第十三章 迷惑クレーマー

 最近どうにも新作のデザインがうまく固まらない。お店を開けてしばらく、作業場でイメージコラージュを作っていたのだけれども、盛り込みたい要素が多すぎてすこし混乱してしまっている。
 次の新作としてサンプルを作った服はアウトドアファブリックを取り入れたものですこしすっきりしたものになっているけれども、問題はその次だ。次がちょっとスッキリしすぎた感があるので、次の次はもう少し賑やかな感じにしたい。
 店頭を桐和に任せ、いったんコラージュを作る手を止めてパソコンに向かっているマトイさんに声を掛ける。
「マトイさん、新作用に新しいプリントを作るかちょっと考えてるんですけど」
「ああ、新しいプリントのデザインして欲しいってこと?」
「そうです。次の新作に使ったオリジナルプリントの生地がちょっと大人しかったので……」
 次の新作のサンプルをマトイさんに見せながら次の次の新作はどんな雰囲気にしていくかという話をする。こういう時にマトイさんだけでなく、桐和の意見をきくことも少なくないのだ。
「うーん、そうだなぁ……」
 ふたりで考えて、マトイさんがそう呟いた瞬間、店頭から大きな声が聞こえてきた。
「おまえじゃ話にならねぇ!
店長を出せ!」
 それを聞いて、僕はまたかと思ったけれど、マトイさんはびっくりしている。ふたりで店頭への出入り口の方を見ると、桐和がひょいっと覗き込んでこう声を掛けてきた。
「店長、お呼びです」
「うん、わかってる。今行くね」
 僕は手に持っていたサンプルを製図台の上に置いて店頭に出る。すると、そこにはいかにも不機嫌そうな顔をした、はじめて見るお客さんがレジカウンターの前に立っていた。
「なにかありましたか?」
 僕がお客さんにそう訊ねると、お客さんはレジカウンターの上に乗せたセール品の服を手で叩きながらこう言った。
「この服が欲しいんだけど、いくら何でも高すぎないか? 値引きしろよ」
「値引きですか?」
「そう。おまえが店長ならできるだろ」
 なるほど、桐和の一存では服の値段を下げられないと言われたのだろう。そう言ったであろう桐和は、一歩下がって僕の後ろにいるようだ。
 僕はにっこり笑ってお客さんにこう返す。
「手間と材料費、それにお店をやっていくのにかかる諸経費もろもろ考えるとこれ以上下げられないですね。
それにこれ、セール品ですよ?」
 すると、お客さんはレジカウンターを強く叩いてこう怒鳴ってきた。
「ただの布がなんでこんなにするんだ! おかしいだろ!」
 またこの手のいちゃもんかと思いながら、僕はしれっと返す。
「ただの布だと思うなら、ただの布巻いてればいいんじゃないですか?」
 僕の言葉に、お客さんはますます顔を赤くしてさらに怒鳴り散らす。
「せっかく買ってやるって言ってるのに、客に対してその態度はなんだ!」
「あなたはお客さんじゃないので……」
 こういうクレーマーは、基本的にお客さんとして扱わないというのがこのお店の方針だ。なので、クレーマーにお客さんではないという旨を伝えると、クレーマーはレジカウンターを蹴ってこう脅してくる。
「おまえ、この対応をネットに書くからな!」
 これもよく言われる。なので、僕はにっこり笑ってこう返す。
「どうぞ書いて下さい。こっちもこういう人が来たってネットに書きますね」
 それから、桐和が僕の後ろからクレーマーにこう畳みかける。
「一部始終は録音してありますので」
 するとクレーマーは、顔色を悪くして、それでもわけのわからないことを喚き散らしてからお店から出て行った。
 嵐が去った後に、レジカウンターの上にぐちゃぐちゃにして乗せられたセール品の服を確認する。汚れやシワがついていないかどうかを見ているのだ。見た感じ、汚れはついていないし素材のおかげかシワもついていない。でも、すぐにはハンガーラックに戻す気になれなくて、一度作業場でアイロンを当てて消毒してからの方がいいだろうと、いったんレジカウンターの裏に引っ込めた。
 僕の後ろにいた桐和が隣に来て、ベストのポケットに差していたペン型レコーダーをいじりながらこう訊ねてきた。
「警察を呼んだ方がよかったですかね」
 その言葉に、僕は斜め上を見てすこし考える。それから、溜息をついてこう返した。
「そうだなぁ、もう少し引き留めて呼んでもよかったかもしれない」
「なるほど。惜しいことをしましたね」
 クレーマーからの流れで僕達のやりとりを伺っていたらしいマトイさんが、そろりそろりと作業場から顔を出しておずおずと言う。
「店長、ああいうクレーマーってよく来るのか?」
 どうやらマトイさんはクレーマーに慣れていないようだ。接客業のバイトをしていたはずだから、クレーマーは度々見ているものだと思っていたので意外だ。
「そうだね、ああいう人はたまに来るよ」
 僕がそう答えると、マトイさんはきょろきょろと周りを見渡してまた訊ねる。
「いつもああやって追い返してるのか?」
 その質問には、桐和がしれっとした顔で返す。
「そうですね。あんな感じです。
たまに警察も呼びますよ」
「ひえ……」
 すっかり怯えてしまったマトイさんに、僕はにっこり笑って声を掛ける。
「多分マトイさんが店頭に出てるときにも来ると思うけど、その時はすぐに僕を呼んでくれていいから」
「でも、店長」
 なにか躊躇いがあるようすのマトイさんに、僕はさらに言葉を続ける。
「でももなにも、ああいうとき対応するのが店長の責任だからね。
それに」
「それに?」
「肉弾戦になったら大体の場合僕の方が強い」
「あー! 店長マーシャルアーツやってたんだっけ!」
 これでやっと安心したのか、マトイさんの表情が落ち着く。
 とはいえ、マーシャルアーツをやってたからそう簡単に負ける気はしないけど、肉弾戦になった場合はむしろ逆に相手を痛めつけすぎないように気をつけなくてはいけないので、肉弾戦にならないに超したことはない。
 桐和が、ペン型のレコーダーをいじりながら口を開く。
「まぁ、布と技術の価値がわからない人は来なくていいんですよ。
わかる人や納得できる人だけが買っていけばいいんです」
「それはそうだけどさ」
 桐和の言葉が強気に聞こえたのだろう、マトイさんが苦笑いをしている。それから、マトイさんは僕と桐和にこう訊ねる。
「でも、あんなのの相手してて参らないか?
俺はしんどいかも」
 その言葉に、桐和がにっこりと笑う。
「大丈夫。フライパンで殴れば相手も死ぬと思って対応すれば乗りきれます」
「ちょいちょい物騒なんだよな」
 桐和の言葉に、やっぱり自信がないのか溜息をついてるマトイさんに、僕は手を振って言う。
「でも、大体のお客さんはいいお客さんだし、僕はそのお客さんたちのためにこのお店をやってるから」
 その言葉に桐和も頷く。
「まぁ、それはそうだよな。
クレーマーのせいで楽しみにしてくれる人を残念がらせるわけにもいかないし、生活できなくなるのも困る」
「そうなんですよ」
 マトイさんの言葉に僕も頷く。すると、マトイさんは苦笑いをしてこう言った。
「でも、もうあんな奴が来ないといいな」
 それには僕も桐和も同意する。
「でも、それでも来るのがクレーマーですからね」
 そう、桐和が言うように、来ないでほしいと思ってもクレーマーは来てしまうものだ。
 僕は改めてマトイさんの方を見て訊ねる。
「クレーマーは来ると思いますが、引き続き店頭をまかせて大丈夫ですか?」
 その問いに、マトイさんはすこしだけためらいを見せてからこう返す。
「大丈夫。やれる。そういう契約だ」
「よかった。たすかります」
「ただ、店長すぐに助けてくれよ」
「そうですね、クレーマーが来たらすぐに呼んで下さい」
 とりあえず、これで今回のクレーマー騒ぎは一段落だろう。僕はマトイさんに店頭に出てて貰って、桐和に声を掛けて一緒に作業場に戻る。デザインに関しての意見を桐和にも聞いておきたいからだ。
 その間に、またクレーマーが来なければいいけれど。

 

†next?†