第四章 布がもちゃもちゃ

 紫水先輩からアウトドアファブリックの発注を依頼されてしばらく。僕が欲しい生地サンプルと一緒に紫水先輩の要望のものをメーカーに注文して、それが届いたのが二週間ほど前だ。
 梱包などの都合で先輩の家に生地を発送したのが数日前で、生地は無事に届いたようだと宅配の追跡番号が教えてくれたし、紫水先輩から連絡も来ている。
 もちろん、紫水先輩から生地代と発注代行料はもうもらってる。使っている銀行が同じで振込手数料が無料なので、金額をメールで送って銀行振り込みでやってもらった。
 今頃、紫水先輩はアウトドア用品を作ってはしゃいでいるだろうか。それとも仕事が忙しくてまだ手を付けられていないだろうか。 そんなことを考えながら作業場の製図台で次の新作のパターンを引いていたら、店頭から声が掛かった。
「店長、紫水さんが来ています」
「紫水先輩? 今行くね」
 普段なら桐和だけでも紫水先輩の相手をできるのに、わざわざ僕を呼ぶなんてどうしたんだろう。そう思って店頭に出ると、随分としょんぼりした顔の紫水先輩が立っていた。
「あれ? 紫水先輩どうしたんですか?
旦那さんとケンカしたんですか?」
 慌てて僕がそう訊ねると、紫水先輩は口をへの字に曲げてこう言った。
「もちゃもちゃになった」
「はい?」
「ミツキに送って貰った布でギアを作ろうとしたら、もちゃもちゃになった」
 ギアというのはなんだろう? 僕が送った布で作ってもちゃもちゃになったといっていると言うことは、先日言っていたアウトドア用品かもしれない。
「あー、たしかに慣れてないと扱いづらそうな生地ではありました」
 そう、サンプルで見る感じ、僕や桐和みたいに生地の縫製に慣れてる人ならともかく、普段はほとんどミシンなんて使わないという紫水先輩には、手に余るものだったかもしれない。
 けれども、上手く行かなかったからといって紫水先輩は僕を責めたいわけではなく、ただただ単純に、うまくいかなかったのが悔しいだけだろう。
 でも、なんとアドバイスすれば良いものか。僕は小学校に入る前から針と糸と布に慣れ親しんでて、ほとんど直感的に生地の扱い方を判断しているので、どんな布をどう判断して扱えばいいのか、紫水先輩に上手く伝えられる気がしない。
 思わずぼんやりと悩んでいると、紫水先輩が先日布と一緒に返送した、あのアウトドアファブリックの本をまた出して来て僕に言う。
「それで、あたしが作るのは無理そうだから、ミツキに作ってもらえたらって思ったんだけど」
「僕にですか?」
 一体どんなものだろう。あまり立体的なものだと難しいかもしれないけれど、この本に載っている初心者向けのものなら作れるとは思うけれど。
「どんなものを作って欲しいんですか?」
 とりあえずそう訊ねると、紫水先輩は本の後ろの方のページを開いて僕に見せる。
「タープって言う四角い布なんだけど、できそう?」
「あ、この四角い布ですか」
 これなら寸法さえわかればそんなに難しくはない。単純な形だし、これなら紫水先輩が自分で作れると思ってもおかしくなさそうなものだ。
「この本に載ってるのとは違うサイズで作って欲しいんだけど」
「はい、できますよ。寸法のメモをいただければ。あと、念のためもう一度この本を借りたいです」
「うん、わかった」
 紫水先輩から寸法のメモと本を受け取ると、紫水先輩はいつものメッセンジャーバッグを気にしながらこう言った。
「それで、いくらくらいかかるかなんだけど」
「あ、それは今見積もり出すんでちょっと待ってて下さいね」
 そう言って僕が生地サンプルと見積書を出してきて電卓を叩きはじめると、ずっと黙って隣に立っていた桐和が僕に訊ねてきた。
「店長、服以外の依頼を受けてしまっていいのですか?」
「あー、うん」
 たしかにそこはちょっとややこしいところかもしれない。このお店は開くまでも洋服のお店で、こういったアウトドア用品は完全に範疇外だからだ。
 少し考えて、僕は桐和にこう返す。
「まぁ、お店とは別に僕個人の依頼として受けようかな。見積書は便利だから使うけど。
これはまた別に持って帰っておくよ」
 すると、桐和もすこし考える素振りを見せてからこう言った。
「それだと、店長の確定申告が面倒になりますが」
「あー、確定申告ね」
 確定申告自体は、学生時代からやっているので慣れている。でも、桐和としては確定申告の手間はなるべく省けたほうがいいと思っているのだろう。
 電卓と見積書を見て、ちらりと紫水先輩の方を見てからこう返す。
「お店以外の収入が年に十万円以下なら申告しなくていいはずだけど」
「それはそうなのですが、脱税だと思われるのも面倒なので」
「あー、そういう……」
 桐和の言い分ももっともかもしれない。僕個人としては脱税する気はないけれども、税務署がどう判断するかはわからない。
 少し考え込んでいると、すでに書き込んでしまっている見積書を見た桐和がこう言う。
「お店の見積書を使っているなら、この依頼も例外的にこのお店の仕事にしてしまいましょう」
「ん? そうしちゃう?」
 それだと経理担当の桐和が面倒ではないかと思ったのだけれども、桐和の言い分はこうだ。
「依頼の内容はイレギュラーですが、依頼が入ってお金が動くということには変わりがありません。
まとめてしまった方が僕の仕事が楽です」
「なるほど?」
「こういったイレギュラーな依頼が増えると本業を圧迫するので好ましくはありませんが、紫水さんがあまり口外せず、ごく稀にこういった依頼が来るくらいであれば問題は無いでしょう」
 桐和の言っていることはもっともだ。本業のアパレルが圧迫されると困るは困るけれども、偶にやるくらいだったらむしろ逆に、いざという時の強みになるかもしれない。
「そっか、じゃあ今回の依頼はお店の仕事ってことで」
 そんなやりとりをしていたら紫水先輩が申し訳なさそうな顔をして僕に言う。
「ごめん、なんか困らせちゃったみたいで」
 紫水先輩は意外とこういうところを気にするんだよなぁ。僕は手を振ってにっこりと笑う。
「いえいえ、いいんですよー。
先輩にはいつもお世話になってますし、こういうのの作り方を知っておいたらなにかの役に立つかもしれないし」
「そうなん?」
「そうですよー」
 まだすこし不安そうな紫水先輩に、書き終わった見積書を出す。
「それで、このお店に依頼するならこれくらいの金額になりますけど、大丈夫ですか?」
 見積書を見て、紫水先輩は納得した様な顔をしてメッセンジャーバッグから財布を取り出す。
「うん、この金額でいいよ。それで、内金とかあると思うんだけど」
「内金はそうですね、一割から半分の間くらいで」
「あいあいさー」
 総額の半額を出した紫水先輩に、僕は念を押すようにこう言う。
「桐和も言ってましたけど、出来上がったやつはうちのお店で作ったってあまり言わないで下さいね」
「うん、わかった」
 内金をレジに入れて、見積書の控えを紫水先輩に渡す。そして、ふと思いだしたことがあってこう訊ねる。
「そういえば、もちゃもちゃになった生地はどうしました?」
 その問いに、紫水先輩はスンッとして答える。
「一応取ってある」
「どれくらいきれいな部分が残ってますか?」
「うーん、失敗しては切ってをやったからだいぶ小さいかなぁ」
「なるるー」
 どの程度残っているのか、具体的にはわからなかったけれども、今度その布も持ってくるように紫水先輩に言う。
「せっかくだからその布で、おまけでなにか小物作りますよー」
 すると、紫水先輩はにっこり笑って、今度持ってくると言った。

 

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