十月も半ばに入り、気候も大分涼しくなった今日この頃、 十二月のホリデイシーズンに向けて仕事が沢山入っていて、 忙しくも引き篭もりがちな日々を送っている筈の時期だ。
『筈』と言うのは、まあ、 今は全然仕事を入れていなくて暇な日々を過ごしているからなのだけど。
仕事を入れていない理由は簡単で、前々から体調がおかしいと言っていたけれど、 いよいよ仕事もままならない状態になって来たのだ。
なので近頃は部屋のベッドと食堂、 それからお茶の時間に行く応接間を往復する日々が続いている。
「困ったなぁ…」
自分以外居ない部屋のベッドの上で、何とも無しにそう呟く。
何時までも、体調を悪くして置くわけにも行かないんだけど…そう思ってもままならない訳で。
医者か何かに見て貰った方が良いのかな。
ぼんやりとそんな事を考える。
医者と言えば。今日のお茶の時間にメチコバールが来るって言ってたから、 その時に聞いてみようかなぁ。
アフタヌーンティーの時間になり、僕はお茶が用意されている応接間へと向かう。
応接間に入ると、いつもの様に母上とメチコバールが待っていた。
「やぁ、近頃はどうだ?」
心配そうな様子でそう訊ねてくるメチコバールに、僕は苦笑いを返す。
「もう調子悪くて駄目なの。毎日殆ど寝てるのよ。」
僕の代わりに母上がそう言うと、メチコバールは渋い顔でお茶を飲む。
「少し、診て見た方が良いかな。
何時までも夏バテというのには、そろそろおかしい季節だ。」
そう言って彼は自分の座っていた椅子を、僕が座って居る椅子の近くまで持って来て座る。
それから、僕に口を開けさせて口の中を見たり、手首を取って脈を計ったり。
他にもどこからとも無く紙筒を取り出して、心音を聴いたりもした。
とりあえず、その場で出来る診察を終えてから、メチコバールは難しそうな顔をして腕を組んだ。
「難しいな…
何処が悪いとは一概には言えないと言うか…」
「え、そんなに色んな所が悪いの?」
一概には言えないと言う言葉に、僕は思わず不安になる。
しかし彼の言い分はこうだ。
「いや、色々な所が悪いわけではなく。
際だって悪い所が見あたらないんだ。
脈も正常だし、喉も腫れていないし、肺の音も普通だしな。
体調の悪い原因が皆目見当も付かないと言うのが実の所だ。」
原因が分からないと言うのはそれはそれで困るなぁ。
僕と母上が溜息をつく。
そこでふと、僕の頭に有ることが過ぎった。
「ねぇ、メチコバール。
もしかして僕、毒を盛られてるとか無いよね?」
冗談めかしてそう言う僕の頭に過ぎったのは、野外パーティーの時にメリーアンから聞いた彼女の夢。 僕が毒殺されると言う夢の話だ。
「まー、縁起でもない事言わないの。」
僕の言葉に母上は酸っぱい顔をするし、メチコバールも『何を言う』と言った顔になる。
「そんな毒を盛られるほど恨みを買った覚えでもあるのか?
私はお前が毒を盛られる程顔が広いとは思えないのだがな。」
あ、今さり気なく酷い事言った。
「そうよ。
引き篭もりなのに他の人から恨みを買う様な事なんて有るの?」
母上も言うなぁ。
でも、酷いとは言え二人の言う事ももっともな物で、 人見知りで引き篭もりのおかげで恨みを買うような覚えは全く無い。
それでも、やっぱりメリーアンの言葉が気に掛かる。
体調が悪いって言うのを知られてしまうのはちょっと何な気がするけれど、 メリーアンに占って貰おうかなぁ。
それで、特に何もないって言うのなら、その内体調も元に戻るだろうし。
そうだ、そうしよう。占って貰おう。
何時メリーアンの家に行こうかな…
数日後、僕はメリーアンの家を訪れた。
それがたまたま、丁度お茶の時間だった物で、僕も一緒にお茶を戴くと言う事になり、 応接間に通される。
メリーアンに案内されて応接間に行くと、何時も僕の所でジュエリーの注文をしてくれるあの人、 メリーアンの父君が居た。
「お父様はもう何度も会っていると思いますけど、 彼が私とお付き合いをして下さってるデュークです。」
「どうもこんにちは。」
メリーアンが簡単に僕の事を紹介すると、父君も挨拶をする。
「やぁこんにちは。君か、メリーアンとお付き合いをしているというのは。
まさかこんな形で会うとは思わなかったねぇ。
これから、娘の事を宜しく頼むよ。」
「はい、任せて下さい。」
任せて下さいと言ったは良い物の、今はまだ体調的に不安な気はするけれど。
それから暫く、僕とメリーアンと父君の三人で、 お茶を飲みながら何て事のない閑談を暫くしていた。
「所で、今日は一体何の用があって家に来たのかな?
見たところただお茶を飲みに来ただけという訳では無さそうだが。」
ふと、父君にそう訊かれて、僕は苦笑いを浮かべて答える。
「実は…夏頃からずっと体調が悪くて。
友人の医者にも診て貰ったのですけど、いまいち原因が分からなくて。
それで、メリーアンに何で体調が悪いのか占って貰おうかと思って来たんです。」
僕がそう言うと、メリーアンが不安そうな顔をして言う。
「やっぱり、体調が宜しくないんですね。」
「…心配掛けて御免。」
多分この様子だと、野外パーティーの時に会ってからずっと、僕の事を心配していたんだろうな。
父君の方も、僕の話を聞いて心配そうな顔になり、僕に言う。
「なるほど、それで最近仕事を受けていないのか。
メリーアン、お茶を飲み終わったら占ってあげなさい。」
「はい、お父様。」
父君に言われて、メリーアンが心なしか急いでお茶を飲んでいる様に思えたので、 僕も急いでお茶を飲んだ。
お茶を飲み終わると、僕はメリーアンに案内されて、奥にある小さな部屋へと通された。
そこには上に大きな水晶玉が置かれた小さなテーブルと、 それを挟んで向かい合わせに一人がけのソファーが二つ、置かれている。
「占いをする時は、何時もこの部屋を使って居るんですよ。
どうぞ、そちらの椅子にお座りになって下さい。」
手前側の席を勧められて僕が座ると、彼女も奥の席に座る。
「何を使って占うんですか?」
占いなんて今まで興味もなかった物で、 占い師というのは一般的に何を使って占いをするのか全く知らない。
そんな僕の疑問にメリーアンが少し笑って答えてくれる。
「この水晶を使って占うんです。」
「へぇ、この水晶で。」
メリーアンの目の前に置かれた水晶玉は、それはそれは見事な物で、 両手で包みきれない程の大きさが有りながら、一点の曇りも無い。
…欲しいなぁ。
いやいや、他の人の仕事道具を欲しいとか言ってもどうしようも無いのだろうし、 よく考えるとこれから占って貰うのに欲しいとか思っている場合じゃないのだろうけど。
でも、こんなに大きくて曇りのない水晶は滅多に採れる物ではない。
これは良い物だよ。うん。
ところで、これで占うと言っても、一体何がどうなるのだろう。
「この水晶で、どうやって占うのですか?」
再び僕の疑問にメリーアンが答えてくれる。
「そうですね、なんて言えば良いんでしょう。
人によって見え方が違う見たいなんですけれど、この水晶の中に色々写って来るんですよ。」
「それは凄い。それって貴女にしか見えないのですか?」 「えっと…そう言う事を聞かれたのは初めてですね。
でも、占いの依頼主さんには大概見えていないのではないかと思います。」
何か質問ばかりだな、僕。
ちょっと困らせてしまったかな?
そんな事を思っていると、メリーアンが真剣な顔で僕の方を向き直る。
「そろそろ占いの方を始めたいと思います。
この水晶玉に集中して、占いたい事を念じて下さい。」
遂に占いが始まると言われて、僕の気も引き締まる。
言われた通り、水晶玉に集中し、占いたい事を念じる。
本当はメリーアンとの仲とか、仕事の具合とかも占って欲しい気はするのだけれど、 今は体調不良の原因を探すのが最優先だ。
僕がぢっと水晶玉を見つめると、メリーアンが水晶玉に手をかざす。
彼女もかなり集中している様だ。
二人して無言で水晶玉を見つめる事暫く。
「見えてきました。」
僕の目には何も変わった所は見受けられないのだけれど、メリーアンは言葉を続ける。
「貴方は大分前から体が弱く有りませんか?」
突然の問いかけに、ちょっと驚きながら答える。
「あ、はい。
子供の頃はそうでもなかったと思うんですけど、有る程度大きくなってから、 急に体が弱くなりましたね。」
「そうですか…」
それと今占って貰っている事と、どういう関係があるのだろう。
疑問と言えば疑問だけど、相手は慣れた占い師。きっと何かしらの意図があるに違いない。
ふと、水晶玉を見つめていたメリーアンが溜息をつき、少し青ざめた顔でこう言った。
「どうやら、もう何年も昔から毒を盛られ続けている見たいです。
体が弱いのは恐らくそのせいかと…」
「え、嘘…」
余りの事に頭が真っ白になった。
「えっと、でも僕、ここ最近以外はそんなに取り立てて何処が悪いって事も無かったし、 何処を見ても毒を盛られているとは解らないと思うんだけど。」
自分で頼んで置いて何なのだけど、メリーアンの言葉を信じたくなかった。
だって、そんなに昔から毒を盛られ続けて居るんだったら、 体の何処かに兆候が出ても良さそうな物だし、兆候が出てたらメチコバールが見逃す筈もないし。
困惑する僕に、メリーアンがこう言う。
「貴方は、もの凄く肌が白いですよね。
まるで何年も日に当たって無いかのように。」
「え?それはよく言われるけど…
仕事とかで家に引き篭もってるからだと思いますよ。
それが何か関係有るんですか?」
また余り関係無い様な事を言われた気がしたので、メリーアンに訊くと、 彼女は一際真剣な眼差しで僕を見て答えた。
「貴方はジュエリー職人ですよね。
でしたら家で仕事をしていたとしても、金具の鑞付け等で肌が焼けて黒くなる筈です。
けれど、貴方にはそれがない。職人にしては白すぎるその肌が、 毒を盛られていると言う何よりの証拠です。」
僕は思わず自分の両手を見つめる。
確かに言われてみると、今まで会った事の有る他のジュエリー職人は、皆一様に、 季節を問わず浅黒い手をしていた気がする。
何て事だろう。肌が白いの何て、僕は勿論、周りの人だって当たり前の事になっていたのに、 それがそもそものサインだっただ何て。
「何か、何とか直す方法は有りませんか。」
震える声で訊ねると、メリーアンは僕の手をそっと取って答える。
「髪の毛に毒が溜まっているので、お医者様の方で調べていただいて、中和剤を出して貰えば…」
何とかなる。そう思った僕は、両手でメリーアンの手を掴む。
「ありがとう。
それで何とかなるんだったら知り合いの医者に相談してみるよ。」
「…はい。」
メリーアンはまだ不安そうだ。
「大丈夫です。
体が治ったら、貴女の為に婚約指輪を作りますよ。」
ちょっと気が早い気はするけれど、良いことは何でも早めが良い。
そう思って僕が言うと、メリーアンも少し笑顔になった。
今日の花は「フォックスフェイス」
花言葉は「偽りの言葉」
その花言葉通り、メリーアンに言った言葉が嘘にならない様に、僕はただ祈るばかりだ。