第三章 信仰の意味

 ある日のこと、僕のスマートフォンに仕事のメールが入っていた。

 メールの送信元は、いつも僕に仕事を依頼してくれている、金町ハルと言う人物だ。

 ハルは医者で、普段は難病の、特に筋ジストロフィーと言ったかな? それの治療法を研究している。

 研究の過程で、実際に患者と会って話したりすることもあるらしいのだけれど、 どの患者も自分が長く生きられないことを知っていて、中には神に救いを求める者も少なくないのだという。

 救いを求めるのは、患者だけでは無い。患者の家族も同じだ。

 ともすればカルトに傾倒してしまいがちなその家族を、正しく導いて欲しいと、 そう言う依頼をハルからはよく受ける。

 メールには、いつも通りこう言った仕事で問題が無いのなら、患者の家族に僕を紹介すると書かれている。

 勿論、そう言った相談を受けることも、僕の大事な仕事だ。問題は無い。その旨をメールに書き、返信をした。

 

 それから数日後、僕はハルから紹介された家族の元へ、話を聞きに行った。

 招かれた家の中に入り、居間のテーブルを挟んで僕と、中年の女性とで向かい合って座っている。

 この家の十代後半になる娘は、筋ジストロフィーを患っていて、その介護といつ亡くなるのかという不安で、 母親は疲れ切っている様子だった。

「神様に、神様にお願いすれば、この子の病気は治るのでしょうか」

 この言葉は、ハルから紹介される依頼主から、ほぼ確実に聞かされる言葉だ。

 神の奇跡を願え。そう言うのは簡単だけれども、現実はそう上手く行く物では無い。

「神様は、我々が善く生きているかどうかを常にご覧になってくださっています。

しかし、奇跡はそう簡単には起こして戴けません」

「それじゃあ、神様は何のために居るんですか!」

 願いを叶えて貰うために、神様に縋りたい気持ちはわかる。けれども。

「神様は、救いの為にいらっしゃいます。

日々の生活の中で祈り、祈ることにより心に平安をもたらしてくださいます」

 泣き崩れる母親に、ハンカチを渡し、話を続ける。

「神様に救いを求めて、病を治して欲しいと言う気持ちはよくわかります。

しかし、神様が起こす奇跡はそう言った安易な物では無く、もっと遍く人々に恩恵をもたらす物なのです」

「それは一体、どんな奇跡なんですか?」

 僕が渡したハンカチで涙を拭いながら、母親が訊ねる。僕はそれに答える。

「まず、娘さんが罹っている病気が、病気だとわかったことが奇跡の一つです。

そして、その病気の治療法を探す者が現れたと言うのも、奇跡の一つです。

更に奇跡をもたらされるとしたら、それは治療法が見つかる。と言う事でしょう」

 僕の言葉に、母親は俯いたまま、更にこう訊ねてきた。

「それなら、私に出来る事は何なのですか?」

 ハンカチで目もとを押さえ、震える声でそう言う母親。

 きっと今までひどく辛い思いをしてきたのだろう。どれほど辛かったのか、それは僕の想像の及ばない所だけれども。

「神様に祈り、少しでも心を落ち着けてください。

そして、カルトや悪徳商法に手を出さず、堅実な生活を送って下さい。

生活が崩れてしまったら、娘さんを支えることは出来なくなりますし、苦しくなってしまうばかりです」

 この言葉で、納得しただろうか。

 もしかしたら、こう言う言葉は患者や家族を疵付けてしまうのかも知れない。けれども、 安易な慰めは相手のためにならないし、絶望を増してしまうだけだ。

 母親は少し落ち着いたようで、ハンカチをテーブルの上に置いている。

 僕はそっとハンカチを手に取り、母親に訊ねる。御守りは必要ですか? と。

 すると彼女は、悪い道に踏み外さないよう、御守りが欲しいと言った。

 僕はこう言った仕事の時にいつも持ち歩いている鞄から、丸いビーズが十珠と、 十字架があしらわれた輪っかを取り出す。

 これは、お祈りの時に使う簡易型のロザリオだ。

 実際に彼女がお祈りをするかどうかはわからない。けれども、持っているだけで安心するのなら、 渡した方が良いだろう。

「これを、御守りとして持っていて下さい」

 そう言って、母親にロザリオを手渡す。

 勿論、僕はこれも仕事なので、今回の相談料以外にこのロザリオ代も実費で払って貰うことにはなるけれど、 悪徳商法に引っかかるよりはずっとマシだろう。

 母親は不安そうにこう訊ねる。

「もし無くしてしまった場合はどうするのですか」

 勿論、その場合も想定している。

「無くなった時は、あなた方に降りかかる災いの身代わりになったと言うことなのですから、 心の中でお礼を言って下さい。そして、御守りが無いと不安なのなら、また僕に連絡して下さい」

 そう母親に伝えると、彼女は小さなロザリオをぎゅうと握りしめ、お礼を一言言った。

 

 あの仕事から数日後、僕はハルと一緒に夕食を食べる機会があった。

 久しぶりにゆっくり出来る時間が作れたから、偶にはどうかと誘われたのだ。

 僕は基本的に、退魔の仕事の依頼人と個人的に親しくすると言う事はあまりない。

 けれども、ハルは僕に相談を任せた患者の現状報告をしてくれているし、 僕もハルにどの様な感じで対応をしたか。と言う報告をするので、こうやって会うことが偶にある。

 ああ、現状報告とかは、プライバシーを侵害したり仕事の機密事項を漏らしたりしない範囲でのことなので、 安心して欲しい。

 今のところ、僕に相談してきたハルの患者は、 カルトや悪徳商法に引っかかっていると言う事は無いそうで安心している。

 ハルはいつもにこにこしていて、何も悩み事が無いように見える。

 けれども、偶にその笑顔が泣いているように見えることが有って、訊ねたことは無いのだけれど、きっとそう言う時は、 患者が亡くなった時なのだろうと、そう感じた。

 食事をしながら、ハルと雑談をする。その中でふと、僕が今まで疑問に思っていたことを訊ねる。

「そう言えば、ハルは医者なのに、僕みたいな胡散臭い退魔師を良く信用する気になったね」

 するとハルは、コーンポタージュをスプーンで一口飲んで答える。

「そうだね。確かに、一般的に退魔師というのは胡散臭い職業だろうと思う。

けれども、そう言った人達が必要だというのはわかっているからね」

「質の悪い同業者も、沢山居るよ?」

「勿論、それも知っている。

実は、ジョルジュに会うまで何人か信用ならない退魔師に会ってはいるのでね。

患者に紹介する前に、ちゃんと僕が相手を見極めているよ」

 なるほど、むやみやたらと依頼しているわけでは無かったのか。

 しかし、ハルは何故、退魔師が必要な職業だと、そう言う結論を出すに至ったのだろうか。

 それを訊ねたら、ちょっと君には言えないね。と返され、ハルの過去には何が有るのだろうと、小さな疑問が出来た。

 

 パターンの仕事も無く、退魔の仕事も無いある平日、僕はチャペルショップへと足を運んだ。

 ここで売っている簡略式のロザリオを買うためだ。

 十珠連ねたロザリオは、ブレスレット型の物もあるのだけれど、着ける習慣のある人ばかりとは限らないので、 先日のような相談の依頼を受けた時、相手に渡すのは手の平に乗ってしまうような、小さなロザリオにする事が多い。

 まぁ、こちらの方が寄り安価だから、実費で譲ると言う事になっている以上、 依頼人の負担が少しでも軽くなるだろうというのもあるけれど。

 しかし、ハルが回してくる仕事は、危険は少ないけれど辛いね。

 自分が想像出来ないような苦しみを味わっている人に、どんな言葉をかければ良いのか。いつもそれで悩んでしまう。

 僕だって、思うことはあるよ。神様がこの世から苦しみを取り除いて下さったらと。  でも、それは無理なことなんだ。

 

†next?†