デュークに最期の挨拶を済ませた後、ドラゴミールは走って仕立て屋に向かった。
最期の挨拶をしたとき、デュークはゆとりが多めの、 けれども仕立ての良い死装束を纏っていた。元々白かった肌は冷たくなったことでより透き通るようになり、 赤く健康そうだった唇も、青ざめていた。
それを見て、どうしようも無く不安になった。このままではカミーユまで失うことになるのでは無いか。漠然とした、 確かでは無い不安が重くのし掛かる。
アヴェントゥリーナの屋敷のある区画から、 庶民の家や店が有る区画まで休まずに走り続ける。礼装用の靴を履いているので足が痛くなったけれども、 そんな事には構っていられない。
走って、走り続けた末に辿り着いた仕立て屋。そのドアをノックすると、いつも通りギュスターヴが出迎えてくれた。
「あれ? この前来たばっかなのに急にどうしたんだ?」
不思議そうな顔をするギュスターヴに、ドラゴミールは疲れ切った顔に笑顔を浮かべて訊ねる。
「なんか、急にカミーユに会いたくなって。
カミーユ居る?」
すると、ギュスターヴは笑って言う。
「ああ、兄貴なら部屋に居る。ドラゴミールが来てくれたから、元気出るかな?」
けれどもその笑顔は、無理をしているように見えた。
ギュスターヴに案内されて、初めてカミーユの部屋に入った。部屋の中には小さな机と、 壁際にベッドが置かれていて、カミーユはベッドに腰掛けている。
「あ、ドラゴミール、いらっしゃい」
嬉しそうにそう言うカミーユと握手をして、あの不安は杞憂だったのだと、ようやく気持ちが落ち着いた。
「なんかあんま間を置いてないし手土産もなくて悪いんだけどさ、なんか会いたくなって」
「そうなの? 嬉しいなぁ」
お互い隣り合ってベッドに座り、暫し話をする。ふと、カミーユのお腹が鳴った。
「あれ? お腹空いた?」
「うん。なんか、仕事が休みの時っていつもお腹が空いてて」
恥ずかしそうにそう答えるカミーユを見て、しょうがないなと言った風にドラゴミールが言う。
「そっか、それじゃあ居間に行ってアルフォンスになんか作って貰う?」
「えっと、何か作って貰いたいけど、あの」
もしかして食べ過ぎを気にしているのだろうか。過酷な仕事明けなのだから、 多少食べすぎるくらいで良いと思うのだけれど。そうドラゴミールが言おうとすると、 カミーユは困ったような顔をしてこう言った。
「僕、歩けなくなっちゃって。
もし良かったら居間まで運んで欲しいんだけど、いいかな?」
「お、おう。もちろん良いさ」
カミーユは、冗談で言っているのだろうか。嫌な動悸を感じながら、 ドラゴミールはそっとカミーユの背中と脚を支えて持ち上げる。落ちないように首に回された腕には力が入っているけれども、 左腕に掛かった脚には、全く力が入っていなかった。
カミーユとその弟達と、一緒におやつを食べた後、 ドラゴミールはどんよりとした気持ちを抱えたまま宿舎に戻った。嫌な予感は、 的中はしなかった。けれども外れもしなかった。カミーユはこれから、どうやって生活をするのだろう。仕事は、 刺繍が出来るからこれからそれで身を立てていくと言っていたけれども、足が利かない困ることも多いだろう。
デュークを喪いカミーユが不自由になって、その事を受け止めきれずに居た。ひとりで堪えるのが辛くて、 宿舎に着くと自然とシルヴィオの居る部屋へと足が向いた。
部屋の前に着いてドアをノックすると、すぐにシルヴィオが顔を出した。
「どうした?
……おい、お前本当にどうしたんだ!」
驚いた顔をしたシルヴィオが、両手でドラゴミールの頬を包む。その親指で瞼の下を拭う物だから、 それでようやくドラゴミールは自分が泣いているのだと気づいた。
沢山話したいことがあるはずなのに、何を話せば良いのかがわからない。それを察したのか、シルヴィオは何も言わず、 ドラゴミールの身体をぎゅうと抱きしめた。
その日の晩は、ドラゴミールの部屋にシルヴィオを招いて、浴びるほど酒を飲んだ。途中、 飲み過ぎを心配したシルヴィオに止められはしたけれども、それでも何故か、 全然酔うことが出来なかった。いくら飲んでも言いたいことは口から出てこなくて、ただただ涙だけが溢れる。
「そんなに泣きながら飲んでも、不味いだけだぞ」
「そうだけど、でも」
ずっと泣いている姿を見て、シルヴィオは溜息をつく。ワインがまだ残っている瓶をドラゴミールから奪い取り、 直接口を付けて飲み干して言う。
「もう寝た方が良い。これ以上起きていてもどうにもならないだろう」
その言葉に、ドラゴミールはシルヴィオの手を握って返す。
「じゃあ、一緒に寝てくれ」
「一緒に? なんでだ」
「……ひとりになりたくない……」
ここでひとりになったら、 シルヴィオにも何かあるのでは無いかと不安で仕方なかった。わがままを言っているのはわかっているけれども、 ひとりになるのが怖かった。
シルヴィオは困ったような顔をしたけれども、優しくドラゴミールの頭を撫でる。
「わかった。今晩だけだぞ」
「……ん」
二人はテーブルの上のグラスをそのままにして、服も着替えずに、 靴を脱いでベッドに潜り込む。この部屋のベッドは少し広めに出来ているけれども、 やはり男二人で寝るには若干手狭だ。ベッドから落ちないように、お互いしっかりと抱き合う。
自分を抱きしめている腕の温もりが眠気を誘う。泣き疲れたというのもあるのだろう、 そのまま吸い込まれるようにドラゴミールは眠りについた。
翌日、二人は教会へと訪れた。安息日というわけではないけれど、聖堂で祈れば少しは心が軽くなるだとうと、 シルヴィオが言ったからだ。
教会の門を通り、聖堂へと続く道の途中に畑がある。その畑の手入れをしていた修道士に声を掛けられた。
「ドラゴミールさん、お久しぶりです。
その方はご友人ですか?」
「えっ……と、そうです」
思わず身体が強張る。話しかけてきたのはエルカナだったのだ。謝罪はされたけれども、 どうにも彼に対する苦手意識はぬぐい去れない。ドラゴミールが戸惑っていると、 エルカナはかつての厳しい面持ちはどこへやら、優しく微笑んでこう言った。
「どんなご用件でいらっしゃったのかはわかりませんが、私では話しづらいでしょう。
マルコを呼んできましょうか?」
「あ、はい。お願いします」
手に如雨露を持ったまま、エルカナは少し離れた所に居る修道士を呼びに行く。そしてやって来た修道士も、 見覚えの有る顔だった。
「どうもお久しぶりです。
そちらの方は初めましてですね。私はマルコと申します。今後ともよろしくお願いします」
その挨拶に、シルヴィオも名乗って挨拶をする。それから、二人はマルコに聖堂でお祈りをしたいという旨を伝えて、 三人で聖堂に向かった。
聖堂で三人並んでお祈りをし、それでようやく、 ドラゴミールは言いたかったことを言えた。ウィスタリアが居なくなって寂しいこと、デュークが亡くなって悲しいこと、 カミーユが歩けなくなって心配なこと、それから、これ以上友人が居なくなるのが怖いと言うことを、 何度も何度も話し続けた。シルヴィオとマルコは、ドラゴミールが満足するまで、何度でも話を聞いた。
話が切れたところで、マルコが言った。
「ご友人に、また会いたいですか?」
会いたいかどうか。それは言われるまでもなく会いたい。そして、 カミーユはまだ会いに行くことが出来る。けれどもウィスタリアはどこに居るのかがわからないし、 デュークに到ってはもうこの世には居ない。それをまたまじまじと考えてしまって、 ドラゴミールの目に涙がにじんでくる。
その手を優しく握って、マルコは言葉を続けた。
「これから百年、待ちましょう。
そうしたら私達はもう居ません。
でも、その時にまた、ご友人にもきっと会えます」
百年は長いけれども、永くは無い。また会えるのなら、百年を待つことも出来る気がした。
また会うときに笑顔で居られるように、今は泣いていても、これからも善く生きよう。