カミーユが歩けなくなり、刺繍で生計を立てるようになったある日の事、カミーユの元にある仕立て屋仲間がやってきたと、 ギュスターヴが呼びに来た。
不思議に思い、一旦刺繍の手を止めて玄関まで車椅子を漕いでいくと、確かにそこには仕立て屋仲間が一人立っていた。
彼を見てカミーユは笑顔でこう言う。
「何の用?」
すると彼は縋るような声でカミーユにこう言った。
「俺の店、ずっと仕事が来なくて、このままじゃ俺やってけないんだよ……
もうお金も無いし、今月生活するだけの金を借りたいと思って来たんだけど」
どうやら貯蓄がたっぷり有るカミーユに助けを乞おうとやってきたようだが、 カミーユは少しだけ困ったような顔をしてこう返す。
「う~ん、そうだな。
今更どの面下げて僕にそんな事言いに来られたの?」
その様子を見てギュスターヴは、カミーユが些かながらも怒っているなと思ったが、 仕立て屋仲間はそんな事にも気がつかずにカミーユの膝に縋って泣き言を連ねる。
カミーユは暫く困ったような笑顔のままで居たが、突然彼の頭に思いっきり肘を落とした。
「何すんだよ!」
「自業自得って言葉知ってる?大人しく帰れ」
「明日食べる物も無いんだよ、お前仲間を見捨てるのか?」
「都合の良い時だけ仲間にされても困るんだけどねぇ。
まぁいいや。ギュス、アルに言ってバゲット二本とブレット三斤くらい持って来て」
「お、おう」
無心されたくらいでこんなにカミーユが怒る筈は無いと思ったギュスターヴだが、 自分までカミーユの怒りをかうのは嫌なので、素直にアルフォンスの元に行きパン類を籠に入れて持って来る。
それをカミーユに渡すと、カミーユはその籠を仕立て屋仲間の顔に押しつけながらこう言う。
「お金は貸さないけど、食べる物が無いならパンくらいはあげる。
このパンを食べ尽くす前に何とかする事だね」
「なんだよ、この守銭奴!」
「守銭奴ねぇ、無心しに来たくせにそんな事言える立場なんだ。凄いね」
にこにことしたままカミーユがそう言うと、仕立て屋仲間はパンの入った籠を持って、捨て台詞を吐いて帰って行った。
その後、何故カミーユがあの仕立て屋仲間にあんな対応をしたのかをギュスターヴが訊ねると、こう返ってきた。
「え?ああ、あいつの事助走付けて殴った事有るんだよね」
「兄貴がそんな事するなんてほんとあいつ何やったの?」
普段温厚で、弟のギュスターヴですら殆ど怒った所を見た事が無いカミーユの事を、 そこまで怒らせた理由とは何なのか。
それを訊ねたら、どうやらあの仕立て屋は、店を継いで以来一度も納期を守った事が無いのだそう。
あの仕立て屋は、仕上がりだけを見ればカミーユの物よりも出来が良いし、仕事も丁寧だ。
しかし、だからといってそれが納期を破って言い理由にはならないとカミーユは言う。
「お、おう」
「作業が遅いなら遅いなりに、ちゃんと納期を長めに見れば良いのに、 何度そう言っても出来るからって言って聞かなかったんだよね。
で、実際やらせると一度も出来た事がなくて、納期を破ったって言う報告を二十回くらい聞いた辺りで殴った」
「そ、それ、兄貴が殴る理由になるのかなぁ」
「なるよ。あんまり納期破ってばっかりなのが居ると、仕立て屋全体の信用が落ちちゃうし。
それに、信用が落ちて困るのはあいつなんだから、ちゃんと納期守らせたかったんだよね」
その説明にギュスターヴはなるほどと思うが、疑問が一つ。
「兄貴、それ、ちゃんと本人に言ったか?」
「う~ん。そう言えば全部まとめて『納期守れ』の一言で済ませちゃった気がする」
「あ、それ絶対伝わってないわ」
そんな話をした後、カミーユはすぐに仕事に戻ると言って作業場へ行き刺繍枠を手に取る。
カミーユが仕事場に入ったのを確認したギュスターヴは、アルフォンスと一緒にパン屋へパンを買いに行ったのだった。