猫々!

 ここは国のみんなから慕われる王様が治めている国。

 土壁や藁葺きの家が建ち並ぶ中、貧しそうな家には似合わない、 きちんとした身なりの一人の少女が、大切そうに布にくるまれた何かを収めた籠を持ち、 立て付けの悪い扉の向こうへと声を掛けている。

「それじゃあお兄ちゃん、ファイ、行ってくるね」

 中から行ってらっしゃいという声が聞こえるのを待ってから、少女は家の前から離れ、街の中心へと足を向ける。

 歩く度に微かに聞こえる、じゃらじゃらと言う音。

少女は音を立てる籠をしっかりと抱きしめて、街の中心にある、色鮮やかな彩色をされた豪奢な建物へと入っていく。

 彼女の名前はマオ。天性の物かはわからないが、玉の鑑定眼を見込まれ、 宮廷の中へ美しい玉を売りに行く事を許された、玉の商人だ。

 

 宮廷の門番に通行を許可する旨が書かれた竹簡を提示し、中へと入るマオ。

 鮮やかな彩色と、光を入れる為の透かし彫りが施された壁に囲まれた廊下を歩き、 向かった先は宮廷お抱えの占い師達が控える部屋。

 マオが売る玉は、占いを執り行う乙女達に甚く好評だ。

マオに任せれば美しい物を選んでくれる。それも人気の要因だが、もう一つ、乙女達を喜ばせる理由があった。

「マオさん、私にお勧めの玉は有る?」

「ジュウファ様にお勧めの玉はこちらです。

柔らかい緑色の物がお好みでしたよね?」

 柔らかい布で出来た占い装束に身を包んだ乙女に訊ねられたマオは、籠の中から、 まるでとろけてしまいそうに柔和な緑色の、真ん中に穴の開いた円盤状の玉を取り出す。

それを受け取った乙女は、何かを期待するように玉を撫で、マオにまた訊ねた。

「この玉には、どんなお話があるの?」

 その問いにマオは、優しい緑色を象徴するような、優しく甘い、乙女達の胸を躍らせる、短い物語を語る。

 マオが宮廷に玉を売りに来るようになってから久しいが、始めの内は普通に玉を売るだけだった。

けれどもある日、何となく売っている玉に即興で物語を作り、それを語って売るようになってから、美しい玉だけで無く、 ときめくような娯楽を求める占い師の乙女達に、物語を請われるようになったのだ。

 代わる代わる、マオの元に来ては玉と物語を求める乙女達。各々玉と物語を手に入れて、うっとりとして居る中、 最後にマオの元に来たのは、占い師の長である、マオよりも少し年上のユエという少女。

 ユエも、マオにお勧めの玉はどれかを訊ねる。

マオは、緑色の玉が多い中から、所々黒っぽい部分が混じっている玉を取り出し、ユエに渡す。

 本来なら、黒っぽい玉は質が良いとは言いがたい物だ。けれども、ユエは黒い玉を好む。

 いつの事だったか、それを不思議に思ったマオがユエに理由を訊ねた時の事。ユエは、自分が秘めている恋心を、 少しだけマオに話した。

詳しい事はマオにはわからなかったが、黒い玉を見ていると、 思い人が側に居てくれるような気がすると、ユエは言っていた。

 それ以来、黒くとも美しい玉を、マオは持ち込むようになった。

 マオはまだ恋を知らない。けれども、黒い玉とその物語を受け取り頬を染めるユエを見て、 恋は女性を幸せにする物なのだなと、ぼんやりと思っていた。

 

 その日の営業を終え、宮殿から帰ろうと占い師達の部屋から出たマオに、声を掛ける者が居た。

なに事かと思ったら、この宮殿と国の主、兎王がマオと話をしたいと言う。

 もしかして、販売許可が取り消されるのかとマオは怯えるが、 王自ら呼び出しをかけているのだ、応えなくてはいけない。

 布に包まれた、残りの玉が入った籠をぎゅっと抱きしめ、マオは玉座の間へと案内されるままに付いていった。

 

 広く豪奢な彫り物が施された色鮮やかな部屋。兎王の前へと馳せ参じたマオは、緊張した面持ちで挨拶をし、 兎王の言葉を待つ。

跪き、礼をしたまま目を瞑っているマオに、兎王が優しく声を掛けた。

「そんなに緊張しなくても構わないよ。

実は、占い師達から君の話を聞いてね」

 やはり、営業許可を取り消すつもりなのだろうかと膝が震えるが、怯えるマオの思いとは裏腹に、兎王はこう言った。

「玉に物語を付けて売っているんだって?

実に面白い試みだね。

試しに、今君が持っている玉の中で一番良い物に、物語を付けて聴かせてくれないかな?」

「あっ、か、かしこまりました!」

 緊張で震えるマオの手。細く華奢な指が布を捲り、中に入っている玉をまさぐる。

 薄緑色の玉、青い玉、黄色い玉、紫色の玉、黒っぽい玉、様々な玉が入り交じる中、マオは迷わずに、深い緑色をした、 それでいて透き通る瑞々しさを持った小さな玉を取り出し、両手で捧げ上げ、震える声で物語を語った。

その物語は、かつて、渇き切り実りの無かった土地に、水と実りをもたらし、人々を救った神獣の物語り。

 短いけれども素朴で美しい言葉で綴られた物語りに、兎王は膝を打つ。

「素晴らしい!

君は玉を見る目だけで無く、その様な才まであるのか。

良かったら顔を上げて、名前を聞かせて貰えないかな?」

 予想外に好評な様子に、マオは恐縮しながら、顔を上げ、兎王の方を向いて名乗る。

「マオと申します」

 緊張で心なしか瞳を潤ませるマオに、兎王が言う。

「マオというのか。

それではマオ。君の才を見込んで頼みたい事がある。

後宮に入り、私が所有する宝物に物語を付けて欲しい」

 突然出された後宮入りの申し出に、マオは戸惑う。

後宮入りは、入った後の豊かな暮らしぶりから、国中の女達の憧れだ。後宮に入れば、 自分や兄と弟達家族は何不自由なく暮らせるだろう。

けれども、入ってしまったら家族と離れなくてはいけなくなる。

自分を大切にしてくれる兄に、良く懐いている弟。その二人を置いて、後宮に入るのは躊躇われた。

 マオは答える。

「後宮に入るかどうかは、家族と相談させて下さい」

 この答えを兎王は咎める事も無く、良い返事を待っている。と言って、マオを家へと帰した。

 

 兎王の御前に出た事で緊張極まっていたマオは、家に帰り着くなりへたり込んでしまう。

「マオ、お帰り。どうしたんだ、そんな所に座って」

 そう言ってマオを迎えたのは、兄のリィウ。

普段、玉の採掘を仕事としているおかげでがっしりとしているその体で、マオの事を抱え上げ、 座る為の敷布が敷かれている所まで運び、座り直らせる。

 すると、家の奥から弟のファイも出てきてマオの所にやって来た。

「どうしたのお姉ちゃん。顔色悪いよ」

 マオの顔を覗き込んで、心配そうなリィウとファイ。その二人に、マオは魂が抜けたような声で言う。

「兎王様に、後宮に入らないかって言われちゃった……」

 その一言で、小さな家の中は大きな騒ぎ声でいっぱいになった。

 

 その翌日、散々リィウとファイに、後宮になんて入らないで欲しいと泣きつかれたマオは、 後宮入りを断る為に、再び兎王の下へと参じた。

 もしかしたら、断っても無理矢理後宮に入れられてしまうかも知れない。マオはそう思ったが、 後宮入りを断られた兎王は、残念そうな顔をしてこう言った。

「ご家族がそこまで反対するのなら仕方ない。無理に後宮に入れとは、私は言えない。

けれども、どうしてもマオ君の物語を宝物に付けて貰いたい」

「兎王様、ではどうしたら良いのでしょうか?」

「マオ君には、ここに通って貰って物語を付けて貰えたらと思う。

この宮殿にこまめに通うのは大変だと思うけれど、ちゃんと物語りに対する対価は払う。

これでどうかな?」

「はい、それなら大丈夫です」

 こうして、マオは宝物に物語を付ける為に、兎王の下へ通うようになった。

 

 マオが初めて兎王の宝物に物語を付ける日、兎王からある人物を紹介された。

「マオ君、君は文字が書けるかな?」

 文字。そう言えば今までそんな事は考えた事が無かった。

勿論、マオは文字が書けないし、読む事も出来ない。

その事を兎王に言うと、その言葉は予想通りの物だったのか、 傍らに佇む穏やかな顔つきをした男性を、マオにこう紹介した。

「彼の名前はラン。普段は私の書記官をして居るのだけれどね、 君が物語を語る時は君の書記官として記録して貰う事にしたんだ」

「マオさん、初めまして」

「はっ、初めまして、よろしくお願いします」

 優しげな微笑みを浮かべるランに、マオは少し安心する。

これから宝物庫に入り物語を付けていく事になるのだが、優しそうな人に物語を記録して貰えると知り、 玉に触れている時とは違う喜びを感じた。

 

 兎王に案内されて入った、広く薄暗い宝物庫には、マオが初めて見る物が沢山有った。

玉の飾りは見慣れているが、玉で出来た器、金属で出来た器に装飾品、 その他にも一体何なのかが解らない物が沢山有った。

 初めて見る宝物に圧倒されながら、マオは玉以外に付ける、初めての物語を語る。

それは、青銅で出来た、霊獣の顔が彫り込まれた器だった。

 マオは、その霊獣が一体何者であるのかを知らない。けれども彼女が語った物語に兎王は満足そうな顔をし、 ランも甚く感動した様子で、竹簡に物語を記録していく。

 これから長い時を、宝物と物語と過ごす、第一歩だった。

 

 それから幾年月。マオは物語を紡ぎつつけた。

宝物に触れ、知り、語る。そんな日々を送る内に、マオも、兎王も老いていった。

 そろそろ次代に王権を譲るか。そんな頃に、兎王が宝物庫でマオに訊ねた。

「マオ君、私が退位しても、物語を付け続けてくれるかな?」

 少し寂しそうな顔をして、マオが答える。

「宝物を預かる、次代の王様次第でございます」

 兎王も、寂しそうな顔をする。

「そうか。なら、私が退位する前に是非物語を付けて欲しい宝物が有る」

 そう言って兎王は、宝物庫の出入り口へと足を向け、マオとランもそれについて行く。

 そのまま宝物庫を出てしまった兎王を不思議に思いながら、廊下を歩きながらマオは兎王の話に耳を傾ける。

「実はね、ユエという占い師が持っているお守りの玉。それに物語を付けて欲しいんだよ」

 それをきいて、マオはますます疑問に思う。

その玉は、兎王の物では無いのに、何故なのだろうと。

 マオの疑問を察した兎王が、こう語る。

「ユエが今度占い師の任を降りる事になったんだ。

実はね、ユエには随分と前から婚約者が居て、ずっと嫁入りを待って貰っていたんだよ。

けれど、ようやくユエの後任が見つかってね。ユエを嫁に出す事にしたんだ」

「そうなのですか」

 もしかして、偶にユエが話していた思い人というのは、その婚約者のことだったのだろうかと、マオは思う。

「ユエは、この国を占い続けてきた宝だ。

だから、ユエが嫁いでも、その物語を残しておきたくてね」

「……かしこまりました」

 しずしずと、マオとランは兎王の後を付いていく。そして、ユエの居る占い師の部屋へと入っていった。

 

 ユエの深く透き通った緑色のお守りの玉に物語を付けてから暫く。遂にユエが宮廷を出る日がやって来た。

かねてから交友を重ねていたマオは、荷物を持ったユエにこう話しかける。

「ユエさん、お嫁に行っても、幸せで居て下さい」

 ユエも、はにかんで答える。

「もう随分と歳を取っちゃったのに、お嫁さんなんてちょっと恥ずかしいです。

でも、ありがとう。

きっと幸せになります」

 それから、お互いに別れの言葉を交わして。

ユエは婚約者の待つ部屋へと行ってしまった。

 ユエの婚約者は、旅人だという。

兎王がこの宮廷に住む事を勧めた事も有る様なのだが、旅人は定住するのは性に合わないと言って、拒んだとの事。

 ユエも、会った事の無い婚約者もきっと、もう若くない。

いずれは何処かに定住はするかも知れないが、今はまだ旅を続けるという。

 この宮廷を、街を出て行ってしまうユエがきっと幸福で有る様に。マオはそう祈らずには居られなかった。

 

 ユエの居なくなった宮廷で、兎王がマオに訊ねた。

「マオ君、君は嫁に行っていないのかい?」

 その問いに、マオは気まずそうに笑みを浮かべて答える。

「その、物語を付けるのに夢中で、お嫁に行き損ねちゃったんです」

 マオの言葉に兎王は、それはすまなかった。と言い、それからこうマオに提案した。

「マオ君、良かったら今からでも後宮に入らないか?

随分と君の人生を振り回してしまったようだし、君の最期まで支えていたい」

 その言葉に、マオは少し考え込む。

かつて、大騒ぎしてマオの後宮入りを拒んだリィウもフェイも、今では嫁を貰い、家庭を作っている。

今なら、兎王の下に来ても許される気がした。

「わかりました。私も、兄や弟に余り心配はかけられません。

お言葉に甘えて、後宮に入らせて戴きます」

 兎王が、そっとマオの頭を撫でる。

「君を嫁入りさせられなくてすまないね」

「物語を綴って行き遅れるなら、本望です」

 こうして二人で笑い合って。マオは兎王の後宮に入る事になった。

 

 マオが後宮に入って数年。

宝物に物語を付け続けていたマオが、自室の寝台の上でぼんやりと、木張りの天井を眺めながらこんな事を思った。

 急に、体が動かなくなったなぁ。もしかしたら、私はもうこのまま眠り続けるのかも知れないなぁ。

 部屋の中には、今までに綴った物語を、ランが竹簡に記した物が沢山置かれている。

自分が作った物語に囲まれながら、マオは誰も居ない部屋の中で呟く。

「兎王様ごめんなさい。

私の方が若いのに、先に逝ってしまいます。

兎王様。ランさん。今までありがとうございました」

 そうしてマオは瞼を閉じて。永い永い眠りに就いたのだった。

 

†the end†