第一章 消えた村人

 今日もひとり、村人が消えた。
 この村から村人が度々消えるようになって久しい。けれども、村人たちはただ沈黙を守っていた。
 近くの森からはおそろしい狼の遠吠えが響く。しかし村人のうちただひとりも、狼を狩ろうとはしなかった。
 少しずつ人が消えるなか、沈黙する山村。
 その村から、ある日ひとりの村人がこっそりと街へ向かった。村から人が消える原因を解決して欲しいと、助けを求めるためだ。
 その求めを、ひとりの貴族が受け取った。
 けれども、助けを求めた村人は、村に帰り着くことなく姿を消したそうだった。

 ここはとある農村。この村には医者であり錬金術師という、少々胡散臭いけれども村人たちの信頼を得ているひとりの男がいた。
 その錬金術師の元に、一羽の鳩が飛んできた。足には紋章がついたちいさな手紙がくくりつけられている。手紙を開くと、至急街へと来るようにという、パトロンの貴族からの要請だった。
「……おかしいな。オニキス様のサロンが開かれるのは来月のはずだけれど」
 そうつぶやいて手紙を読み進める錬金術師に、近くの椅子に座ってコーヒーを飲んでいる、芳香を纏った男がにやにや笑いながら声をかける。
「なんだミカエル、オニキス様からの呼び出しか?
 お前さんはオニキス様のお気に入りだから、早く会いたいんだろう」
 その言葉に、ミカエルと呼ばれた錬金術師は困ったように笑って返す。
「そうは言ってもね、オニキス様はなんだかんだで用事がなければ僕のような下々の者は呼び出さないよ。
 オニキス様としては、お気に入りの調香師の君を呼びたいんじゃあないかな。
 ねぇ、ジジ」
 ジジと呼ばれた男は軽く笑って肩をすくめる。なにかを誤魔化したいときの彼の癖だ。
 ミカエルは手紙の続きを読む。すっと表情が硬くなった。
「どうした?」
 ただならぬことが書いてあったのだろうと察したジジがミカエルに訊ねると、ミカエルは鳩を鳥かごに入れながら言葉を返す。
「ある山村で、村人が次々と行方不明になる事件が起きているらしい。その事件を解決して欲しいという依頼だよ」
「はぁ、お前さんも面倒ごとが絶えないね」
 他人事のように笑うジジに、今度はミカエルが訊ねる。
「詳しい話を聞くために僕は急ぎオニキス様のところへ行くけれど、君はどうする?
 他のところへ精油を買いに行くかい?」
 すると、ジジは椅子の足下に置いている木製の鞄を叩いてこう返す。
「ちょうどいいや。俺もオニキス様に用事がある。ついていくよ。
 頼まれてた香水の材料がここで揃ったんでね、それなら早めに納品したい」
 その言葉を聞いて、ミカエルは心得たというように笑みを浮かべる。ジジもこの件に頭をつっこむつもりだというのを察したのだ。
 ミカエルひとりで事件に挑んでもいいのだろうけれど、なにかあったとき他に人手はあった方がいい。それをジジはわかっているのだ。
 ジジがにやりと笑って言う。
「今回の件は俺が必要になる。
 俺の直感がそう言ってるのさ」
 その言葉を聞いたミカエルは、やれやれといったようすで左手に手袋を着ける。都へ行くのであれば、ひどい火傷痕がある左手は隠したいところだった。

 村人たちにしばらく村を開ける旨を伝え、ミカエルとジジは数日かけてオニキスが住む街を訪れた。
 可能な限り早く。と手紙にあったので、街に着くなりミカエルとジジはオニキスの館を目指す。
 館に着きオニキスからの手紙と伝書鳩を見せると、使用人が伝書鳩を受け取りミカエルとジジをオニキスの元へと案内する。
 相変わらず壮麗な館だ。大きな窓も端正な壁紙も、すべてが静かに整っていて、人が住んでいる館というよりは博物館のようだ。
 使用人が立ち止まり、重い樫の木の扉を開ける。ここがオニキスの執務室だ。
「オニキス様、お客様です」
 使用人がこの館の主に声をかける。部屋の奥にある机についているのは、白髪交じりの赤毛を結い上げている壮年の女性。彼女が領主を補佐する財務官であり、ミカエルを含む錬金術師たちのパトロンであるオニキスだ。
「近くへ」
 オニキスのその一言に、ミカエルとジジはオニキスの前へと出る。鳥かごを抱えた使用人は、部屋を出ていった。鳩舎に伝書鳩を連れていくのだろう。
「お久しぶりです。早速ですが、今回の件について詳しいお話を伺ってもよろしいですか」
 ミカエルの言葉に、オニキスは目の前のふたりを見据えて事情を説明する。内容はこうだ。
 ある山村で村人が消えるという事件が相次いでいると助けを求められた。なにが原因かは助けを求めてきた村人は語らなかったけれど、このままではその村の存亡に関わる。ひいては、この領の税収に関わる。なので、原因の究明と解決を依頼したい。
 そこまで話して、オニキスはため息をついてこう続けた。
「実は、その助けを求めてきた村人もその後消息を絶っているみたいでね。これはずいぶんと厄介な事件だと感じます。
 このような事件を解決できる人物はミカエル、あなたしか心当たりがありません」
「そこまで買ってくださってありがとうござます」
 ミカエルが軽く一礼して返事をすると、オニキスはさらに指示を出す。
「今回の件は、この街の修道院と協力して解決に当たってください。修道院には話を通してあります」
 それから、ジジのことをちらりと見た。ジジも一礼をしてオニキスに言う。
「該当の村には珍しい香木がありますんでね。私もついていきますよ。
 いくらミカエルが有能とはいえ、こんな小さいやつ放っておけないですよ。大げさでない護衛が必要でしょう」
 それから、ついでと言ったようにポケットから小瓶を出してオニキスに見せる。
「そうそう、これが依頼されていた香水です。お渡ししておきますね。
 お代は、ミカエルが今回の件を解決して帰ってきてからってことで」
 その言葉に、止めてもジジはミカエルについて行くと察したのか、オニキスは軽くため息をついて返す。
「わかりました。ふたりとも最低限生きて帰ってくるように」
 オニキスの言葉に、ミカエルとジジは頭を下げて了承の返事をした。

 オニキスの館をあとにして、次に向かったのは修道院。街外れにぽつりと建っている慎ましやかな建物で、毎週日曜日には近隣の住民が併設の教会へ祈りを上げに来るそうだ。
 今日は日曜ではない。修道院の敷地に入ると、畑仕事をしていた修道士に声をかけられた。訝しげな修道士にオニキスからの手紙を見せ、事情を話すとすぐさまに修道院の応接間に通された。壁紙は貼られず石材がむき出しで質素なようすだ。けれども、上品に整えられた部屋だ。
 今回の件に当たる修道士を連れてくるという言葉に応接間で待っていると、三人の修道士がやってきた。三人とも背が高く、小柄なミカエルからすれば見上げないと顔が見えないほどだ。
 その修道士のうちふたりは、ミカエルにも見覚えがあった。
「ミカエル、久しぶり」
 そうやって声をかけてきたのは、三人のうち二番目に背が高く、よく通る声の美丈夫だ。
 ミカエルは軽く手を上げて返す。
「久しぶりだねウィスタリア。ルカも久しぶり」
 そう言ってウィスタリアと呼ばれた修道士の隣にいる、一番背が低い利発そうな修道士にも声をかける。ルカと呼ばれた修道士もにこりと笑ってミカエルに話しかける。
「お久しぶりです。あなたの手を借りられるなら心強いです。
 はじめて会うでしょうしご紹介しますね、こちらはトマスと申します。彼は射撃が得意なので、野獣対策に」
 ルカの言葉に、一番背が高い修道士がにこりと笑って軽く礼をする。見た感じ、修道士よりも騎士にでもなった方がいいような風貌だけれど、修道士になる理由があったのだろう。
 トマスを紹介されたミカエルは、隣に座っているジジを差して修道士たちに言う。
「これはご紹介ありがとう。
 こちらからも紹介するよ。彼は僕の友人で調香師のジジ。今回の件で僕ひとりに行かせるのは不安だからとついてきてくれたんだよ」
 その言葉に、ウィスタリアがきょとんとする。
「俺たちがいるんだけど?」
 その素直な疑問に、ジジは笑って返す。
「俺はミカエルと付き合いが長いんでね。
 なにかあったときには役に立つさ」
 そこまで話して、修道士三人も応接間の椅子に座る。大柄な男三人が詰め込まれた椅子は、ゆとりがある作りとはいえぎゅうぎゅうで狭そうだ。
「それでは、今回の件について、こちらからお話ししておきたいことがあります」
 トマスが真剣な表情になって早速本題に入る。
 彼が言うには、修道院から何度か件の村の救済のために修道士を派遣しているそうだ。
 けれども、村人が姿を消す原因を探るどころか、修道士が来たとわかるなり村人から猛反発を受けて追い返されてしまうのだという。なので、何度か調査に赴いてはいるけれど、なんの成果も得られていない。そんな話だ。
「すでに村を訪れた修道士の話を聞く限りでは、件の村の人たちは、なにかを隠そうとしているように感じます」
 その話を聞いてミカエルは考えをめぐらせる。村人たちがなにを隠しているのかはわからない。けれど、オニキスに助けを求めに来た村人が姿を消したことと、修道士が追い返されているという話を聞いて『権力者に知られたくないなにかがある』という推測はできた。
 ため息をついてミカエルが口を開く。
「なるほど。それだと、修道院やオニキス様からの派遣だと気づかれたら、村に行ってもなにもできないでしょう。旅人のふりをして入り込む必要がありますね」
 その言葉に、トマスは戸惑ったような顔をする。
「旅人のふりをする、というのはどうしたらいのでしょう?」
 その疑問に、ミカエルの代わりにジジが答える。
「まずは服を仕立て屋に注文するところからですね。俺はともかく、ミカエルは旅人にしては上等な服を着ているし、修道士様たちは他の服なんて持ってないだろう?
 そうなったら、服を作るところからだ」
 その言葉にトマスとルカはますます戸惑いを見せる。
「仕立てですか? しかし、今は急を要する時です。そのような時間の余裕はあるでしょうか」
「そうですよ。仕立ては私も経験がありますが、ひとり分を仕上げるのにひと月以上はかかるんですよ?」
 トマスとルカの言い分はもっともだ。けれども、ジジ以外が今手持ちの服を着て件の村に行ったら、前例と同じく追い返される。それは想像に難くない。
 頭を悩ませていると、突然ウィスタリアが声を上げた。

 

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