第十章 折れた小枝

 ある日の事、カナメが俺に相談があると言って電話をかけてきた。

出来れば直接会って話したいと言う事だったので、その方向で調整を進める。

その中で、ふとカナメがこう言った。

「ねぇ、これからずっと、勤に会う時に女装してても、良いかな?」

 不安そうな、けれども何となく甘えているようなその声に、顔が熱くなる。

もしかして、俺と付き合いたいとかそんな事を考えてるのか?

いやいや、でもこいつは彼女が居るし、別れたって話も聞かないからそれは無いだろう。

でも……どうしよう、期待が無駄に膨らむ。

よく考えると男と付き合う可能性なんて考えてる俺はおかしいような気はするけれど、 カナメは女だと思えば女に見える。

多分問題ない。

 おかしなテンションになったまま待ち合わせの時間と場所を決めて電話を切った後、 もう寝なくてはいけない時間なのにもかかわらず、遠足前日の小学生状態でなかなか寝付けなかった。

 

 そして待ち合わせ当日。

カナメがよく見る布屋さんがあるという街で落ち合う事になっていた。

しかし、俺、ほんとなんか先走ってる。

今、待ち合わせの時間の二時間前だよ。何でもう待ち合わせ場所に居るんだよ……

 いくらカナメが早めに行動するタイプだと言っても限度がある。今回はたっぷり一時間半程待つ事になった。

「勤お待たせ。

……もしかして、待たせちゃった?」

 ふんわりと膨らんだスカートに、頭の上には可愛らしいリボン。

こんなおとぎ話のお姫様みたいな姿をしたカナメを、今日は独り占め出来るんだ。

それを考えたらもう、一時間とか二時間とか、例え半日待たされたって怒る気にはなれない。

「俺もちょっと前に来たばっかだよ。

相談事があるんだろ?

どっか喫茶店とか入るか?」

 何となく自分の顔が緩んでいる気はするが、カナメはなにも疑問がっていないし、大丈夫だろう。

 早くカナメと話をしたい。そう思って喫茶店という話をしたのだが、カナメは少し視線を泳がせてから、 口を尖らせてこう言う。

「ん……

でも、折角ここまで来たから、見たい洋服屋さんとか有るんだよね。

相談があるって言って置いてあれなんだけど、お店も見て回って良い?」

 一緒に……お店を……見て回る……?

これ、本格的にデートじゃないか。

これは、これはもしかしたらもしかするぞ!

 高鳴る鼓動を押さえつつ、なるべく平静を装い、仕方ないな。 なんて言いながらカナメが見たいと言っている店に向かう。

どんな店なのかと聞いたら、『ロリータファッション』と言う、 ふわふわでひらひらした女の子向けの洋服を扱っている店が集まっている所があるという。

「僕がこう言う格好するの、嫌だったりしない?」

 少し不安そうにそう呟くカナメに、俺は優しく答える。

「嫌な訳ないだろ。

今日の服だって似合ってるし、可愛いよ」

 あ、うっかり可愛いとか言ってしまった。

どうしよう、不審がられてないかな。

恐る恐るカナメの表情を窺い見ると、少し拗ねたような顔をしている。

「もう。そう言う言葉がするっと出てくるなんて、女の子には皆そう言ってるんじゃないの?」

 あれ、これってもしかしてヤキモチか?

勿論、女の子皆に可愛いと言って歩いている訳ではなく、本当にカナメが可愛いからそう言っただけで。

でも、その事が上手く言葉に出来ない。

 どうしよう、俺、ヤキモチ焼かれてる。可愛い……可愛い……

 そう浮ついている間にも、カナメはくすりと笑って、意地悪言ってごめんね。なんて言ってるし。

カナメが見たいと言っていた店に着く頃には、俺はもうすっかり恋人気分になっていた。

 

 カナメが見たいと言っていたお店は、本当にお姫様みたいな洋服ばかりを扱っていた。

そんな所を見て回りながら、カナメが時折、これ似合う?なんて訊いてくる物だから、 こっちもついついデレデレしてしまった。

 そんな感じでウィンドウショッピングも済ませ、今は喫茶店でカナメと向かい合っている。

暫く雑談をしていたのだけれど、ふとカナメが真面目そうな顔をしてこう言った。

「これ言ったら勤に嫌われちゃうんじゃないかって思ってずっと言えなかったんだけど……

言って良い?」

「いや、言ってくれないと嫌いになるも何も無いだろ」

 カナメの頭を撫でながらそう言うと、カナメが意を決したように言葉を振り絞った。

「僕、女の子になりたいんだ」

 言い出してもおかしくない事ではある気がするけれど、彼女が居るのにこんなことを言うなんて。

 女の子になって俺と付き合いたいのかって訊きたいけど、即座にそんな言葉を返したら、 茶化してると思われるだろう。

だから、頭の中で真剣に言葉を選んだ。

「良いんじゃ無いかな。それでも俺は嫌いにならないし、そんな心配そうな顔すんなよ」

 テーブルの上に置かれたカナメの手を握り、優しく声を掛ける。

すると、少し涙目だけれど、花の蕾が綻ぶような、そんな笑顔を見せた。

「ありがとう。ずっと友達で居てくれる?」

 その言葉に、俺は手を握り返す事で意思を伝える。

それから、今度は俺が意を決してカナメに訊ねる。

「友達って言うかさ、もしかしてお前、俺の恋人になりたいとか思ってた事、有ったりする?」

「それは無い」

 ここまで恋人気分を盛り上げてきたのに、カナメはあっさりと俺に対する恋心は無いと、バッサリ。

「勤は僕の恋人になりたいって思った事、有るの?」

「……無い……」

 きょとんとした顔のカナメにそう訊ねられたが、こうなると俺の気持ちを伝える心がポッキリ逝ってしまっている。

だから、俺は結局、カナメへの気持ちをずっとしまい込まざるを得なくなった。

 

 その後も夕食時まで喫茶店で話をし、他の店で夕食も一緒に食べた。

なんかなぁ、俺、折角カナメに恋してるって自覚を持てて、自信も持てたのに、その矢先に心が折られるなんて。

でも、それでも、今日一日カナメを一人の女の子として独り占めできたことには変わりが無い。

今日の事は美しい思い出に変えて、これからもカナメとは友達で居ようと心に決めた。

 ふと、夕食を食べながら浮かんだ疑問をカナメに投げかける。

「そう言えばお前、女の子になるのは良いけど、美夏さんどうすんの?」

「え?結婚を前提にお付き合いしてるけど?」

「ごめん、ちょっと何言ってるのかわからない」

 女の子になりたいのに、女の子と結婚したい?どういう事だ?

確かに、カナメはまだ戸籍上も体も男だし、美夏さんとの結婚は可能だ。

でも、女の子になりたいんだったら恋愛対象はやっぱり男だろうし……

 そんな事を考えて頭がぐるぐるしている俺に、カナメが俯いて呟く。

「そうだよね、普通おかしいって思うよね。

でも僕、女の子にはなりたいけど、どうしても美夏のことは好きなんだ。

美夏ね、僕が住んでるこの国を守るためなら、辛い任務だって耐えられるって言ってくれたんだよね。

だから僕、親と仲が悪いって言ってる美夏が、安心して帰ってこれる所を作りたいんだ」

 心細そうな、でも強い意思の籠もったその言葉を聴いて、何となくストンと落ちる物が有った。

 そうだよな。人を好きになるって、性別とか年齢とかそう言うのは関係ないんだ。

ただ純粋に、理由も無く惹かれる物なんだよ。

俺はそうだったし、カナメだってきっとそうだ。

「美夏さんには、女の子になりたいって話はしたのか?」

「……まだ。なんか、言う勇気が無くて」

「そっか」

 暫く無言で料理を食べる。

カナメが食べ終わって、その少し後に俺が食べ終わって。それから俺はこうカナメに言う。

「お前の人生が善くあるように、俺は応援してるからな」

「……ありがとう……」

 笑顔を浮かべるカナメの瞳から、ぽろりと一粒、光の粒がこぼれた。

 

†next?†