第三章 職人

 ミシン貯金の志を立ててから季節が二つ過ぎた頃、アヴェントゥリーナがカミーユの店にやって来た。

何でも、息子の服を仕立てて欲しいとの事。

採寸をしている間はギュスターヴにアヴェントゥリーナの相手を任せ、カミーユは息子の採寸を始める。

アヴェントゥリーナ曰く、今までは別の仕立て屋に任せていたらしいのだが、カミーユの腕を見込んでとの事らしい。

 アヴェントゥリーナの息子はジュエリー職人をしているらしく、採寸をしながら話をしていたらその事で盛り上がった。

陶器のように白い肌をした彼が、カミーユに問いかける。

「お裁縫って、楽しいですか?」

 その問いに、カミーユは一瞬言葉に詰まる。

腕の長さを測り、腕周りを測った所でようやく返す言葉が見つかる。

「そうですね。

余り意識した事は無いですけど、きっと楽しいからこの仕事が続いているんでしょうね」

 すると彼も微笑んでこう言う。

「やっぱりそう思いますか?

僕も、普段は気にしていないのですけど、楽しいから彫金をやってるんだと思うんです」

 そうしている内にも採寸は終わり、彼を小さな応接間に案内する間にカミーユが呟いた。

「僕も、彫金やってみたいな」

 その呟きに、彼は笑顔で返す。

「その内彫金のやり方とか教えましょうか?

いつか、暇な時に」

 その言葉にカミーユは恐縮しながらも表情を輝かせる。

「宜しいのですか?それでは、いつか」

「その時には、僕に裁縫の仕方を教えてくれると嬉しいです」

「そうですね。

いつか一緒に色々やりましょう」

 そう言葉を交わした後、彼はアヴェントゥリーナと共に店を後にした。

 

 いつも通り、アルフォンス謹製大盛りスープを胃に流し込んだカミーユは、早速型紙に手を付ける。

今回の依頼はブラウスなのだが、どうにも面倒くさそうなデザインで発注されてしまった。

レースとフリルをたっぷりとあしらった、柔らかい生地のブラウス。

このデザインを提示したのはアヴェントゥリーナなのだが、デザインを見た息子は些か苦笑いをしていたようにも感じた。

 もしかしたら彼は華美な服装が余り好きでは無いのかもしれないとカミーユは思ったのだが、余り詮索するのも失礼だし、 勝手に依頼されたデザインにアレンジを加える訳にもいかない。

 ベースとなる型紙を引いた後、細かな装飾の、小さな型紙も引いて行く。

型紙を引き終わる事にはすっかり陽も落ち部屋を照らすのはランプだけで、 引き終わるのを待ち構えていたギュスターヴに首根っこを捕まれ居間へと連れて行かれた。

 居間のテーブルに乗っているのは、ベーコンを賽の目切りにした物を入れ、タマネギ、ほうれん草、トマト、 ポテトを軟らかく煮たスープと、きつね色に焼いた表面に薄く蜂蜜を塗ったバゲット。

「カミーユ兄ちゃん、今日は少し早めに終わったみたいだから、スープ温め直す?

これ、いつも通り人肌くらいの温度なんだけど」

「ううん、このままで良いよ。

火をおこすのも大変だろうし」

 アルフォンスが気遣ってくれるのに感謝をしながら、カミーユは食前のお祈りをしてスープから手を付ける。

一口食べると、自分が如何に空腹であったかがよく解った。

ほろりと崩れるポテトと柔らかいほうれん草を飲み込むと、ほのかにお腹の中が温かくなる。

あっという間にスープを食べ尽くし、次に手を伸ばしたのはバゲット。

冷めては居る物の、カリッとした皮の食感とふわっとした生地。それに馴染んだ蜂蜜の甘さが疲れを癒やしてくれる。

 ふと、バゲットを囓っているカミーユが船をこぎ始めた。

頭を揺らしながらももこもことバゲットを口に詰め込むカミーユを観察し、 飲み込んだ所でギュスターヴがカミーユを抱え上げてアルフォンスに言った。

「んじゃ、兄貴をベッドに連れて行くから」

「うん。よろしく」

 弟達のやりとりを聞いているのか居ないのか、カミーユはギュスターヴの腕の中で寝息を立てていた。

 

 翌日、材料の仕入れに街へと出たカミーユは、普段見慣れない露店を見付けた。

食料品や雑貨を置いている露店が並ぶ通りに、ジュエリーを並べている店が有ったのだ。

ジュエリーの店の店員は、背が高めの女性。

 カミーユはジュエリーを見るのが好きなので、ついついじっくり台の上に乗せられているジュエリーに見入る。

一つ一つじっくりと見つめ、ブレスレットを手に取ると、女性にこう問いかけられた。

「ブレスレットがお好きなのですか?」

 少しハスキーなその声に、カミーユは不思議そうな顔をして答える。

「そうですね。着けるならブレスレットが良いですね。

でも、何故そのような事をお訊ねに?」

 すると彼女はカミーユの左手首を見つめて言う。

「ブレスレットを二つも着けていらっしゃるから、少し気になって」

 その言葉に、カミーユは少しだけ寂しそうな顔をして左手首を押さえる。

「実はこれ、両親の遺髪が入っているんです。

だから、いつも着けているんですよ」

 すると彼女は気まずそうな顔をして俯いてしまう。

「すいません、そんな事情があったなんて……

不躾な質問で気を悪くされたら、申し訳ありません」

「いえ、大丈夫ですよ。

あ、それよりも、このシルバーのブレスレット戴いて良いですか?」

「あっ、有り難うございます」

 カミーユは特に気分を害した様子も見せず、女性からブレスレットを購入してその場を去る。

そして布と糸の問屋へと向かったのだった。

 

 布を仕入れてきてから始まる修羅場。

いつもギュスターヴが長めに納期を見ているのにも拘わらず、いつも半分くらい、 短いと三分の一の期間で仕上げる心づもりで作業をするから、修羅場になってしまうのだ。

 こうなるとカミーユは昼食と夕食はまともに食べはしない。

ギュスターヴとアルフォンスによる監視の日々も始まる。

 カミーユの作業速度ならば、もっと受注を受けてもこなせるだろう。ギュスターヴはその事を解っている。

けれども無理に受注を受ける事はしない。

理由は簡単で、これ以上カミーユの休日が減ったら命を縮めかねないと思ったからだ。

 弟二人を養っているのはカミーユだが、カミーユの命を繋いでいるのは二人の弟なのだ。

 昼食後、カミーユが仕事場に戻ってから掃除や洗濯をするアルフォンス。

掃除と洗濯が終わったら、すぐに自分とギュスターヴの食事と、カミーユの食事の準備を始める。

自分達の分の食事はさっと作れるのだが、カミーユの食事はそうはいかない。

野菜を裏ごししたり、柔らかく煮たりしないとじけないので時間が掛かるのだ。

 本日のカミーユの夕食を作るのに、茹でたゆり根を裏ごししながらアルフォンスはぼんやりと、 両親の葬儀の時の事を思い出していた。

 両親は二人とも、流行病で亡くなった。その後の葬儀の手配はカミーユがやったのだが、彼は葬儀に出席しなかった。

何故かというと、両親が引き受けていた仕事を納期までに仕上げる為に、葬儀の時も仕事をしていたのだ。

その時、アルフォンスは薄情な兄だと思った物だが、葬儀の帰りにギュスターヴがアルフォンスにこう言った。

「俺達の仕事は信用で成り立ってるんだ。

いくら両親の葬儀が有るって言っても、依頼主はそんな事知ったこっちゃ無い。

納期を破れば信用が落ちる。

兄貴はそれを解ってるから、今この時も仕事をしてるんだ。

親父とお袋が築いた信用を無くしたら、俺達が食っていけなくなるからな」

 その話を聞いても、なかなか腑には落ちなかったが、カミーユが何年も、 肌身離さず両親の遺髪の入ったブレスレットを着けているのを見ている内に、 アルフォンスもカミーユが信念を持って仕事をしているのだと、納得出来るようになっていっていた。

 

†next?†