さらに翌日。村の中は騒然としていた。村人が一軒の家の前で人だかりを作っている中に紛れ込み、ミカエルが中をのぞき込む。
そこには、なにかに食い荒らされた子供とその両親の遺体があった。
村人たちが口々にざわめく。
「あいつらがついにここまで来たか……」
「どうすんだ。おれたちは逃げられないぞ」
村人のざわめきを聞いたミカエルは素知らぬ顔で村人に訊ねる。
「たいへんなことになっているようですが、『あいつら』というのはいったいなんですか?」
突然の問いだったのだろう。おどろいた村人たちははじかれるようにミカエルを見てから、顔をしかめて返す。
「なんだ、よそ者か」
「よそ者が知る必要はない」
「こうなりたくなかったら早く村から出て行け」
なるほど、村人が隠そうとしているのは、こうやって人を食い荒らす何者かか。ミカエルはそう察する。村人が失踪しているのは、この何者かに襲われて食われているからだろう。
ならば、自分がやるべきことはその何者かの駆除だ。そのためにはこの何者かを突き止めないといけない。
ミカエルは困ったように肩をすくめて村人たちにこう返す。
「そうしたいのはやまやまなのだけれど、あの腕をやられた仲間が今度は熱を出してしまってね。せめて熱が下がるまではいさせてくれないかな」
その言葉に、村人たちは苛立たしげな顔をしたけれども、好きにしろと言うだけで追い出そうとはしなかった。
なにはともあれ、村人の中にいつまでもいると嘘をついて滞在していることがばれてしまう。ミカエルは急ぎ借りている家へと戻り、他の四人に犠牲者の話をする。
「どうやら、この村の行方不明者は獣に食べられているようだ。
村人たちはどんな獣か心当たりがあるようだけれども、それをひた隠しにしようとしてる」
ミカエルの報告に、トマスが考え込むように口を開く。
「なるほど。それですと今回の件は村人が獣を隠そうとしているところに鍵がありそうですね」
続いてルカがミカエルに訊ねる。
「どのような獣かの目星はつかないのですか?」
ミカエルは先ほどの惨状を思い描きながら返す。
「そうだね。すこし見た感じでは狼の咬傷のように感じたけれども、ただの狼であるならそこまで隠し立てする必要もない。
『狼に似た表に出せないなにか』が周辺の森に潜んでいるんだと思う」
「ああ、村人たちはしきりに、森に入るなと言っていましたがそういう……」
ルカのつぶやきのあと、沈黙が降りる。しばらくみな黙り込んで、ふとウィスタリアがぽつりとつぶやく。
「この辺の狼、なんか遠吠えの声が変なんだけど、それと関係あるのかな」
「遠吠えの声が変?」
聞き逃さなかったミカエルが訊ねると、ウィスタリアはちらちらと窓の外に視線をやりながら話す。
「うん。なんか、他の地域にいる狼とは声が違うんだよ。
おれも昔はあちこち移動してたから、いろいろな地域の狼の声を聞いてるけど、ここの狼の声ははじめて聞いた。
なんか、なんか違うんだよ。うまく説明できないけど……」
その話を聞いたミカエルはジジの方に向き直りこう訊ねた。
「ジジ、数年前に王様がバケモノ退治のために軍を派遣したのはどこだったかわかるかい?」
ミカエルの問いに、ジジは額に手をやって返す。
「ああ、なるほど?
言われてみればこの辺りだったはずだ。あの時はお貴族様たちもその話で持ちきりだったからよく覚えてるよ。
でも、その時にバケモノは退治したと発表されている。
王様の公式発表ではね」
「なるほど。ありがとう」
ひとこと礼を言って、ミカエルは考え込む。王様がバケモノ退治で仕留めたバケモノの特徴を思い出しているのだ。ミカエルが直接そのバケモノを見たわけではないけれど、どのようなものだったかは発表されていたからだ。
たしか、赤毛で獰猛な狼様の獣。そうだったはず。
そこに思い至ったミカエルは、荷物の中から隠していた鳥かごを出す。この中にはオニキスの元へ飛ばせる伝書鳩が一羽、入っている。
「今回の件を解決するに当たって、オニキス様に許可を得ないといけないことができた。
その許可を得るためにこれから手紙を飛ばすよ」
それを聞いたトマスが、心配そうに口を開く。
「その鳩を飛ばせるのは一回きりなのですよね? 援軍を要請するのですか?」
ミカエルは頭を振る。
「援軍を要請しても、きっと軍は動かせないし、僧兵を出してもらっても村人に追い返されるだろう。
村人失踪の原因になっているであろうバケモノを根絶するのは、僕たちがやらないといけない。そのために必要な許可があるんですよ」
その言葉にトマスは訝しげにしているけれども、それにかまわずミカエルは最小限のレターセットで手紙をしたため、鳩の足にくくりつけて窓から空高く飛ばした。
「もう後戻りはできないよ」
不敵な笑みを浮かべて振り返るミカエルに、ルカがため息をついて言う。
「なんの許可を求めたのか、今は訊きません。訊いてももうどうしようもないですから。
とりあえず、バケモノの出所をどうやって探るか考えましょう」
その傍らで、ウィスタリアがじっと耳を澄ませていた。
オニキスの元へ伝書鳩を飛ばした翌日の朝。柔らかい光が差し、森の木々がそよぐ音が聞こえる中、トマスは家の外に椅子を出して、持参した聖書を開いていた。
小声で丁寧に朗読していく。これがトマスの毎朝の日課なのだ。聖書の文字に集中し、歌うような低い声で言葉を紡ぐ。
そうしていると、視界の端に見慣れないものがちらりと入った。
いったいなんだろう。そう思ったトマスが視線だけでそちらの方を見ると、トマスの膝くらいの大きさがある犬が、ちょこんと座っていた。
まるっこくピンと立った三角形の耳。黒くてくりっとした、すこしばかり林の柴のような頑固さも見えるつぶらな瞳。愛想よく開いた口元からはたのしげな息づかいと舌が覗いている。くるんと丸まった尻尾に、体の毛並みは牧草地の芝生を思わせる。こんがり焼けたパンのような色の体毛に覆われたその犬は、一言でいえばかわいい。見るからに人懐っこそうな見た目をしている。
けれども、この犬はどこから来たのだろう。村人が猟犬として飼っているようすもなかったし、なによりこんな犬ははじめて見た。
うろたえながらもかわいらしい姿から目を離せないでいると、家のドアを開けてジジが出てきた。
「トマスさん、朝飯ができたんで食べましょうや」
そう声をかけてきた瞬間、トマスの側に座っていたかわいらしい犬がおそろしい形相になって声を上げ、ジジに飛びかかる。ジジは咄嗟に玄関に立てかけてあった籠で犬の獰猛な牙を防ぎ、そのまま地面に押さえつけ機敏にいなす。
その隙を突いて、トマスが傍らに置いていた猟銃を手に取り、犬の頭を撃ち抜く。犬はぐったりとして動かなくなった。
トマスが銃をつきつけたまま息を切らせる。あのかわいらしい犬が豹変したことに動揺しているのだろう。
犬の声と銃声を聞いた他の三人も家の中から出てくる。
「ふたりとも、大丈夫ですか」
そう言いながら、ルカが横たわっている犬の死亡確認をする。もう息が無いのを確認してからミカエルのことをちらりと見ると、ミカエルは犬を睨みつけながら眉間にしわを寄せている。
「この犬はいったい?」
その問いにトマスは簡単な説明をする。気がついたら側にいてしばらく聖書の朗読を訊いていたのだけれども、ジジが姿を現すなりものすごい形相で襲いかかったと。
品定めするように犬を見るミカエルの頭の上からのぞき込んだウィスタリアが、ミカエルに聞こえるようすこし屈んでこう言った。
「その犬、森から聞こえてた変な狼の声と同じ声だった」
「なるほど?」
ウィスタリアの言葉にミカエルはぴくりと眉を動かす。それから、いったん家の中に入り包丁を持ってきて犬の死骸に向ける。
「はじめて見る犬だし、ウィスタリアの言い分も気になる。あやしいところがあるね。
いったい何者なのか解剖して調べてみる必要がありそうだ」
そう言うなり、ミカエルは犬を仰向けに転がし腹を裂く。手際よく包丁を使って犬の内臓を観察している。そのさまをウィスタリアとルカはまじまじと見つめ、ジジは顔をしかめて背けている。トマスにいたっては背を向けてしまっている。
ミカエルがしばし犬の内臓を観察して、ふむ。と頷く。
「なるほど。外見では想像できなかったけれど、内臓を見てみる限り、この犬はいろいろな狼を掛け合わせたものみたいだね。
雑交して血の薄まった狼たちと比べて、限りなく狼の純血種に近い構造だ」
みなの視線がミカエルに集まる。ミカエルは言葉を続ける。
「人為的に狼を掛け合わせたりしない限り、こんな風に純血種に近づく可能性は極めて低い。誰かがこの犬……いや、狼を作り出したんだろう」
ジジが困惑したように頭を掻いて言葉を吐き出す。
「誰だよそんなことしたのは。危うく喰い殺されるところだったじゃねえか」
トマスも解剖された狼から目をそらして口を開く。
「では、村人を喰っているバケモノというのは、その、この狼のことなのですね?」
「おそらく。村人たちはなんらかの事情があって、この狼の存在を隠したいんだろう」
推測を口にするミカエルに、トマスはまた訊ねる。
「もしかして、村人たちがこの狼を作り出したのでしょうか」
「いや、そうではないと思う」
そうではない。その言葉の理由をミカエルが話すことをトマスは期待したようだったけれども、ミカエルはその言葉の続きは口にしなかった。
代わりに、ウィスタリアとルカが狼を指さしてこう訊ねた。
「これ、食べていいやつ?」
「せっかくの獲物を捨て置くのはもったいないでしょう」
その言葉にミカエルは目をまるくし、ジジは顔をしかめる。
「狼とはいえ、犬を喰うって本気か?」
信じられないといったようすのジジに、トマスが困ったような顔をして言う。
「実はこのふたり、東の国に旅をしてきて以来、なんでも食べるようになってしまったんです。
犬ならまだいい方ですよ、四つ足ですから。虫も食べますからね……」
「うわ……」
トマスの言葉にジジは辟易した顔をしたけれども、ミカエルは困ったように笑ってウィスタリアとルカに言う。
「食べてもかまわないよ。その代わり、ちゃんと芯まで火を通すように」
「やったー! 久しぶりの犬肉だ!」
「血抜きして串焼きかスープにしましょう」
よろこんで声を上げるウィスタリアとルカを見て、これは他の面々も食べることになる流れだなと、ジジとトマスは手で口を覆った。