五月に入ってから、母上が忙しなく家の中の飾りに凝り始めた。
何処からかアイリスを仕入れてきては家中に飾っている。
さらに居間にあるこの時期は使われていない暖炉の上に赤い布を敷き、 更にその上に甲冑の兜の部分だけが置かれ、しかもその兜の横には何を思ったのか、 釣り竿にルアーがぶら下がっている物が飾られている。
一体何が有ったのか。母上を捜して訊いてみると、
「五月には『タンゴノセック』っていう男の子のお祝いの日が有るんだって。だから。」
「だからと言われても、その説明だけじゃいまいち良く解らないです…」
「『タンゴノセック』はジャポンの風習でね、アイリスを飾って悪い物を追い払うんですって。」
なるほど、それで家中にアイリスを飾っているのか。しかし、 それにしても兜とルアーを飾っている理由が解らない。
「あの兜とルアーの付いた釣り竿は何なんですか?」
「あれはね、この前あったモモノセックで言うところのオヒナサマに当たるらしいわよ。
兜を飾るのは。
ルアーはね、『コイノボリ』って言うのも飾るらしいんだけど、どういう物か良く解らなかったから、 魚型した物をとりあえず飾ってるの。」
「また曖昧にジャポンの風習に従ってますね。」
本当に母上は珍しい物好きだなぁ。
しかし、男子のお祝いの日の準備をしていると言う事は、一応僕のことを祝っているのだろうか。
だとしたら、まぁ、曖昧な執り行い方だけれども悪い気はしない。
そうかそうかと感慨深く兜とルアーを見つめていると、母上がこんな事を言いだした。
「と言う訳で、今日タンゴノセックのパーティーがあるから。
あなたも行くのよ。」
「え?また?」
多分僕は嫌な顔をしたんだろう、母上が酸っぱい顔をする。
「また?じゃないの。
折角のお祝いの日なんだから。」
「いや、お祝いの日だからこそ静かに過ごさせて下さい…」
どうにかこうにか反論すると、母上が息巻いてこう言う。
「何言ってるの、男の子のお祝いの日って言ったら男を上げる日でしょ。
あなたも男を上げるべくお嫁さんを探すのよ。」
何か無茶苦茶言ってる!
男子のお祝いと男を上げることは絶対イコールでは繋がらないと思うのですが母上。
そう言いたいのだけれど、なかなか口から言葉が出て来ない。
「判ったわね。ちゃんと準備するのよ。」
結局僕が何も言えないまま、母上はそう言い残して部屋に行ってしまった。
こうなってしまっては仕方がない。
僕もパーティーの準備をするために部屋へ戻った。
そして夜、パーティーが始まった。
そう、パーティーなのだ。
僕はモモノセックの時のパーティーを思い出す。
あの時出会ったメリーアンという女性が、今でも僕の心に引っかかっている。
またあの時と同じ様な、パーティーというこの空間で彼女に会えないだろうか。
そう思って僕は周りを見渡しながら会場内を歩く。
暫くうろうろしていたら、姦しい声があっという間に僕を取り巻いた。
「ごきげんようデューク、今日は男の子のお祝いの日ですってね。」
「お母様にお嫁さんを探しなさいって言われたって本当?」
ロザリンとエメラダだ。
嫁探しの事なんか何処の誰から聞いたんだろう。
「うん、まあ、言われたけど…」
僕がエメラダの言葉を肯定すると、二人から歓声が上がる。
「本当?
じゃあ是非とも私をお嫁さんにして!」
「ずるいわロザリン!
デューク、私もお嫁さん候補にしてくれるわよね?」
「いや…あの…」
不味い、このまま話を進められたら大変な事に為るぞ。
僕はこの二人を嫁に貰う気は毛頭ない。
この事態を打破すべく、僕はありったけの気合いを込めて二人に言った。
「母上に嫁探ししろとは言われているけど、この場で探す気はないから。
二人には悪いけど。
それより僕、他に探してる人が居るんだ。
だからちょっと失礼するよ。」
その言葉を残して二人から離れる。
何とか言えた、言いたい事だったのかどうかは判らないけれど、 とりあえず一難去った感じではある。
後は、会場内でメリーアンを探すだけだ。
ふと僕は思い出す。
…メリーアンってどんな顔だったっけ…
そう言えば前に会った時は暗い中だったので、余りよく顔が見えなかったのだった。
その事に気づき、足を止めて頭を働かせる。
考えろ、何としても見つけだすんだ。
いや、こういう場なのだし、普通に片っ端から色々な人に聞けば、 誰かしら判りそうな物なのだが。
しかしどうしても、自分で言うのも何だが、僕は内気だし、気が弱い物で、 知らない人に声を掛けるなんてそうそう出来る物ではない。
かと言って、母上に聞くのも何だしなぁ。
やっぱり勇気を出してその辺の人に聞いてみるか…
そんな事をぐるぐる考えながら彷徨いていたら、見慣れた顔を見つけた。
「おや?デューク、今日は食料のテーブルに囓り付いて無いんだな。」
「やぁ、ソンメルソ。今日はちょっと人を捜してて。」
知った顔を見つけて少し安心する。
「人を捜してるねぇ。
母君に嫁探しをしろと言われたらしいけど、それと関係有るのかい?」
「え?なんでそんな事君が知ってるんだ。」
「いや、その辺で小耳に挟んだんだが。」
噂って怖いなぁ。
何時の間に何処まで広がってるか本当に解らない。
僕が噂の怖さを身に染みて感じていると、ソンメルソがこう言う。
「まあ、嫁探しなんて無理にする物でもないと思うし、余り気にしなくて良いんじゃないかな。」
「あはは…僕もそう思うよ。」
良かった、急いで探せとか言われなくて。
そう、探すと言えば。
まさかソンメルソがメリーアンの事を知っているとは思えないけれど、一応訊いてみよう。
「そう言えば、ソンメルソはメリーアンって言う女性の事、知らないかい?」
「メリーアン?」
僕の問いに彼は顎に手を当てて首を捻る。
やっぱり知らないかなぁ…
僕がそう思っていると、意外な反応が返ってきた。
「聞いたこと有るぞ。
何でも占いの名手だとか。一応見たことも有るんだが…
その人が何か?」
知ってた!見たことも有るなら話は早い。
僕は用件を彼に伝える。
「実はそのメリーアンと言う女性を捜して居るんだ。
見たことも有るんだったら一緒に探して貰えないかな。」
するとソンメルソは怪訝そうな顔をして僕に尋ねた。
「構わないが、探してどうするんだ?」
まさかそんな事を聞かれるとは。
実のところ僕も特に用事があって探しているという訳ではなく、ただ心に引っかかっていて、 ただもう一度会いたいと言うだけなのだ。
しかし、素直にそう言って納得して貰えるかどうか。
だから僕は、
「いや、占いをお願いしてみようかな、何て思ったんだよ。そう、占い。」
と適当な返答を返す。
その答えにソンメルソはまだ納得がいかない様子だったけれど、 探すのを手伝ってくれる事になった。
暫く会場内を二人で探し回っていると、ソンメルソがふと僕のことを肘でつついた。
「どうしたの?」
僕が訊ねると、彼は目で少し離れた所に居る女性を指して僕に言う。
「あの人だ。
あの壁際にいる、紫のドレスの女性がメリーアンだよ。」
ソンメルソの視線を辿ると、確かに壁際に紫のドレスを着た女性が立っている。
前に会った時と違うドレスを着てはいる物の、漂う雰囲気は前に会った時と同じだ。
「ありがとう、少し話してくるよ。」
僕はソンメルソに礼を言って、メリーアンに近づき、声を掛ける。
「ごきげんよう。
あの、メリーアン…ですか?」
少し自信に欠ける僕の言葉に、彼女は可憐な微笑みを浮かべて答える。
「はい、そうです。
貴方とは前にお会いしましたよね。
デュークでしたっけ?」
「はい、そうです。
宜しかったら一緒にお話でも如何ですか。」
そう簡単に言葉を交わしているだけなのに、何故か胸が高鳴る。
これは何でだろう。
その高鳴りが何なのかは解らないけれど、 メリーアンと話が出来ると言う事が、とても嬉しかった。
暫く彼女とたわいの無い話をする。
その話をしている中、僕はふと、彼女が身につけている髪飾りに目が行った。
「あれ?失礼ですがその髪飾りは…?」
僕が訊ねるとメリーアン曰く、
「今月私の誕生日が有るので、お父様が誕生祝いに下さった物です。」
とのこと。
彼女は不思議そうな顔をして僕に尋ねる。
「この髪飾りがどうかしましたか?」
「実は、その髪飾りにそっくりな物を作った事があるのですが…
偶然ですよね、多分。」
そう、その髪飾りは僕がお得意様に頼まれて作った髪飾りに瓜二つなのだ。
僕が髪飾りを気にしていると、メリーアンは髪飾りを外して僕に手渡す。
「それでしたらもしかしたら貴方が作った物かも知れませんね。
宜しかったらご覧になってみて下さい。」
渡された髪飾りをぢっと見てみると、僕が作った証である刻印が、きっちりと入っていた。
「これ…僕が作った物です。
まさか貴女があの人の娘さんだったなんて。」
これはとても驚きだ。
僕とメリーアンは、意外と近い知り合いだっただなんて。
その事実に、僕は何となくこそばゆさを感じながらも、嬉しくて仕方がなかったのだった。
パーティーから数日後。
母上に呼び出されこんな事を言われた。
「あなた、露店を出すのに台持ってたわよね。
ちょっと貸してくれないかしら?」
「はぁ…良いですけど、何に使うんですか?」
「ガレージセールをやろうと思ってね。
台が居るの。」
ガレージセールと言うのは、不要になった物を軒先や庭先に並べて置いて、 それを見て気に入った人が、欲しい物を持っていく変わりに、 同等の価値がある物を置いていくと言うもの。
母上は何かと物を溜め込んでいるから、置く物沢山あるだろうなぁ。
そんな事を思いながら、僕は折り畳み式の台を母上の所へ持って行く。
母上はその台を早速庭先へ持って行き、自室の中からこれでもかと言うほど本を持ってくる。
母上は読書が趣味な物で、新しい本が出るとすぐに買っては部屋の中に溜め込んでいく。
どれくらい溜め込んでいるかというと、本棚から本が溢れて床に平積みされる程だ。
で、今回のガレージセールはその夥しい数の本を何とかしようという事らしい。
しかし、ガレージセールとは言っても、特に店番が必要な訳でもなく、ただ置いておくだけなので、 物品の設置以外に母上が何か手を患わせると言う事もなく。
台の上に一頻り本を積み終わった母上は、居間に戻ってきてお茶を飲んでいる。
「そう言えばこの前のパーティーの事だけど。」
ふと母上が僕に話しかけてくる。
「この前のパーティーが何ですか。」
「あなた紫のドレス着た女の子と仲良さそうに話してたわね。
アーちゃん遠目からしか見てなかったから女の子の顔見えなかったけど。」
女の子というのはメリーアンの事だろう。
突然彼女の話を出されてか、僕の顔が突然熱くなる。
それを見て母上が僕に言った。
「どうしたの急に。顔赤いわよ。」
どうしたのと言われても、どうして顔が赤く為るのか僕にもわからない。
その旨を母上に伝えようと口を開く。
「どうしたって言われても何でか解らないです。
ただ、この前の女の子の事を考えると、何かぼーっとするし、ドキドキするし、顔が熱くなるし。
何かおかしいんですよね。」
それを聞いた母上は少し驚いて、お茶を一口飲んでから真面目な顔をしてこう言った。
「それはね、多分その子の事を好きになったのよ。あなた。
私もあなたのお父様に会った時そうなったもの。
でもアーちゃん安心したわ、あなたにも好きな人が出来て。
このままずっと好きな人が居ないままなのかと思ってたから。」
その言葉を聞いて、僕は初めて自分がメリーアンの事を好きに為ったのだと知った。
それからまた数日後。
メリーアンの誕生日に、僕は彼女の家に行った。
勿論、誕生日プレゼントを持って。
僕が彼女への誕生日プレゼントに選んだのは、中に苔のような包有物の入った、 ガーデンクォーツと呼ばれる水晶だ。
他にも色々な宝石とか、探せば沢山あるのだろうけれど、 いきなり余り高額な物をプレゼントしても相手が戸惑ってしまうだろうし、 何よりこう言う物は高ければいいと言う物ではないと思ったから。
僕が趣味で集めている石の中から、これという物を探してみた。
多分、ルビーやサファイアやエメラルドなんて見慣れているだろうから、 きっと見たことがないような、素朴だけれども他の宝石に負けない位綺麗な石を選んだつもりだ。
メリーアンの家の前に着き、呼び鈴を鳴らす。
それから、メリーアンを呼んで貰って待つこと暫く。
今日は浅葱色のドレスを着たメリーアンが玄関先にやって来た。
僕はプレゼントの入った箱を彼女に手渡す。
「誕生日おめでとう。良かったらこれどうぞ。」
「え?いいんですか?有り難うございます。」
少し驚いた様子の彼女は、おずおずと箱を手に取る。
「あの、中身を看ても良いですか?」
少しはにかんだ様子でメリーアンが僕に訊ねる。
「勿論。開けてみて下さい。」
僕がそう答えると、彼女は早速、箱に掛かったリボンを解き、箱を開ける。
箱を開けると中には、クッション変わりに何重にも紙でくるまれた物が入っていて、 メリーアンはその紙も一枚ずつ丁寧に剥がしていく。
そして紙を全部剥き終わると、彼女の表情が輝いた。
「まぁ、素敵な石…」
メリーアンは箱から石を取りだして、陽に透かして眺める。
「こんな石初めて見ました。」
「多分珍しいと思って、それにしたんです。
気に入ってくれましたか?」
「勿論です!ありがとう。」
無邪気に喜ぶメリーアンを見て、僕は思わず笑顔になった。
今日の花は「フクシア」
花言葉は「趣味」
その花言葉通り、趣味でやっていることが誰かを喜ばせることもある。そう思った日だった。