第二十話

 結婚式が終わって数日後、ドラコとペリエは新婚旅行へと出かけた。お互いフリーの仕事といえばそうなので、なんとか都合を付けて一ヶ月ほど休みを取った。
 一ヶ月というのは新婚旅行にしても長い期間だけれども、ドラコとペリエの希望をできるだけ盛り込んだ結果、そういう日程になった。
 正直言えば、一ヶ月全部をホテルで過ごすとなったら金銭的につらかったかもしれない。けれども運の良いことに、ペリエがキャンプもプランに入れて欲しいというので、ホテルに泊まるよりもだいぶ安く泊まれる日が半分ほどあるのだ。
 旅行先は一ヶ所ではない。幾つかの星を移動しながら観光して、時には何もしないで過ごして、思い出を作っていく。
 そんな新婚旅行だけれども、普通の夫婦と違う点があった。ドラコは入籍した後も、挙式をした後も、そして新婚旅行をしている今でさえも、自分の顔を見せようとしなかったし、ペリエの顔を見たいとも言わなかった。
 その様子に、ドラコの心の疵は消えていないのではないかとペリエは思ったけれども、そもそもで夫婦にはなったけれども、体の関係を持つ気はない仲だ。それであれば、顔を見せないでいるのも不自然ではないことのようにも思えた。
 ふたつ目に訪れた草原の星アルタイルのホテルで、ディナーを食べながらドラコが言う。
「これからはわざわざ飯テロしなくていいね」
「うふふ、そうね。一緒に食べるからね」
 ふたりでヒラメのムニエルを食べながら一緒に食事をする時間を楽しむ。一緒に食事をするのがはじめてなわけではないけれども、これからは基本的に、ずっと一緒に食事をするのだと思うと、なんとなく心がこそばゆい。
 メインディッシュのお皿が下げられ、デザートが運ばれてくる間にドラコがにっと笑って言う。
「でも、お互い別々の所に行って飯テロ合戦するのも楽しかった」
「それな。わかる」
 運ばれてきたデザートを食べながら笑い合うふたりを見て、今までとは少しだけ違う生活がはじまるのだと、ゼロの中で少しずつ実感がわいてきた。
 ホテルに泊まった翌日は、時間通りにチェックアウトしてペリエが持ち込んだ車で移動する。まずは地元スーパーに行って各々食べたい食材を買い、定住区の外れへと向かう。そこは遊牧民が暮らす草原と定住区の境目で、大きなキャンプ場になっているのだ。
 駐車場に車を停め、ふたりで大きな荷物を持って受付へと向かう。予約はあらかじめペリエが取っていたので、ペリエに手続きをしてもらう。
 サイトの案内図をもらい、これから四日ほど泊まる場所へと向かう。ドラコが運んでいるのは自分の荷物と食料だけだけれども、欲張って買ったからか、クーラーボックスがとても重い。けれどもペリエはテントやシュラフ、カトラリーやクッカー、その他焚き火台なども加えて運んでいるので弱音を上げるわけにはいかない。
 宿泊場所について、ペリエが手早くテントを張る。ドラコが昔からイメージしていた、三角形のテントだ。
「ドラコがテントっていうと三角のイメージって言うからこれにしたんだけど、どうかな」
「すごい、キャンプって感じする!」
「楽しめそう?」
「もちろん!」
 これはドラコにとってはじめてのキャンプだ。ふと、ペリエが思い出したように言う。
「そう言えば、ドラコの分のシュラフはレンタルすることになってるけど、後で取りに行かなきゃね」
「せやな。後で行ってくる」
 素直に頷くドラコに、ペリエはさらに意地悪っぽい口調で言う。
「それとも、私と同じシュラフで寝る?」
「それはさすがにダメ」
「うふふ、冗談よ」
 少しむっとしてしまったドラコの頭を撫でてから、ペリエが焚き火台の用意をする。その手つきを、ドラコは感心しながらじっと見ていた。
 ふと、ゼロがふたりに言う。
「もうお昼時だしそろそろなんか食べないと」
「うん、わかってる」
 ゼロの言葉に、ペリエは早速荷物の中からポケットストーブとメスティン、クッカーを出す。ドラコも慌てて、自分の荷物から同じものを出した。
「とりあえず、お昼はカレー温泉!」
「やったー! カレー大好き!」
 ポケットストーブに固形燃料を入れて火を付け、その上に水を張ってレトルトカレーを入れたクッカーを乗せる。米と水を入れたメスティンは、お腹が空いているので給水を待たずに火にかけた。
「なんか、草原の中でこうしてるとのんびりするね」
 クッカーやメスティンで調理をするのははじめてではないけれども、ドラコは心がわくわくした。ペリエも楽しそうにしている。
 ゆっくりと食事をした後、ドラコのシュラフを借りに行きがてら周囲を散歩する。広いサイトの中に、ぽつりぽつりとテントがあるだけだけれども、寂しいとは思わず、のどかな風景だと感じた。ふと、ドラコが懐かしそうな声で言う。
「私も前に、ここで遊牧民のお世話になったなぁ。馬にも乗ったし」
「あら。私よりワイルドな旅してるじゃない」
「でも、ひとりじゃなにもできないから」
 ドラコが遊牧民と一緒に過ごした時の話をしながら、草原を歩く。歩く度に爽やかな香りがした。そうしている内に、日が傾いてくる。ペリエが自分たちのテントの方を指さす。
「そろそろ戻ろうか」
「そうだね。今度は晩ごはんの用意だ」
 ドラコはその場で伸びをして、テントへと向かって歩いて行く。ペリエもその隣を歩いて行った。
 自分たちのテントについて椅子に座っていると、ペリエが薪をナイフで細く割って削りはじめた。
「それはなに?」
 ドラコの素朴な質問にペリエは羽根のような削り跡が付いた薪を見せて返す。
「フェザースティックっていうんだけど、こうやって薄く削いだのを先っぽに集めて、火が付きやすくなるようにするの」
「はー、そんな技術が」
 出来上がったフェザースティックに、ペリエは金属の棒とナイフで火を付ける。燃えるフェザースティックを組んだ薪の中に入れると、すぐに炎は大きくなった。
「ゼロちゃん、危ない」
 ドラコが側にいたゼロを自分の背後へと移動させる。火が燃え移っては困るからだ。ゼロも大人しくそれに従う。
「夕飯はなに食べるんだ?」
 ゼロの問いに、ドラコはペリエの方を向く。
「そうだね、まずは一息つくのにコーヒー淹れようか」
 そう言ったペリエは、荷物の中から出したやかんに水を入れ、コーヒー豆も入れる。それに蓋をしたら、そのまま焚き火の中へと放り込んだ。
「私、このコーヒー好きだな」
 焚き火の方を向いたままそう言うドラコに、ペリエが訊ねる。
「このコーヒー、そんなにおいしかった?」
「正直言えば喫茶店のコーヒーの方がおいしいんだろうけど、なんだろう。雰囲気?」
「わかる。そういうのある」
 そうしているうちにも陽は落ちてくる。空が藍色になってきたところで、ペリエはランタンに火を入れた。それを見てドラコは、以前ペリエが誘ってくれた夜空の下のバーベキューを思い出す。あの時も楽しかったけれども、少しだけ忙しなかった。けれども今回は、たっぷりと時間を使って夜空と、ペリエとのおしゃべりを楽しめる。それを考えると、ホテルに泊まっているときとは違う種類の期待があった。
 出来上がったコーヒーを飲んで、とくになにもしないままぼんやりする。こんなにゆっくり時間が流れるのを感じるのはいつ振りだろうとドラコは思う。
「はじめてのキャンプ、どう?」
 その声に、ドラコはペリエの方を向く。コーヒーをひとくち飲んで、一息つく。
「なんだろう、なにもしないをするってこういうことなんだなって」
「そうなんだけど、そういえばドラコって走り続けるタイプだったね」
 しみじみするドラコとペリエの言葉に、ゼロが口を挟む。
「ドラコは基本予定ツメツメだからな。私が休めと言っても休まない」
「そうなんだ。じゃあ今回の旅行じゃ、たっぷり休もう?」
 くすくす笑うペリエに、ドラコも笑って返す。しばらくたわいもない話をして、ドラコがふと、ペリエに拳を軽く突き出して言った。
「これからもよろしくな。相棒」
 ペリエは軽く口をすぼめてから、にっと笑ってこぶしを軽く突き返す。
「こっちこそ。ずっと友達だよ」
「うん。友達」
 それから、そろそろ食事の準備をしようとペリエがフライパンを用意する。ゆっくりと肉と野菜を焼いて、コーヒーを飲んでおしゃべりをして、夜が更けていく。
 この暮れる空の下で、ふたりの生活はこれからはじまっていくのだ。

 

 fin.