何もない、ある日の昼下がり、家に引き篭もっていると誰かがチャイムを押した。
鎌谷に出て貰おうと思ったが、たまたま今は散歩中。家の中には悠希一人しか居ない。
仕方がないので自分で玄関を開けると、宅配の人というわけでも無さそうな、 見知らぬ人が笑顔で立っている。
「すいません、水質の調査に来たんですけど、お時間宜しいですか?」
「あ、はい。」
水質の調査員を台所に通し、悠希はその横に立つ。
水道から少し水を汲み、よく解らない機械で測定をしている所を何となく見ていると、 あっという間に調査は終わった。
「特に問題はないですね。」
「そうですか、有り難うございます。」
問題があると言われたらどうしよう。少しそう思っていた悠希は、 問題がないと言われて安心する。
だが、
「でも、この数値だとちょっと塩素の味が気になるかも知れませんね。
私どもの方で浄水器をお勧めしているのですが、如何ですか?」
「え?」
いきなり浄水器の話を出されて、悠希がたじろぐ。
「あの、大丈夫です。塩素の味は慣れているんで、大丈夫です。」
まさか訪問販売員だとは思わなかった。
今は散歩に出ている鎌谷に助けを求めたくなる。
「まあ、無理にとは言いませんので。
でも、折角なので少しお話でもどうですか?」
「え?あの、ちょっと…」
浄水器を勧めたかと思えば、今度は部屋の中に入り込んで来る。
これには流石に悠希も困るどころか恐怖を覚えた。
「あの、困るんですけど…」
悠希が泣きそうな声でそう言うと、販売員は当てはずれな答えを返してくる。
「そんな泣きそうにならないで下さいよ。
これは仏様の導きによる何かの縁です。
良かったらこれについてお話ししませんか?」
そう言って販売員が鞄から出したのは、『俺最教』と言う、 政治家との癒着が問題視されている宗教団体の本。
それを見た悠希は、とんでもない物に引っかかったと言う後悔の念と、 恐怖心で気分が悪くなった。
仕方がないので何も言わずに頓服の薬を袋から出して飲むと、販売員は目聡く、 薬局から出された薬袋に目を付ける。
「何処かお体でも悪いんですか?」
その問いに、悠希は圧迫感に耐えながら何とか答える。
「精神科の病院に掛かってますけど…」
「そうなんですか、でも、薬の頼ってばかりじゃ駄目ですよ。」
「え?」
薬に頼ってばかりではいけないのは判っている。
けれども、そう言った後の販売員の行動は悠希の想像を超えていた。
棚の上に置いてあった薬を全部、袋ごと取り上げ、自分の鞄の中にしまってしまったのだ。
「返して下さい!それがないと夜寝れないし、発作も起こるし、困るんです!」
余りの事に取り乱す悠希に、販売員は笑顔で言う。
「薬なんて無くっても大丈夫。
ちゃんとお経さえあげてれば病気なんてすぐ治りますよ。
じゃあこれは捨てておきますね。」
理解を超えた出来事に、竦み上がって何も言い返せない悠希。
勿論、薬を取り返せよう筈も無い。
その後暫く、販売員は一方的に話をして、悠希の薬を持ったまま帰っていった。
「ただいま~。」 夕暮れ時、鎌谷が散歩から帰ってきても、悠希は沈鬱な顔をしたままだ。
それを見た鎌谷が怪訝そうに訊ねる。
「おい、どうした。また何かあったのか?」
「薬…どうしよう…」
「は?薬がどうかしたのか?」
俯いたままの悠希が薬というので、鎌谷がいつも薬の置いてある棚の上を見る。
「あれ?薬無いけどしまったのか?」
鎌谷の問いに、悠希が俯いたまま答えた。
「持ってかれた…」
「はぁ?持ってかれたって誰にだよ。」
「俺最教の人が来て、持ってった…」
余りに理解を超えた出来事に、鎌谷の時が止まる。
「ああ、でも来週病院だから大丈夫だよ。」
ようやく悠希が顔を上げて言う。
「薬が無くても、多分大丈夫だよ。大丈夫…」
そう言った悠希の顔は、今にも泣き出しそうだった。