第八章 誘い

 年の暮れ、夜から朝にかけてのミサが有る日の昼下がり、 カミーユは公園で図書館から借りてきた本を読んでいた。

仕事も無事に年を越さずに済み、ゆとり有る年末となった。

 空気は冷たいが、明るい陽が差す公園。

子供達のはしゃぎ声や大人達の話し声。それを聞きながら、縁が少し茶色くなっている本のページを捲る。

難しい内容も偶にあるが、読み進めている内にわかったり、どうしてもわからない場合は神父様が教えてくれるので、 特に心配する事は無い。

 ふと、膝に載せている本に影がかかった。

「やぁ、久しぶり。

読書を満喫出来ているようだね」

 久しぶり、と言われて誰かと思いカミーユが顔を上げると、そこにはいつだったか、図書館の事を教えてくれた、 黒服の人物が立っていた。

そう言えば、図書館の事を教えて貰った時はまともにお礼を言う間もなかったと言う事を思い出し、 微笑んで返事を返す。

「おかげさまで色々な本が読めるようになりました。ありがとうございます」

 カミーユの言葉にその人は優しい視線を投げかけ、カミーユの横にあるベンチに座る。

それから、どこへともなく視線を投げ、こう言った。

「もし、私が君の脚を治す方法を知って居ると言ったら、どうする?」

 突然の思いも寄らない言葉に、カミーユは驚き、その人の方を向く。

脚を治す方法があるのなら、知りたい。脚を治して弟達の心配を無くしたいと思った。

「どうしたら、脚が治るのですか?」

 必死さが滲み出る表情で問いかけるカミーユに、その人はにたっと笑って答える。

「私と二人で、街を離れて農村で暮らしてくれるのなら、教えてあげよう」

「街を、離れて……?」

 思わず戸惑う。街を離れて仕事があるのか。暮らしていけるのか。それも不安だったが、 二人でと言うのが引っかかった。

「あの、僕、弟が二人居るんですけど、弟達も一緒にと言うのは、どうなんですか?」

 するとその人は頭を振って答える。

「弟君達と一緒というのは、良くないな。

私は君と二人でが良い」

 弟達と一緒に行けないのなら。カミーユは沈んだ表情で、その人に言う。

「それなら、ごめんなさい。僕は弟達を置いては行けません」

 その後、暫くお互いに何も言えなかった。

冷たい風が吹き、本のページを撫でる。

カミーユが読むでも無く、本に視線を落としていると、その人が立ち上がり、カミーユの手を取った。

「ああ、それは実に残念だ。

でもそうだね、これだけは言っておこう。君はなるべく、陽の光に当たった方が良い」

 手を握る力を僅かに強めた後、その人は手を離して去ってしまう。

何故陽の光に当たった方が良いのか、その理由はわからなかったが、 もしかしたらもう少し休む時間を作った方が良いと言う事なのかなと思い、 カミーユはまた本を読み始めた。

 

 家に帰り、夕食後。ミサの前に自室で最近アルフォンスが施してくれる脚のマッサージを受けながら、 カミーユが訊ねた。

「ねぇ、僕がまた歩けるようになったら、何したい?」

 その問いに、アルフォンスは嬉しそうに答える。

「そうだなぁ、みんなでピクニックとか行ってみたいな。

でも、また歩けるようになっても、またあんな風にカミーユ兄ちゃんが無理な仕事するのは、もう嫌だな」

「ふふっ。そうだね。気をつけるよ」

 歩けなくなってから早一年。足が利いて仕立て屋をしていた頃に、 弟達に甚く心配をかけてしまっていたのだと言う事が、カミーユにもわかってきていた。

アルフォンスやギュスターヴ曰く、今でも無理をして居る事が有るようなのだが、 そう言う時は声を掛けて貰うようにして、気をつけるようにして居る。

 少しずつ近づいてくるミサの時間。

そろそろ出かける準備をしようとギュスターヴが声を掛けてきたので、カミーユは弟二人の手を借りながら、 ミサに行く為に身なりを整えた。

 

 それから年が明け、またいつも通りの日常が始まる。

刺繍を刺し、休みの日には外で本を読み、偶に教会で勉強を教えて貰い、夜に物語を書く。

仕事を進めるペースはだいぶゆっくりになったけれども、元々の作業速度が速かったようで、 今のところ依頼人から苦情が来る事も無いし、納期も守れている。

 そんな日々を過ごし、季節がまた二つほど過ぎた頃。

ある日の朝、ベッドから車椅子に移ろうとした時の事、カミーユが異変に気付いた。

今までずっと動かなかった足先が、僅かに動かせたのだ。

気のせいかとも思い、何度か試してみると、やはり少しだけとは言え動いている。

 急いで、けれども転ばないように気を遣いながら車椅子に移り、居間へと向かう。

アルフォンスのマッサージのおかげか、もしかしたらまた歩けるようになるかも知れない。

居間に付くなり朝食の用意を待っていたギュスターヴに脚の事を話すと、 泣きそうな顔をして、きつく抱きしめてきた。

 

†next?†