第八章 私のお姉ちゃん

「久しぶりだな新橋悠希!」

 悠希が秋葉原の電気屋で用事を済ませ、鎌谷と一緒に店を出ると、 目の前に赤いクラゲの女幹部が立ちはだかっていた。

「すいません、今日は戦闘員の皆さんが居ませんが、何か御用ですか?」

 駅に向かう人達からチラチラと見られ、恥ずかしい思いをしながらも、 悠希は女幹部に取り敢えず。といった感じで問いかける。

 すると、女幹部はこんな事を言った。

「安心しろ。今日はお前を連れて行こうというわけでは無いからな。

この私、青刀のココアの飲みに付き合って貰おう」

「未成年がお酒飲んじゃダメですよ?」

 ココアと名乗った女幹部に、悠希は心配そうに釘を刺す。

 すると、ココアはムッとした顔で答える。

「何を言う! 私はこれでも成人だ!

ちゃんと会社にも勤めているのだぞ!」

「お勤めなさってたんですね」

「会社に勤めてるのになんで赤いクラゲなんでやってるんだよ」

 痛いところを突かれたのか、ココアは鎌谷の顔をもみくちゃにしながら顔を真っ赤にしている。

 悪の女幹部に喋る犬。その組み合わせが奇っ怪で無いはずはなく、次第に人が集まってきた。

 このままでは大変な事になる。そう思った悠希は、ココアが言っていた連れて行くつもりは無いと言う言葉を信じ、 人混みを抜けようと、鎌谷とココアを連れて最近教えて貰った飲み屋へと向かった。

 

 二人と一匹が向かったのは、駅の近くにある個室の飲み屋。その飲み屋で出される酒は焼酎が多いのだが、 梅酒やサワーも一応あるので、甘い酒を好む悠希でも飲める物が有りそうだ。

「取り敢えず、飲み物決めましょうか」

 飲み物のメニューをテーブルの上に広げ、ページを捲っていく。

「よし、俺は芋焼酎だな」

「私も芋焼酎だ」

 鎌谷はともかくとして、ココアも見た目に寄らず強い酒を飲むのだなと思いながら、 悠希はサワーと梅酒のメニューを目で追う。

「僕は梅酒にしようかな」

 飲み物が決まったところで、店員を呼んで注文をする。すると、程なくして全員分の飲み物が揃った。

 早速芋焼酎をちびちびやっているココアに、悠希が訊ねる。

「ところで、急に飲みに付き合えだなんて、何か有ったんですか?」

 その問いに、ココアはグラスから口を離し、氷を揺らしながら答える。

「実は、私の姉が今度結婚する事になってな」

「そうなんですか、おめでとうございます」

 その姉も赤いクラゲなのか、それとも無関係なのか、その辺りの事はわからないが、 取り敢えず結婚自体はめでたい事なので、悠希はそう返した。

 すると、ココアはグラスを持っていない方の手でテーブルを叩きこんな事を言う。

「めでたい物か! もしかしたら相手に騙されているのかも知れないんだぞ!」

 姉妹でこのパターンの反応は初めてだ。そう思って内心焦る悠希に、ココアは尚も言葉を続ける。

「先日私の実家に姉の相手が挨拶に行ったそうなのだがな、どうにも信用できん。

両親は良い人だったと言っていたが、姉も両親も人を疑うと言う事を知らない。

ひどい目に遭わされたらどうするんだ!」

 どう返せばいいのかわからないままにちらりと鎌谷の方を見ると、鎌谷も頬杖を突いて呆れたような顔をしている。

 視線を泳がせて落ち着かない悠希の腕に肉球を押しつけ、鎌谷が口を開く。

「そうは言ってもよぉ。お前、そんな姉ちゃんの事が信用できないのか?」

「なんだと? お姉ちゃんが信用できないなんて一言も言っていないだろうが!」

 心なしか素の姿が透けるような発言をしているココアに、鎌谷は諭すようにこう言う。

「あのな、姉ちゃんを信用してるんだったら、その信用できる姉ちゃんが選んだ相手も信用してやれよ。

そこ疑うってのは、姉ちゃんを信用してないって事にならないか?」

 その言葉に、ココアと悠希ははっとする。

「そうですよココアさん。

お姉さんはちゃんと、しっかりした人を選んだって信じてあげた方が、お姉さんも喜ぶと思うし、 安心するんじゃ……ないですか?」

 鎌谷に続いて悠希が宥めると、ココアは両手でグラスを握りしめて、震える声を絞り出す。

「……でも、お姉ちゃんが他の人の所に行っちゃうなんて、やだ……」

 もう服装以外は悪の女幹部らしさが無いココアのその様子に、 悠希はテーブル越しにそっと手を伸ばして、頭を撫でる。

「寂しいかも知れないですけど、あまりわがままを言っちゃうと、お姉さんが心配しちゃいますよ。だから、ね?」

 頭を撫でられながら、ココアは暫く鼻を啜っていたが、またちびりちびりと芋焼酎に口を付け始める。

「まぁ、今日は飲んで気分転換したいんだろ?

付き合ってやっからそんな落ち込むな」

 悠希も鎌谷も、今回ばかりはココアを気遣って、暫くの間酒を飲んでいたのだった。

 

 飲み屋に入って数時間後。悠希はココアを背中に背負って浅草橋の裏路地を歩いていた。

 あの後、飲み過ぎてしまったココアを家まで送ろうと、ここに来たのだ。

 ココアの住んでいるアパートは浅草橋駅から徒歩圏内との事だったので、秋葉原からここまで、 泥酔したココアを背負ってきた。

 悠希自身も飲んでは居たので、悠希が大丈夫かどうか鎌谷が心配していたが、 酔いが覚めるまで飲み屋で休憩をしてきたので、大丈夫だと悠希は思っている。

「そこの角を右……」

 ココアに道を聞きながら、鎌谷と一緒にゆっくりと歩く。

 そして辿り着いたのは、あまり新しいとは言えない小さなアパート。

「ココアさん、大丈夫ですか? 着きましたよ」

「ん……ありがと」

 とろんとした声で礼をいい、ココアは悠希の背中から降りる。それから肩に着いている鎧から鍵を取り出して、 玄関の鍵を開けた。

 そこに鍵が入っているのか等、思うところは色々有るが、取り敢えず無事に送り届けられたと言う事で、 悠希と鎌谷は安心してその場を去ろうとした。

 しかし。

「うちでもう少し飲んでいかない?」

 まだ寂しさがあるのか、ココアは悠希の袖を掴んで、そう言った。

 その手をそっと外し、悠希はまた、ココアの頭を撫でる。

「ダメですよ。今日はもういっぱい飲んだし、それに、女性が男性をそんな簡単に家に入れるのは良くないです。

本当は、あまり家の場所を教えるのも、良くないんですからね?」

 するとココアは、ぽろりと涙を零した後、頭を下げて部屋の中に入っていった。

 ドアが閉まる前に、悠希が声を掛ける。

「おやすみなさい」

 ぱたんと音を立ててドアが閉まり、鍵が掛かる音を確認してから、悠希と鎌谷はその場を離れる。

 暗い夜道を、またゆっくりと歩いて行く。

「悠希、まだ終電はあるよな?」

「うーん、そうだね。終電は大丈夫。

鎌谷君は飲み過ぎてない?」

「ここまで歩いて来られたんだから、家までなんて余裕だよ」

「そっか」

 駅に近づくと、だんだんと人通りが多くなってくる。

 悠希の家まで、この駅からは一本で帰れる。だから、 余裕と言いながらも少し足取りがおぼつかない鎌谷を抱える事になっても、大丈夫だろう。

 国鉄の駅のホームへ向かう人並みから外れ、地下鉄の駅へと降りていき、悠希と鎌谷は改札をくぐった。

 

†next?†