第三章 木瓜

外ではまだ寒い風が吹きすさぶ中、僕は相変わらず工房に籠もっていた。

工房では金属の鑞付けをするのに結構火を使ったりするので、 作業台の周りだけはそこそこ暖かい。

今作っているのはお得意先から頼まれた、宝石付きのブローチ。

枠は出来上がっているので後は石を填めるだけ。

僕は小さな枠に六個の石を順番に填めていく。

メッセージ性の強いジュエリーなので、石の順番を間違うわけにも行かないので慎重にやる。

一個目はルビー。

二個目はエメラルド。

三個目はガーネット。

四個目はアメシスト。

五個目はまたルビー。

六個目はダイヤモンド。

この順番に宝石の頭文字を取ると、『敬意』と言った意味合いの言葉が浮かび上がってくる。

最近はこう言った、メッセージを込めたジュエリーが流行っている。

宝石の頭文字を取ってメッセージにする以外にも、花言葉を添える意味で花のモチーフや、 手などのシンボリックなモチーフも多い。

でも、こう言う物も僕と縁があると言えば作る時くらいの物で。

個人的には送ったりする相手も居ないので、 作り手でなかったら昨今の流行なんて知る由も無かったんだろうなと思う。

そうこうしている内に、朝から工房に籠もっている僕をメイドが呼びに来た。

そろそろランチティーの時間のようだ。

僕はその場でのびをして、作業着の埃をはたいてから工房を出た。

 

ランチティーの時間は殆ど僕と母上の二人だけで過ごす。

だから、母上が何か作って欲しいと言ってくるのはこの時間が多い。

そう言えばこの間のロザリオの修理も、この時間に言われた気がする。

そんな訳で、ランチティーを戴く時は何を言われる物かと思って、割とハラハラしている。

そんな僕の気持ちを余所に、母上は至って普通に話しかけてくる。

「そう言えば貴方、今作ってるジュエリーって注文の品だっけ?」

「そうですよ。それが何か?」

「それって納期いつ頃?」

「今月中旬です。それが何か?」

嫌な予感がする。

母上がこうやって仕事の予定を聞いてくるときは、大体何か注文を付ける時だ。

思わず身を引くと案の定、 「じゃあそれが出来上がったら髪飾り作って。

アーちゃん髪飾り欲しいの。」

と来た物だ。

「まあ、仕事に差し支えのない程度に作ります…」

僕は溜息をついて、紅茶を一口飲んだ。

 

それから暫く、注文の品が依頼主の手に渡った後、僕は母上にどんな髪飾りが欲しいのか尋ねた。

「母上、髪飾りが欲しいってどんなのが欲しいんですか?

またロザリオの時みたいにヴェネツィアンガラスが良いですか?」

すると母上は布の束を広げて言う。

「今度はガラスじゃなくてね、この布をアクリル版で挟んで簪にして欲しいの。」

「アクリル版って超高級品じゃないですか!」

近頃石油からプラスチックやアクリルなど、色々な物が作られるようになったが、 どれも此も高級で、そうそう手が出るような物ではない。

それを母上は欲しいと言っているのだ。

「だって、最近流行ってるのよ?アクリル版に布を挟んだアクセサリー。

現品を買うと高いから、アーちゃんアクリル版と布、別々に買ってきたの。」

…もう買ってきてるんだ…

此はもう作るしかない。そう思って間に挟む為にあるのであろう布を、一枚ずつ捲ってみる。

良く見てみると、布も何やら余り見かけない柄の物。

抽象的な花の模様や、幾何学模様が描かれている。

「母上、この布は何処で買ってきたんですか?

余り見かけない柄なんですけど。」

「輸入品を扱ってるお店で買ってきたの。

なんでも東洋の島国、ジャポンって言うところの布らしいわよ。

最近そのジャポン風の布も流行っててね。

欲しかったの。」

「へ~、そうなんですか、こんな布初めて見ました。」

そのジャポン風の布は、割と僕の好みにも合う感じ。

初めは余り気乗りしなかったけれど、こんな布が使えると思うと、ちょっとやる気が出てきた。

 

早速作業に取り掛かったその日のアフタヌーンティーの時間、 いつもの様にソンメルソが訪ねてきた。

「やあ、今度はアクリル版で母君の髪飾りを作るんだって?

アクリル版なんて良く手に入ったね。

高かっただろ?」

「いや、アクリル版を買ってきたのは僕じゃなくて母上だから…」

「え?母君が?

何処で買われたんですか?」

母上がアクリル版を買ってきたと知ったソンメルソが驚いて母上に尋ねると、 母上は事も無げに答える。

「デュークのお父様にねだって買って貰ったのよ。」

へー、そうだったんだ。

所で母上、僕は今まで一度も父上に会った事がありません。

何故そんな事になっているかと言うと、夫婦の仲が悪くて別居しているという訳ではなく、 母上は父上の妾で、父上は正妻と一緒に住んでいるのだそうだ。

母上は時々父上と会っている様子だけれども、 僕はタイミングが悪いのか物心付いてからと言う物父上に会った記憶がない。

ただ話に聞くだけだ。

ああ、よく考えると複雑な人間関係かも知れない。

複雑な人間関係には余り足を踏み入れたくないから考えるのをやめよう。

家族関係の事を頭から振り払うように、僕はお茶請けのスコーンを囓った。

 

アフタヌーンティーが終わって、ソンメルソがアクリル版を加工している所を見たいというので、 一緒に工房に入った。

ソンメルソは毎日のようにお茶を持ってきてくれている。

なので有る程度工房の勝手が分かっていて、余り色々と注意をしなくて良いので助かる。

「此がアクリル版。

此の間に布を挟んで、溶剤を使ってくっつけるんだよ。」

「へ~、アクリル版は初めて見た。

硝子みたいだけどどう違うんだ?」

僕がアクリル版を見せると、ソンメルソが興味深そうにアクリル版を見つめる。

「硝子との違いかぁ。

まずは根本的に原料が違うかな。

ガラスの原料は珪砂だけど、アクリル版の原料は石油なんだ。

後は重さも違うし、アクリルの方が傷が付きやすいなぁ。

そんな感じ?」

「石油製品か、なるほど。

それでアクリル版は高いんだな。

今まで硝子との違いが解らなくてね。

なんで高いのか解らなかったんだよ。」

「まぁ、ぱっと見だと解らないよね。」

そんな話をしながら、僕は作業を進める。

アクリル版の上に布を敷いて、ひたひたになるくらいに溶剤を布に染み込ませ、 更に上にアクリル版を乗せてサンドイッチする。

溶剤の匂いが鼻につくのかソンメルソが鼻と口を押さえる。

僕も鼻を押さえたいけど、アクリル版のサンドイッチを押さえなくてはならないので、 両手が塞がっていてそれが出来ない。

まあ、色々と作業をしていると色々な匂いが付きまとうから、 此もいつもの事と言えばいつもの事だ。

布を挟んだアクリル版がくっついたら、今度はニードルで切りたい形に線を引いて糸鋸で切る。

それから、切った物に軽く熱を当ててカーブを付け、けばけばになった断面を鑢で削る。

言葉で説明するとあっという間だけれども、実際に作業をすると結構時間を食う物で、 鑢がけをしている間にソンメルソがお茶を淹れて持ってきた。

「疲れただろ、少し休めよ。」

「ああ、ちょっと休もうかな。

鑢がけしてたら手が疲れたよ。」

手に着いたアクリルの粉末を落としてから、熱い紅茶を一口飲んだ。

 

それから暫く。

アクリルの簪が出来上がり母上に渡すと、

「あら~、良いじゃない。ありがとね。」

との事。

気に入ってくれたようで良かった。

これでリテイクとか来たらもう大変な訳で。

ほっと一安心していると、母上が今度は掌ほどの大きさをした瓶を出して来た。

中にはどろっとした液体が入っている。

「はいこれ。」

「はいこれって何ですか此は。」

嫌な予感がする。

「今度は漆塗りの簪が欲しいな。

一本刺しで良いから作って。」

やっぱりそんな事だろうと思った。

と言う事はだ、この瓶の中身は漆だ。

しかしそんな物を渡されても、漆細工は僕の守備範囲外な訳で。

「母上、漆塗りは自信がないです…」

「え~、アーちゃん漆買って来ちゃったじゃない。」

「だから何処で買って来るんですかそんな物。

漆細工が欲しかったらジャポンからの輸入品を扱ってるお店で買って下さい。」

僕の言葉に母上は酸っぱい顔をするが、構わずに畳みかける。

「大体漆って乾くのに凄く時間が掛かるんですよ。肌に付くとかぶれるし。

仕事の方に支障が出たらどうするんですか。」

そこまで言うと母上も諦めがついたのか、溜息をついて言った。

「時間掛かるのか~、じゃあいいや。

お父様にねだって漆の簪買って貰うわ。」

「初めからそうして下さい。」

そんな訳で、僕は何とか漆塗りを回避したのだった。

 

ところがある日の事、いつも僕にジュエリーの制作を注文して下さるお客様がこんな事を言った。

「実はね、漆塗りの髪飾りが欲しいという人が居てね、君に頼みたいんだよ。」

「はぁ…漆ですか。」

漆って先日母上の依頼蹴ったばかりだよとか思いながらも、 お得意様なので無碍に断る訳にもいかない。

全く漆の扱いが解らないのなら断りようも有るのだろうが、前に何度か扱った事が有るからなぁ…

「漆細工は時間が掛かると聞いているからね、焦らないで作ってくれて構わないよ。」

「はい、わかりました。」

急かされなくて良かった。

こうやってのんびり待っていてくれると、こちらとしては非常に助かる。

時々「死ね」と言わんばかりに無理な納期で注文してくる人が居るからなぁ。

そう言う人には色々と説明をして、適正な納期に延ばして貰う事が偶にあるのだが、 この人は割といつも余裕を持って注文してきてくれるので助かっている。

そんなやり取りの後、大体どんな物を作って欲しいのか細かい注文を聞いて仕事を正式に受ける。

聞いた感じだとそんなに複雑な形にはしなくて良いみたいなので、 木の削り出しはそんなに苦労しないで済みそうだ。

 

そして翌日。早速作業に取り掛かった。

まずは角材を薄くスライスし、更にそれを細長く切る。

この作業がなかなかの曲者で、なかなか上手くいかない。

一~二時間に及ぶ悪戦苦闘の末、一本の細い棒を切り出した。

しかしその棒の、その形のままでは簪に出来ないので、先細りになるように鉋がけをする。

太くしたい方を固定し、鉋を当てて一気に引く。

それを全体のバランスを見ながら繰り返し、出来上がったのは細長い四角柱。

根気が居るのはこれからで、この棒をなめらかになるまで鑢がけしなくては為らない。

そんな感じでずっと作業に没頭し、 気が付いたらランチティーもアフタヌーンティーも過ぎて夕食の時間。

とりあえず、夕食を食べて一息つこうと思った。

 

作業を始めて数日、何度か漆を塗った簪は、だんだんそれっぽい物になってきた。

漆を使うのも久しぶりなので何とか一安心と言ったところだ。

ふと、気がゆるんだのか僕の手から漆刷毛が落ちて、 反対側の手首の内側にべったりと漆が付いてしまった。

「ぎゃっ!落とさないと…」

これには思わず声を上げる。

こんな所に付いたら絶対かぶれると言う所に付いた漆を油でふき取る。

ああ、きっと酷くかぶれるんだろうな…

そう思いながら、今日塗った漆を乾かす為に、簪を乾燥棚に置いた。

時計を見ると丁度お茶の時間。今日の作業はこの辺で終わりにしてお茶でも飲もう。

 

作業着から着替えて応接間に行くと、今日はメチコバールが来ていた。

「あ、メチコバール。丁度良い所に来てるね。」

「丁度良い所って、何かあったのか?」

彼は一瞬顔を顰める。

その様子に僕は一瞬ビクついたが、用件を軽く説明する。

「実は今漆塗りの依頼を受けててさ、漆を塗ってるんだけど、 ちょっと漆を手首にべったり塗っちゃったんだよ。

かぶれに効く薬とか無いかな?」

それを聞いたメチコバールが、今度は溜息をついた。

「漆を塗ったのか。

漆に付ける薬はないぞ。

まだかぶれてないんだったら、日に当たらない様にする位だな。」

「え、薬無いの?」

「漆職人だったらそれくらい常識だろう。」

「いや、僕漆職人じゃないから。」

よく解らない事を言われた気がするけど、そうか、日に当てなければいいのか。

そう思って安心していると、とどめの一言。

「まあ、手首だったら確実にかぶれるな。」

そんな事言わないでくれよ。

 

今日の花は「木瓜」

花言葉は「平凡」

その花言葉通り、多少ごたごたは有る物の、割と平凡な日が続いた気がする。

 

†next?†