三人が無事帰宅し、匠は今日買った物の整理を、悠希は鎌谷の晩ご飯の準備を始めた。
「鎌谷くん、自分でご飯の準備しないの?」
ビーズをサイズ毎に纏めながら匠が問うと、 鎌谷はこたつでテレビショッピングを眺めながら答える。
「俺犬だから缶開けられねーし。」
それを聞いて匠がムッとする。
「お兄ちゃんのお金なのにそんな贅沢品食べてるの?乾燥フードで良いじゃん。
それなら自分で準備できるし。」
「相変わらずブラコン治ってねーのな、匠ちゃんは。」
「なによ~!」
「まあまあ二人とも喧嘩しないで。
僕は食費一食分しか掛からないから…殆ど。」
皿に盛りつけられた犬缶と、自分用の栄養缶を両手に持った悠希に匠が訊ねる。
「なんでそんなに食費掛かってないの?」
それは至極当然の疑問だ。
皿をこたつの上に置き、栄養缶を振りながら悠希が説明する。
「障害者自立支援法って言うのを使ってて、通院費と薬代が補助されるんだよ。
それで、あんまり食欲もないし、ご飯作る気力もないし、 このままじゃ餓死しちゃうっていう話を先生にしたら、 この栄養缶を一日二回分ずつ処方してくれたんだ。」
「…?
その不味そうな栄養缶、薬扱いなの?」
「そうだよ。薬だと思わないと最初の内は絶対飲めないし。」
「そんな酷い味なんだ…」
匠は信じられないと言ったような顔で、栄養缶を飲み干す悠希を見つめ、はっとする。
「だからってお兄ちゃんの分の食費を鎌谷くんに全部まわさなくっても良いじゃない!」
やはり此処はブラコンの妹心、兄には美味しい物を食べて欲しいらしい。
「まあまあ…
ぶっちゃけ鎌谷くんは食費と煙草代以外お金掛からないから、そんなに気にしなくても…」
「…煙草!
そう言えば煙草までお兄ちゃんにたかって!
何してんのよ!」
匠を何とか宥めようとした悠希の言葉も火に油を注ぐばかり。
おろおろする兄とかりかりする妹を横目で見ながら、鎌谷は煙草に火を点けた。
荷物の片づけも一段落し、悠希がバスタオルを準備し始める。
「匠、先にシャワー浴びる?」
「あ、お兄ちゃん先で良いよ。」
「いや、僕、鎌谷くん洗うから、先に入ると浴槽が毛だらけになっちゃうんだよ。」
悠希の部屋はユニットバスが併設されていて、シャワーだけで済ませることは勿論、 お湯を張って暖まることもできる。
実はシャワーで全部済ませるよりも、 浴槽にお湯を貯めて有効活用した方が水道代もガス代も安く済むので、 悠希はもっぱら浴槽にお湯を張って使っているのだ。
正直鎌谷は悠希と一緒に入るのは気が進まないのだが、 『これ以上水道代がかかったら僕死んじゃう。』と悠希がしきりに言うので、 仕方なく一緒に入っている。
「匠ちゃん、俺と一緒に入る?」
「絶対嫌。」
偶には可愛い女の子と一緒に入りたいと、鎌谷が匠にそう訊ねたが即答で拒否。
そんな二人のやり取りを見て、悠希が苦笑いを漏らしながら匠に言う。
「今日は匠が居るから、お風呂スペシャルだよ~。」
台所から悠希の声と一緒に、良い香りが漂ってきた。
匠は疑問に思い、キッチンに立つ悠希の手元を覗き込む。
「お兄ちゃん、これ何?いい匂い!」
小鍋の中で細長く、細かい葉がクルクルと踊るのを見て、歓声を上げる。
「これはローズマリーって言うハーブの葉っぱだよ。
いい匂いだから濃く煮出してお風呂に入れようと思って。」
「すごい、ロマンチック!お姫様みたい。
わ~い、お兄ちゃん大好き!」
匠はこう言った悠希の細やかな気遣いが大好きだ。
それが高じてブラコンになっている訳なのだが。
悠希と匠は歳が十歳以上離れていて、悠希からすれば、 匠はまだ小さかった頃のイメージがとても強い。
故に、必要以上に過保護にしてしまう所がある。
それが匠のブラコンの原因と言えば原因なのだが、二人とも全く気づいていない。
そもそも匠は自分がブラコンだという事実を認めていない。
暫くローズマリーの入った鍋を煮立たせた後、ティーサーバーに茶漉しを填めて、汁を漉す。
その汁を、浴槽のお湯の中に注ぎ込み、悠希は匠に簡単な説明をした。
「あのボトルに入ってるのがボディーソープだから、あれをお湯の中に入れて泡風呂にしてね。
分量とかは適当で良いから。」
「泡風呂なんて凄い!
家じゃ絶対入れないよ~。」
「じゃあバスタオル此処に掛けておくね。」
悠希はタオル掛けにバスタオルを掛け、浴室から出ていった。
匠がお風呂に入っている間、鎌谷と悠希はテレビショッピングの番組を眺めていた。
バラエティ番組に興味が無い二人の、数少ない視聴番組。
普段から色々な物が放映されているこの番組で、何度か買い物をしたことも有る。
「お、これ良いな。」
鎌谷が目を細めて見つめる先には、『本格焼酎サーバー三九九〇円』という表示が出ている。
「鎌谷くん焼酎好きだもんね。」
「これが有ればわざわざお前に酌して貰わなくても飲めるぞ。」
「でも中に入れるのは僕でしょ。」
番組のキャストが使い方や性能をしきりに説明するのを見ていて、 鎌谷はだんだんうずううずして来た。
「うわ~、これ超欲しいな。寝かすとまろやかになるんだってよ。まろやか。」
「確かに今まで通りストレートで飲むよりは、 水割りにして寝かせて飲んでくれた方が経済的に助かるけど…」
「だろ?キャストの稲垣ねーさんに免じて一個買ってくれよ。」
尻尾を振り、キャストの名前まで出して悠希にねだる。
こうやって興味のある物に夢中になっている様は、他の犬と変わりがない。
珍しく可愛い素振りを見せる鎌谷に乗せられて、ついつい携帯電話に手を伸ばす悠希。
「しょうがないな~。」
「しょうがなくない!
お兄ちゃん、可愛い振りしてるからって鎌谷くんに乗せられちゃダメでしょ!」
浴室からタオルを巻いたままの匠が出てきて悠希の手を止める。
頭を拭いていた途中なのか、髪の毛が乱れたままだ。
それを見て悠希が慌てて言う。
「どうしたの!そんな格好じゃ風邪ひいちゃうよ、早くパジャマ着ないと。」
「だって、お兄ちゃんまた鎌谷くんに騙されそうになってるんだもん。気をつけてよね。」
キッと鎌谷を睨み付けてから、匠はキッチン兼廊下兼脱衣所に戻り、カーテンを閉める。
「ちっ。堅いこと言うなよな。」
折角買ってくれそうだった所を邪魔され、ふてくされた鎌谷は、その場に寝そべった。
匠がお風呂から上がった後、もう一度浴槽にお湯を張り、今度は悠希と鎌谷が入っている。
浸かっているお湯に頭を左右半分ずつ入れて、髪の毛を濡らす。
それからシャンプーで髪の毛を洗い、先程と同じ様にして泡を落とす。
髪が長いので絡まらないようにリンスをして、 洗い流さないまま顔を洗う為に、石鹸を手に取った。
悠希がそうしている間、鎌谷は浴槽の縁に前足を掛け、邪魔にならない様に立っている。
顔を洗った悠希は、垢擦りを手に取り立ち上がり、石鹸を付けて全身を擦り始めた。
あらかた体を洗い終わったら、泡だらけの体をお湯の中に沈めて泡を落とす。
そこまでした所で一度浴槽の栓を抜き、お湯を半分残した状態で、再び栓をした。
この残ったお湯で鎌谷を洗うのだ。
「鎌谷くん、洗うよ~。」
特に犬用シャンプーを使うという訳でもなく、 石鹸を手でしっかり泡立ててから鎌谷の全身をマッサージする。
これで案外綺麗になってしまうし、 洗われている本人もこれで納得しているのだから特に問題はない。
残ったお湯で鎌谷の泡を簡単に流してから、今度こそ完全に、浴槽の水を抜いた。
シャワーでお湯を出し、まず悠希が頭のリンスを洗い流し、体も簡単に流す。
その次に鎌谷の毛をしっかりと濯いだ後、 一旦シャワーを止めて鎌谷の毛を専用バスタオルでしっかりと拭く。
浴槽から出ても差し支えない程度になったら、鎌谷は浴槽から出て、 悠希が再びシャワーを使い、抜けた毛を流し、ついでに浴槽の掃除もしてしまう。
最期に悠希が全身を拭いて、浴室を出た。
脱衣所になっている場所は、普段仕切りのカーテンを開けっ放しにしているのだが、 今日は匠が居るのでそう言うわけにも行かない。
鎌谷が一足先に部屋へ行き、悠希は下着を付けて、簡単に浴衣を着る。
悠希は、普段着物で生活するのに慣れてしまって、近頃では寝るときも浴衣という有様。
しっかりと帯を締めてからカーテンを開け、匠に言った。
「出たよ~。
これからよく寝れるお茶淹れるから、待っててね。」
「ホント?楽しみ~。」
水を入れた鍋を火に掛け、一旦悠希は部屋に戻る。
冷蔵庫の上に置かれている袋から幾つもの薬を取り出し、一錠ずつ口に放り込む。
そのまま冷蔵庫の扉を開けて、ペットボトルに入っているお茶で飲み込んだ。
毎日飲んでいる安定剤と発作止め、それから睡眠薬だ。
悠希の主治医は余り薬を出さない方針なので、毎日夜寝る前の薬だけ飲めばいい。
薬を飲むのも面倒な悠希にとって、これはとても有り難い事だ。
「お兄ちゃん、最近調子どう?」
兄が薬を飲む姿を見て、不安になった匠が問う。
「前と比べると良いかなぁ。
薬も大分減ったし。」
匠は、生まれ付き発作持ちの悠希が、何度も倒れているのを昔から知っている。
だから、時々不安になるのだ。
台所から、お湯の沸く音が聞こえてくると、悠希はまたコンロの前に立つ。
ティースプーン何杯分かの白い花を沸騰したお湯に浮かべ、蓋をして蒸らす。
それから数分、蓋を開けて先程のローズマリーと同じ様にティーサーバを使って汁を漉し、 耐熱ガラスで出来たティーカップ二つに注ぎ込んだ。
「おまたせ。お茶入ったたよ。」
カップを一つ、こたつに入っている匠の前に置き、悠希もこたつに入る。
「これ何のお茶?」
甘い香りのお茶を一口飲んで、匠が訊ねた。
蜂蜜色の液体は、匠が初めて見る物なのだ。
悠希はお茶を飲みながら説明する。
「これはカモミールって言うハーブのお茶だよ。
リラックスできるお茶だから、寝る前に飲むと良いんだって。」
「そうなんだ。いい匂いだね。」
二人がそう話している間にも、鎌谷はうとうとし始めている。
それを見て悠希が思い出した様に言った。
「あ、もう一人分布団出さなきゃ。
匠は、悪いけどいつも僕が使ってる布団で寝てくれる?
僕掛け布団もう一枚出して台所で寝るから。」
「え~、折角だから一緒に寝ようよぉ。
良いでしょお兄ちゃん。」
別々に寝るのが嫌なのか、一緒に寝ようとねだる匠に、悠希はちょっと困った顔をする。
「良いけど…僕あんまり寝相良くないよ?」
「わ~い、やったぁ!」
悠希としてはちょっと複雑だが、二人一緒に寝る事になりそうだ。