「むしろ、今日ご馳走になっちゃうオレ達の方がお礼言わなきゃでは?」

 顔を上げて眼鏡の位置を直している彼に、勤とオレとで返事を返す。照れているのか、 短くまとめた黒い髪を手で整えてから彼が言う。

「お気遣いありがとうございます。

それでは、本日はお店に予約を入れていますのでご案内いたします」

 そそくさとオレ達を誘導する彼に歩いてついていく。その道中で、自己紹介を聞いた。

 彼の名前は小金井奏。オレはその名前にも聞き覚えがあった。今期のアニメに出演している声優というのもあるけれど、 ここ近年、アニメの主題歌の歌手としてもちょくちょく名前を聞く人物だ。

 なるほど、それで楽譜のファイルか、と納得していると、 あっという間に目的の店に着いた。案内されたのは焼き肉のチェーン店。随分と上品な立ち振る舞いの奏が、 こう言う店を選んだという事に驚きを隠せないけれど、これは勤のリクエストなんだろうか。

 店内に入り席に通されて、全員が席に着いたところで奏が言った。

「今回このお店をセレクトした理由をお話しましょう。

先日、先輩からリクエストをお訊ねした際に、『ドレスコードの無いところ』というご要望のみを承ったため、 完全に先輩の趣味で選ばせていただきました」

「なんかすいません」

「なんかごめん」

 そっか、こうやってなんかリクエストする時はある程度しっかり要望伝えた方が良いのか。まぁ確かに、 オレだって『ドレスコードの無い店』って言われたら選択肢が多すぎて困る未来しか見えない。

 オレと勤が恐縮していると、リンは早速メニューを広げている。

「という訳で、なに注文するか決めよっか。

大丈夫、支払いは全部奏がしてくれるって」

 あまりにも自信満々に言うリンを見て、勤が心配そうな視線を奏に送る。すると、奏は不敵に笑ってこう答えた。

「カード一括払いで行くのでご安心ください」

「やだカッコイイ……抱いて……」

 思わずオレが手で顔を覆ってそう呟くと、勤はそれを無視してメニューを見ている。そんな中、 リンが妙に良い笑顔で奏に訊ねた。

「黒毛和牛とか頼んだらさすがにおこ?」

「構いませんよ」

「やだカッコイイ……抱いて……」

 めっちゃ気前が良い。黒毛和牛が許されるならと、 オレも遠慮無く食べたい物を選んでいく。ホルモンとタンとカルビと……

 そんな感じで全員が選び終わり、店員を呼んで注文を伝えた。

 

 それから少し経って。注文した肉も程良く焼けてきて、白いごはんがよく進む。

「イツキ、それ焼けてるから取って。

あ、リンさんはそれ焦げそうだからひっくり返して」

 ごはんを口に運びつつ、勤の指揮の下焼き肉を管理してるのだけど、 そう言えばこいつ焼き肉奉行だったんだわ、忘れてた。

 オレとリンが忙しなく焼き肉の世話をしている側で、奏だけはマイペースにゆっくりと食事を進めている。

「あの、奏、もしかしてぼくちゃんが黒毛和牛頼んじゃったからお会計気にしてる? なんかごめんね?」

 ごめんと言いながらも次々に肉を金網に載せるリンに、奏は春菊のサラダを食べながら、口元を手で隠して返す。

「いえ、僕はただ単にサラダが好きなだけですので。皆さん気にせず召し上がってください。

大丈夫です。僕もこの後お肉を頼みますから」

 そう、奏はまだサラダとごはんしか注文していなくて、ああは言った物の金銭的につらいのかなと思っていたのだけど、 どうやら単純に好みの問題だったようだ。

 焼けた肉を取り皿の上に乗せていく勤が、口の中の物を飲み込んでからこう言った。

「まぁ、何にせよ、ご馳走してくれるって事だし、下手に恐縮しながら食べるよりは楽しんで食べた方がいいだろ」

「せやな」

 やっぱ勤もお気遣いできるなぁ。オレはそんなところまで考えが及ばなかった。

 勤の言葉に、奏もまた不敵な笑みを浮かべて言う。

「勤さんのおっしゃる通りです。素直に好意と感謝を受け取っていただけたほうが、僕としてもありがたいです」

「やだイケメン……」

「抱いて……」

 リンとオレとでよくわからない感謝の仕方をしながら、追加注文をするために店員を呼ぶ。先程の言葉通り、 今度は奏も肉を注文していた。

 

 ある程度お腹も満たされ、希望者がデザートを食べ始めた頃、こんな話になった。

「そう言えば、奏さんも声優って事だけど、やっぱこの仕事始めて長いんです?」

 アニメを普段観ない勤がそう訊ねると、奏は困ったような顔をして答える。

「実は、よくわからないんです」

「わからない?」

 どう言うことだろう。説明を求めるようにリンに視線を送ると、リンも困惑した表情だ。

「ぼくちゃんもよくわからないのー。

なんか、ファーストコンタクトはアニメの主題歌とかそんなんだった気がするんだけど、 気がついたらスタジオで隣にいたんだよね」

「そんなうすらぼんやり?」

 思わずそう口をついて出る。最近名前をよく聞く声優が、 そんな静かにフェードインしているとは思っていなかったので驚いた。

 上手く説明できないのがもどかしいのだろう、奏は金網で炙っていたメロンパンにアイスを挟み、 申し訳なさそうな顔をしている。

 それを見かねたのか、勤が話題を変えた。

「なるほどな。でも、こんな風に仲が良いって、リンさんと奏さんって歳が近いのかな?」

 確かにそれは気になった。先輩と呼んでいるからと言って、 リンが年上とは限らない。たまたま先に声優業についていただけという可能性もあるのだ。

 と思っていたら、リンが自慢げに答える。

「僕の方が五つ年上なんだよね」

「え?」

 勤が真顔になってる。わかる。オレから見ても奏の方が年上に見えるもん。奏も、メロンパンから口を離して言う。

「そうなんです。よく、僕の方が年上に間違われるのですけれど」

「まー間違うよねー。あっはっは」

 リンも自覚してるんだ。

 間違われる原因が、リンの見た目のせいなのか、奏の素振りのせいなのかはわからなかったけれど、 取り敢えず勤とオレはごちそうさまですと言って置いた。

 

†next?†