第九章 青い沼

 美味しい物を食べてゆっくりと休んだ翌日。朝食を食べた後早速五色沼に行こうと、 歩きやすい靴を履いてペンションを出た。そのペンションから五色沼まではそんなに離れてはいないようなのだけれども、 歩き疲れて辛くなった時の為に、一応車で五色沼まで向かった。

 五色沼は有名な観光地で、 名前の通り色鮮やかな水色を見ようと沢山の人が訪れる場所だと、友人から聞いてた。今は緑鮮やかな良い季節だから、 きっと観光客が沢山居るだろう。そう思っていたのだけれど。

「あれ? もう着いたの?」

「はい。ここまで近いペンションに泊まったので」

「なるほど。しかし、随分と閑静なところだな」

 駐車場に車を停め、貴重品と食料の入ったリュックサックを持って下りると、周りには殆ど人が居なかった。まぁ、 人が多すぎて急かされるのも困るしね、この感じならゆっくりと回れるだろう。

 天使様達に声を掛け、お土産物屋さんで散策中に飲むペットボトルを買いに行く。飲み物の種類はあまり無かったけれど、 下手に甘い物を飲むと逆に喉が渇いてしまう気がしたので、全員水を買った。お土産物屋さんを出ると、 すぐ側にソフトクリーム屋さんがあって、案の定プリンセペル様が食べたいと言い出した。

「ミドリムシの入ったソフトクリームだそうだぞ。食べたい」

「そうですね、一通り回った後にまたここまで戻ってきますし、それから食べた方が良いのでは無いでしょうか。

疲れた時に甘い物を食べると、より美味しく感じるでしょう?」

 次から次へと食べさせていたら暴食の罪に触れる。そう思い、 まずは沼を回ろうとなんとか説得しようとする。すると、プリンセペル様は案外すんなりと引き下がってくれた。

「それもそうだな。

よし、それでは早速行こうか」

 僕が天使様達を先導して、沼に続く階段を下りる。すると、青々とした葉が茂る枝の間から、 真っ青な水場が見えた。空が映り込んで青いのかとも思ったけれどそう言うわけでは無さそうで、 風に吹かれて静かに揺れていた。

「すごーい、ほんとに青いんだ!」

 感嘆の声を上げたメディチネル様が、早速スマートフォンを取り出して写真を撮っている。それから、 階段の下まで下りるといくつものボートが浮かんでいて、どうやら借りて乗ることが出来るようだった。

「貸しボートがありますよ。乗ってみますか?」

 天使様達に声を掛けると、お二人とも乗ってみたいと言うので、 早速ボートを借りる事にした。借りられるのは三十分ほどとの事だったけれど、それだけ時間があれば十分だ。

 料金を払い、三人でボートに乗り込む。少しバランスが悪いけれど、大丈夫だろう。オールで水をかき、 ゆっくりと水の上を進む。

 ふと、メディチネル様が僕に訊ねてきた。

「そう言えばさ、五色沼が青いのって北海道の青い池と原理は同じって前に言ってた気がするけど、なんで青いの?」

 そう言えばそんな事を言ったことが有るような気がする。確かに、 なんで青いのかどうかは疑問だろうので簡単に説明をしよう。

「はい、この水が青いのは、水の中にアルミニウムが混じって、それで青くなっているのだそうです。

アルミニウムが混じることで粒子が発生して、それが短い波長の光を乱反射するからだとか」

「なるほどねー」

 この説明は何度も五色沼に訪れている友人からの受け売りなのだが、 メディチネル様は素直に納得している様子。それから、隣に座っているプリンセペル様の方に視線をずらすと、 ボートの淵に手を掛けて、じっと湖面を見つめていた。

「つまり、この水の中に入っても水は青く見えると言う事か?」

 そう言って身を乗り出そうとしたので、僕は慌てて、オールから手を離してプリンセペル様の肩を押さえる。

「そんなに身を乗り出したら落ちてしまいますよ!」

 すると、きょとんとした顔でこう答えた。

「ああ、それもそうだな。服が濡れてしまっては困る」

「それも有りますし、この沼にはとても長い水草が生えてるんです。一度落ちたら水草に体を取られて、 浮かんでこられなくなりますよ」

 これも友人からの受け売りなのだが、これを聞いてプリンセペル様はもちろん、メディチネル様も顔を青くする。

「そ、そうなのか。わかった、大人しくする」

「えええ……思ったよりも怖いところだった」

 その後暫く天使様達は緊張した調子だったけれども、ボートの上でたっぷりと景色を楽しんだ。

 

 ボートから下りて、今度は散策道を歩いていく。坂道もたまにあるけれども、高いところから見える沼は本当に綺麗で、 しきりにメディチネル様が写真を撮っている。 駐車場最寄りの沼から離れ、散策道を歩くうちに小さい沼なども姿を見せた。

 ここまでくると、そろそろ散策するのに良い時間なのか、反対側からも旅行者が来て、 すれ違いざまに挨拶などもしたりした。ふと時計を見ると、そろそろお昼時だ。道の脇に設置されている木のベンチに座り、 お昼ごはんを食べようと言う事になった。

 持って来ているのは、アンチョビの缶詰と小魚のオイルサーディンの缶詰、 それからクラッカーを二箱だ。今までの傾向を見ていると、 これだけだとプリンセペル様が満足しないのでは無いかとも思うけれど、暴食の罪に触れさせるよりはいいだろう。

「それでは、食べますか」

「うん。いただきまーす」

「いただきます」

 開けた缶詰からお箸で中身を取り出して、クラッカーに載せて食べる。そんなに凝った物では無いけれど、 缶詰の元の味付けが良いのか、それとも景色が良いからなのか、とても美味しい物のように感じられた。

 ここまでもだいぶ歩いてきたけれど、この後まだ散策路は続くようだし、行って帰ってくる頃には、 おやつを食べるのに丁度良い時間になっているだろう。

 こういう景色の良いところを歩くのも、気分が良い物だね。

 

 五色沼群の端まで歩いて戻ってきて、 今はお土産物屋さんの前に有るベンチの上でひと休みしている。 先程ミドリムシ入りのソフトクリームが食べたいと言っていたプリンセペル様はお目当ての物を買って食べているし、 メディチネル様も体が火照ったから冷たい物が欲しいと、バニラのソフトクリームを食べている。僕はと言うと、 どうにも疲れ切ってしまって何かを食べると言うところまで気力が回っていない。 思った以上に自分に体力が無くて驚きも有り恥ずかしさも有り。ここまで車を持ってきて置いて、本当に良かった。

 

 天使様達がソフトクリームを食べ終わってから、 また車に乗り込んでペンションへと帰ってきた。夕食までは当然まだまだ時間があるので、 また三人でお風呂に入ることになった。やはりまだ、天使様達と一緒に入って良いのかどうか疑問は有ったけれど、 本人達が良いと言うのだから、あまり遠慮しまうのも悪いだろう。

 洗い場で体を洗い、浴槽に浸かっていたのだけれど、ふと、メディチネル様が僕の足下に移動した。

「あれ? どうなさいました?」

「んー、今日はいっぱい歩いて疲れたみたいだからさ。足裏マッサージしてあげる」

「えっ? いえいえそんな、お気になさらず!」

 天使様に足のマッサージを任せるなんて、流石にそれは畏れ多いと思ったのだけれど、 メディチネル様はウィンクをして言う。

「いいのいいの。僕は医療を司る天使なんだから、こう言うの得意なんだよ?」

 そう言って、メディチネル様は指と手を使って、僕の足をもみほぐしていく。ああ、流石に巧い物なのだなと思い、 その心地よい感覚と疲れで瞼がだんだん重くなってくる。

 ふと、こんな言葉が聞こえた。

「あれ? ここ凝ってるね。具合悪いのかな?」

 それから足の裏をぐっと押された感触と同時に激痛が走り、思わず大声を上げてしまった。

 

†next?†