第十一章 天の使い

 目の前で釜に火がくべられる。中ではぐつぐつと湯が煮立ち、 その底にはいくつもの石が沈められていた。この釜の底に沈んだ石を手で拾い、 その時に出来た火傷の様子で、魔女かどうかを判断するという。

 釜から湯気と熱気が立ち上る。その中に手を入れればどれほどの傷みが伴うのか、ミカエルには容易に想像が付いた。

「さぁ、釜の中の石を拾いなさい」

 修道士様は眉一つ動かさず、釜を指さす。ミカエルも、迷わずに釜の中に左手を入れた。

 言いようのない熱さが手を覆う。刺されるような、削られるようなそんな感覚の中で、 釜のそこにある握りこぶし大の石を掴み、そのまま引き上げた。

 湯に浸かった手首までが真っ赤になり、ひどく痛む。けれども、掴んだ石が熱いのかどうかはわからなかった。

 掴んでいた石を手から放す。ごとりと音を立てて石が床に転がる。それから、 真っ赤になり所々水ぶくれのできた手を修道士様が掴み、ぢっと見つめている。

 焼けただれた手を見ても全く怯まず、むしろ見慣れている様子すらある修道士様を見て、 ミカエルは思う。こんなにうつくしい人が魔女裁判などと言う凄惨な現場に立ち会うだなんて、 まるで地獄の天使のようだと。

 手の火傷をじっくりと見て、修道士様は難しそうな顔で言う。

「この様子だと、魔女で無い可能性もありますが、疑いは晴れませんね」

 そんな事だろうと、ミカエルはわかっていた。どんな尋問をくぐり抜けたとしても、被疑者を魔女として裁くのが、 魔女裁判の目的だ。わかっているけれども、それでもミカエルは潔白を主張しようと心に決める。

 理由は単純だ。今どれだけつらい目に遭っても、まだ死にたくないからだ。それに、 今まで自分の弟子として色々と手伝ってくれていたリンネに、魔女の仲間という烙印を押したくはなかった。

 次はどんな尋問が待っているのだろうか。黒服の男たちが何かを用意しているのをミカエルが身を固めて見ていると、 突然、廃屋の中が明るくなった。

 何事かと思い、光の方へと目をやる。すると、入り口から輝く翼を背負った、 白い服の人物が入って来た。その人物は男とも女ともつかず、小柄で、顔の上半分を翼を模った仮面で隠している。

「て……天使様!」

 尋問の準備をしていた黒服の男たちが、その場に跪く。修道士様も、一瞬ためらってから、その場に膝を着いた。

 ミカエルも膝を着くが、左手が痛んで指を組むことができない。その様子を見た天使様がこう言った。

「ああ、無理なさらないで」

 それから、天使様はよく通る声でその場にいる皆にこう言った。

「みなさん、よく聞いて下さい。

彼は魔女ではありません。ただ、人々の病を癒やし、憂えるだけのふつうの人なのです」

 その言葉に、修道士様も、黒服の男たちも、ミカエルも頭を垂れる。

 天使様が言葉を続ける。

「彼は信念を守るために不当な要求を避け、それ故に根も葉もない疑いをかけられただけです。よろしいですか?」

 ミカエル以外が、天使様の言葉に返事をする。それを聞いてミカエルは、自分は助かったのだと安堵した。

 

 解放されたミカエルは、修道士様に送られて家まで帰り着いた。黒服の男たちは道の途中で分かれ、 どうやらミカエルを告発した人物へ、魔女であったというのは思い違いだったと言うのと伝えに言ったようだった。

 誰がミカエルを魔女として告発したのか、それはわからない。いや、ミカエルにはなんとなく察しは付いていたけれども、 ここは知らぬ振りをした方が、後々やっていき易いだろうと、気にしない事にした。

 家に着いてまずやったことは、診察室へと移動し、焼けただれた左手を手当てすることだった。

「軟膏を、作らなくてはいけませんね」

 ミカエルがそう言うと、修道士様が難しい顔で言う。

「作ると言っても、こんな手で作業はできないでしょう。

作り方を教えていただけるなら、私がやりますが」

「そうですか? それではお言葉に甘えて」

 指さしで香油の箱の位置を示し、それから、台所から卵を一個持ってくるようにと言うことなど、一通りの指示を出す。

 台所の方へ入った修道士様は、卵を探すのに少し手間取ったようだったけれども、小振りな卵を一個持ってきて、 殻を割り、黄味の部分だけを取り出して、器に入れて薔薇の香油とテレピン油を足して混ぜている。

 しっかりと混ぜて作った軟膏を、指で取ってミカエルの左手に優しい手つきですり込んでいく。丁寧にとは言え、 触られると痛むけれども、何もしないでいるわけにもいかない。

 軟膏を左手全体に塗り、柔らかく目の粗い麻布を巻いてから、棚の中にあった包帯で巻いていく。

 その様子を見て、ミカエルがくすりと笑う。

「さっきまで、僕のことを魔女と言っていたのに」

 すると、修道士様は少し顔を赤くしてこう返した。

「天使様が違うとおっしゃるのでしたら、違うのでしょう」

 すっかり包帯を巻き終わったあと。少しぎこちない巻き方の包帯を見て、修道士様を見て、 これで自分はもう魔女では無いのだと、ミカエルはほっとする。

 それから、修道士様にこう言った。

「ところで、もしよろしければ、時々僕とそちらとで情報交換をしませんか?」

 ミカエルの申し出に、修道士様はきょとんとした顔をしている。

「情報交換、ですか? 一体どの様な」

「僕は病の治療法も模索していますし、できれば様々な場所でどの様な病が流行っているのか、知りたいのです。

そちらも、治療法を知る手立ては多い方が良いでしょう」

 実務的なその話に、修道士様は頷いてこう答えた。

「そうですね。司教様と相談してみます。

もし良い返事が貰えるようでしたら、またこちらにご連絡いたします」

 そうして、ミカエルは修道院ともうまく繋がりを作ることができたのだった。

 

†next?†