第三章 ステラの場合

 とある駅ビルに入っている、とある小さなパワーストーン屋。泉岳寺ステラは、 高校の頃からこの店でバイトをし、宝石鑑定士の専門学校を卒業した今では、社員としてこの店に勤めている。

 高校時代に世話になった当時の店長は、 今この店に勤めていない。他の新しい店舗の切り盛りでこの店舗まで手が回らなくなったのだ。

そう言った本社側の都合により、高校時代から勤め始めて早六年になろうというステラが、新しい店長として抜擢された。

 しかし、パワーストーン屋に勤め始めて長いとは言え、 ステラは元々パワーストーン畑では無く宝石畑の石マニアなので、実はと言うと、未だに石の意味を覚え切れていない。

前任の店長はその事を心配しては居たが、意味の一覧が書かれた表も店頭に置いてあるし、 通っていた学校柄、少なくとも石の見分けで間違える事は無いので、何とかステラは店長として上手くやっていた。

 この日は、他のバイトがシフトで入っている訳でも無く、ステラ一人で店番をしていた。

店の壁面の棚に、所狭しと並べられた様々な石。

タンブルと呼ばれる、丸っこく磨いただけの安価な石から、勾玉型の石、球状の石、カエルの形、 亀の形、角の形等々、様々な形がある。大きな物では、まるで岩から切り出してきた様な、 内側に紫色の結晶が密集した洞もある。

それらも当然商品なのだが、この店一番の売りは、 店の奥側にあるテーブルに備え付けられた升目状のケースに入っている、丸玉の石のビーズだ。

これをゴムやテグスで繋ぎ、ブレスレットや指輪、ストラップなどを客の好みに合わせた石で作り、販売するのだ。

 それら大量の石を、この店の店員は客が居ない間、延々と磨き続ける。

商品のメンテナンス。と言うのも有るのだが、パワーストーンを扱っていると言う事で、 石の機嫌を損ねない様に。と言う意味も有ると、ステラは前店長から聞いている。

正直な所、石に機嫌など有るのかとずっと疑問に思っているのだが、 商品のコンディションを整えて置いた方が売れ行きは良いし、 石の機嫌を損ねない様に。と言う理由を他の店員に説明すると素直に聞くので、この理論は便利に使っている。

店員の扱いに頭を悩ませるくらいなら、自分一人で店番をしていた方が楽だと、そう思いながら、 タンブルを一個一個磨いていく。

 その時だった。突然、棚にぶら下げられているネックレス達が音を立て揺れ始めた。

小さな地震は割と頻繁に有るので、今回の地震もすぐに収まるだろう。ステラはそう思った。

けれども揺れは収まらなかった。

棚の上の石は暴れ回り、テーブルの前に置かれた客用の椅子も激しく揺れる。

そして、レジの近くに置かれた洞が倒れるのが見えた。

「あああああああ高額商品んんんん!」

 咄嗟にそう叫んだステラは、倒れる洞と床の間に身体を滑り込ませ、受け止める。

鳩尾に洞が入り、苦しさで身動きが取れない。

そうしている間にも、響いているのか居ないのかわからない轟音が大きくなり、次第に収まっていった。

 洞に鳩尾を喰らった事も有り、些か地震酔いをしたステラ。

棚に置いてあった石が床に散乱しているのを見て、顔から血の気が引く。

棚の上に置いてあった時は一点の曇りも無かった、てのひらに載るくらいの水晶の玉に、一筋の罅が走っていた。

 

「うえぇぇぇ……高額商品を守ったと思ったら他の高額商品が……」

 泣き言を言いながら片付けをするステラの頬を、両脇からぺしんぺしんと何者かがはたく。

ステラや他の限られたごく少数の人間以外には見えないのだが、彼女の肩には二匹のカエルが乗っているのだ。

ステラが握りしめるのに丁度良さそうなサイズをしたその二匹のカエルは、片方は真っ青な宝石を、 もう片方は真っ赤な宝石を背中に敷き詰め、それ以外の部分は少しマットな銀色をしている。

そのカエルたちが、各々ステラに言う。

「んもー、ご主人様、こういう時は商品よりも自分の身の安全を確保するの!」

「守銭奴極まっていつか死ぬケコよ?」

「いつもなら商品優先とごり押しする所だけど、 今回ばかりはサフォーとルーベンスの意見に賛同する。これだけはお伝えしたかった」

 カエルたちに謝りながら、ステラが速やかに石を元の位置に戻していると、携帯電話が震え始めた。

何かと思ったらメールの着信だ。内容は簡潔な物で、大きな地震があったけれど無事?の一文だけ。

発信元を見る限り、おそらく向こうも大学に居る時間、もしかしたら講義中だろうので、 これ以上長いメールは送ってこられなかったのだろう。

講義中と言う可能性も考えて、ステラは一瞬、すぐに返信を返すかどうか悩んだが、 あれだけ大きな地震があった後だ。下手に返信に時間を掛けると余計な心配をかけてしまうだろうと、 こちらも手短な文面で返す。こっちは無事だけど、そっちは?そう打って、もし無事で無かったらどうしようと、 少しだけ不安を抱えた。

 

 それから数時間後。仕事が終わったステラは家に帰ろうと駅とバス停を見たが、 どちらも人でごった返していて乗れる気がしない。

かと言って、職場に泊まれる様な設備は無いので、先程のメールの発信元に、 今晩泊まりに行っても良いかどうかを訊ねる為に電話をかける。

『もしもし、どうしたの?ステラ』

「あー、実は、今仕事終わった所なんだけど、バスや電車に全く乗れる気がしなくてね。

こっから私の家まで歩くのはちょっと無理だから、睡の家に泊めて貰えないかなって思ったんだけど」

『私の家に?

ちょっと待ってね、お母さんに訊いてみる』

「ほんと申し訳ない」

 通話が保留中の音楽に変わり暫く。どうやら留めて貰う許可が下りた様なので、 ステラはこれから歩いて向かうと伝える。

「だいじだって。こっからなら二、三時間でそっち着くよ」

 電話からは心配そうな声が聞こえてくるが、下手に電車やバスに乗ろうとして事故に巻き込まれるよりはマシだと、 そう言い聞かせて通話を切った。

 

 ステラは、人で溢れる街道を歩き続けた。

途中、腹ごしらえをする為に何処か飲食店に入ろうかとも思ったが、どこも満員ですぐには入れそうに無い。

コンビニも、食料品はほぼ無くなっているという状況だった。

無言で歩き続けるステラに、青い方のカエル、サフォーが心配そうにこう言った。

「ご主人様、疲れたら一休みしても良いケコよ?無理したら睡様が心配しちゃう」

 これから泊まりに行く家の住人の名を出してステラを休ませようとするサフォーに、 ステラは重たい足で歩きながら言う。

「あかん。今立ち止まったら、私は睡の家に辿り着けないで夜を明かしそうなんよ。

このまま歩き続けて、絶対に睡の所まで行く。それに……」

「それに?」

「今迂闊に立ち止まったら人波に飲まれて踏みつぶされそうでね」

「ケコォ……確かに」

 絶対に睡の元まで辿り着く。そう強く意思を持って歩くステラだが、 なんだかんだで両肩に乗っているカエルに励まされて、何とか足を動かしていた。

 

 それから三時間後、ステラは半ば足を引きずりながら、一軒の家の呼び鈴を押す。

すると、インターホンから何者かを訪ねられる事も無く、勢いよく玄関が開いた。

「ステラ!……お疲れちゃん」

「おうよ、こんばんわ。

でもさ、睡。早速歓迎してくれて嬉しいけど、もう暗いんだし少しは警戒して玄関開けた方が良いよ?」

 部屋着なのだろうか、もこもこの上着とショートパンツ姿で駆け寄って来た睡の事を、 ステラは疲れた顔に笑顔を浮かべて抱きしめる。

一旦ステラの事をぎゅっと抱きしめた睡に手を引かれ、ステラは家の中へと入っていく。

お邪魔しますと一声掛け、睡に誘われるままに居間へと入ると、テーブルの上に一人分の食事が用意してあった。

「ステラちゃん、お疲れ様。

良かったらこれ食べてね。もしご飯食べてなかったらだけど」

 割烹着を着た睡の母にそう言われ、ステラは有り難く食事をご馳走になる事にする。

「はぁっ。有り難いです。

お昼からなんも食べて無くっておなかぺこぺこで……

いただきます!」

 手元に置いてあった来客用と思われるお箸を手に取り、少し冷めたご飯を頬張るステラ。

急いで食べたせいかご飯を喉に詰まらせながら、今度は味噌汁に手を伸ばし、詰まったご飯を味噌汁で流し込む。

一息ついた所で、大豆と根菜の煮物を頬張りまた喉に詰まらせる。

 そんな様子を隣で見ていた睡が、クスクスと笑いながらステラに言う。

「もう、そんな急いで食べなくってもご飯は逃げないよ?」

 ステラは困った様に笑いながら答える。

「そうなんだけど、美味しくって、つい」

 災難に巻き込まれはしたけれど、こうやって二人で笑い合えているのなら良いかな?そう思ったステラの目に、 テレビの映像が飛び込んできた。

テレビに映し出されているのは、押し寄せてくる海の映像。

船も、車も、家をも押し流すその映像に、ステラも睡も呆然とする。

そのままニュースは続き、震源地となった東北で支援活動をする為に、 陸海空軍が昼間の内に出動する手続きを終えていた事と、各軍の大将が並んでいる様を伝えてくる。

陸軍大将であると言う女性がテレビに映っているのを見て、睡は気まずそうに目配せをして、小声で言った。

「もうちょっと前だったら、私達も役に立てたのかな?」

 悲しそうに膝の上で握り拳を作る睡の頭を、ステラが撫でる。

「たられば、の話はしても無駄だし、本当にもうちょっと前だったとしても、私達は東京の治安を任されてるよ」

「うん……」

 肩を抱かれて、それでもしょんぼりとしてしまっている睡にステラは、 これから出来る事を探してやろう。と言葉を掛けた。

 

 その日の晩、ステラは睡と同じベッドで眠りながら、高校の頃の夢を見た。

他の人から言わせると嘘だろうとしか思えない様な事なのだが、ステラと睡は中学の頃から高校を卒業するまで、 魔法少女として東京の治安を守ってきていた。

その時、魔法少女として人の役に立っていた、そんな夢を見た。

 魔法少女として活躍していた自分は、困っている人の役に立てて、借り物ではあったけれど力が有って。

あの時の様な力が今、自分に無い事がもどかしく、悔しくて目を覚ますと、 微かに街灯の音が聞こえてくる様な真夜中だった。

 ふと、隣で寝ている睡を見ると、どんな夢を見ているのか、眠りながら泣いていた。

ステラはそっと睡の涙を指で拭い、これからの事は明日以降考えようと、再び眠りについたのだった。

 

 翌日、ステラの元に店はいつも通り営業する。と言うメールが届き、睡の家から出勤する事になった。

「それじゃあ、昨夜はありがとうございました。またね、睡」

 登校前の睡と、睡の母にそう挨拶をして、ステラは最寄り駅へと向かう。

 昨日の地震が嘘だったかの様に、駅にはこれから出勤するのであろうな、と言う人達が沢山ひしめいていた。

ダイヤの乱れは有る物の、電車が動いている以上、皆出勤するべきと言う空気が漂っている。

その様を見て、赤いカエル、ルーベンスが不思議そうにステラに言った。

「ケコォ、ご主人様、人間ってあんなに怖い事があった後でもお仕事するの?休まないの?」

 その問いに、ステラは一瞬だけ目を伏せて答える。

「こんなの多分、日本人だけだよ」

 被災地では、家を無くした人達が怯えながら今この時を過ごしているかもしれない。そんな中、 自分達は元通りの日常に戻って良いのか。疑問だった。

けれども、今のステラに出来る事は日常に戻り、働く事だけだ。

日本人のこの勤勉さが美徳なのか悪徳なのか、わからないままステラは人波と共に電車に乗り込んだ。

 

 それから数週間。ある休日に、ステラは公民館で段ボール箱の整理をしていた。

段ボール箱の中身は、サイズ毎に分けられた新品の衣類や、毛布、使い捨てカイロ、缶詰、生理用品等の支援物資だ。

自治体が政府の指導書通り、被災地に送る支援物資を仕分けるのだが、そのボランティアをしに来たのだ。

朝から昼まで屈んでは立ってを繰り返していたステラは、昼食時についこんな声を上げてしまう。

「あー、腰に来るわー」

 それを聞いた、同じくボランティアの中年女性が笑いながらステラに言う。

「何言ってるの。

あなたまだまだ若いじゃない」

「そうは言われましても、しんどい物はしんどいので」

「とにかく、お疲れ様。

おにぎり食べて午後も頑張ろうね」

 そう言って、にこにことフィルムに包まれたおにぎりを差し出す女性から、お礼を言って受け取り、 ステラは座り込んでおにぎりを囓る。

他のボランティアスタッフとも雑談をし、休憩していると、携帯電話が震え始めた。

何かと思い携帯電話を開くと、メールの着信だ。

早速メールを開くと、調子はどう?の一言。発信元は睡だ。

睡も今頃、地元の公民館的な場所で同じようなボランティア活動をしている筈。

ステラはおにぎりを囓りながら、こっちは順調だよ、お疲れ。と返信を返す。

 そんなステラを見て、カエル二匹はステラの頬にほおずりしながらこんな事を言った。

「ご主人様、魔法少女じゃ無くなっても、ちゃんと人の役に立ててるケコ」

「ご主人様が無賃労働をしてる辺りに、なんか成長を感じるケコよ」

 本当はこのボランティアも賃金が出るならそれに超した事は無いのだが、 今はそんな事を言っている状況で無いのをステラはわかっている。

おにぎりを勢いよく食べ過ぎて喉に詰まらせたりもしたが、お茶で何とか飲み下し、その内に休憩時間が終わる。

午後も、仕分けの作業は続いた。

 

 日も暮れて、その日のボランティア活動が終わった後、帰り道でステラがぽつりと呟いた。

「サフォーもルーベンスも、あれ、言わないんだね」

 それを聞いて、二匹はきょとんとした顔をする。

肩に載せているのでステラからはその表情が見えないが、気にせずに言葉を続ける。

「私、石を買い集めるのに結構貯金有るじゃん?そこから募金しろとか、言わないんだね」

 そこはかとなく申し訳なさそうな呟きに、サフォーが返す。

「だって、ご主人様からお金と石を取ったら死んじゃうでしょ?」

 続いてルーベンスも言う。

「一般人が身銭切るにも限界があるケコよ。

ご主人様はやれる事をやってると思うケコ」

 暖かくなってきたとは言え、夜はまだ冷たい風に吹かれながら家路を急ぐ。

魔法少女で無くてもやれる事はある。そう自分に言い聞かせながら。

 

†next?†