ある仕事を終わらせ、料金を受け取ったカミーユは上機嫌でギュスターヴとアルフォンスにこう言った。
「ミシン貯金が貯まったから、ミシン買ってくる!」
周りの仕立て屋がどう言うかはわからないが、前々からミシンが欲しいと言っていた訳だし、 その為に自分の小遣いを積み立てていた訳だ。ギュスターヴにもアルフォンスにも異論は無い。
気をつけて行ってこいと見送る弟二人に背を向けて、カミーユはミシン屋へと向かった。
そうして購入したミシン。
とても大きく、重い物なのでミシン屋の店員が荷車を使ってカミーユの店までミシンを運んでくれた。
それを見て、ギュスターヴもアルフォンスも不思議そうな顔をしている。
これをどうすれば布が縫えるのか想像が付かないのだ。
どうやるんだろう、どうやるんだろう、と話している間にも、カミーユがアルフォンスの服の裾を引っ張ってこう言う。
「アル、お腹空いた」
「あ、そうか。
カミーユ兄ちゃん暫く仕事無いんだよな。
じゃあざっくりと飯作るから、ギュス兄ちゃんと一緒に居間で待っててよ」
そう言って台所へと入っていったアルフォンスを見送り、残りの二人は居間で大人しく料理が出来上がるのを持つ。
台所から漂ってくる美味しそうな匂い。
普段余り嗅がない匂いだが、どうやら魚介類を料理している様だ。
待つ事十分と少し、アルフォンスは大きなフライパンと鍋敷きを持って台所から出てきた。
フライパンの中には、貝と海老とオリーブ、それにバジルとトマト、 タマネギが混ざっている短いパスタがたっぷりと入っていた。
「今朝市場で貝と海老が売ってたんでね、パスタパエリアだよ」
「凄い!」
「明確な料理名が有る!」
「いやまぁ、確かに普段名状しがたい料理作っては居るけど、そこまで驚かないでよ」
料理に名前が付いていると言うだけで驚くカミーユとギュスターヴを宥め、 三人はお祈りをして早速フライパンからパスタや具を取り分けて食べ始める。
「美味しいなぁ、美味しいなぁ」
カミーユはにこにこしながらパスタを口に詰め込んでいく。
休日のカミーユは、食事時となるとこの様な様子なので、 料理を作る側のアルフォンスとしては常に休日で居てくれと思ってしまう事もある。
しかし、そんなこんなで昼食は終わり、カミーユは早速ミシンを弄り始めた。
端布でミシンの試し縫いをしたり、 暫くそうやって踏むのに慣れたら今度は簡単なベストの型紙を出してきてざっくりと作り上げてしまう。
しかし、まだ仕事で使える程精度の高い縫製は出来ないので、 暫く自分や弟たちの服をミシンで作って練習を積み重ねようとカミーユは思ったのだった。
それから数日、午前中はミシンの練習をし、午後は街の広場で読書をして休日を満喫していたカミーユの元に、 次の依頼が入った。
カミーユは早速、依頼主に訊ねる。
ミシンと手縫い、どちらで仕上げるか。
その問いに、依頼主は迷わず手縫いで仕上げてくれと言う。
やはりまだミシンよりも手縫いの方が信用が高いのだなと実感する。
ミシンの登場に不満を漏らしていた仕立て屋の皆の心配は、杞憂だった訳だ。
何はともあれ、カミーユは手縫いで仕上げると言う事で、その依頼を受けた。
早速その日の内に型紙を引き終え、寝る前にスープを飲むカミーユ。
それからベッドに入り、ぼんやりとアヴェントゥリーナの息子の事を思い出していた。
『いつか一緒に色々やりましょう』
いつか。そう、いつか。
いつかというのはいつなのだろう。
アヴェントゥリーナもその息子も、中流とは言え貴族で、 庶民であるカミーユが気軽に相手の家に出入り出来る訳では無い。
そんな事を考えながらも、吸い込まれるように眠りにつく。
そうして見た夢は不思議な物だった。
あの彼とカミーユが、一緒に宝石の並ぶ店を訪れ、石を買う夢だ。
ふと反対側を向くと、いつもミサの時に行く教会の神父様が居たので、ああ、 この夢はきっと神様からの何かのお告げだろうと、夢の中ながらに安心した。
そして翌日、安息日だったのでカミーユを始め三兄弟はミサへと向かう。
神父様の説教を聴き、聖歌隊の歌を聴き、祈りを捧げた後、カミーユは神父様に昨晩の夢の話をした。
神父様は少し首を傾げた後、カミーユに言う。
「もしかしたら、その彼と仲良くする許しを神様に戴きたいのかもしれないですね。
残念ながら私では力になれませんが、神様に祈れば、心も落ち着くでしょう」
「そうですか……神父様、有り難うございました」
「いえいえ、相談事があったらいつでもいらして下さいね」
神父様の気遣いに安心したカミーユがその場を離れようとすると、神父様に突然引き留められた。
不思議に思い何か用があるのかを訊ねると、こう返ってきた。
「カミーユ君は随分と仕事を頑張っているようだけれど、身体を大切にしないといけないよ。
天国から見ているご両親が心配してしまうでしょうし」
その言葉に、カミーユは苦笑いしか返せない。そもそも無理をしているという自覚が無いのだ。
だから、身体を大切にと言われても現状以上にどうこうすると言う考えが出てこない。
なので、
「お気遣い有り難うございます」
とだけ返して教会を去った。
その後も、カミーユは朝早くから夜遅くまで作業を続け、仕事の切れ目にはミシンの練習をする日々を過ごしていた。
ミシンの腕は、少しずつではあるが上がってきている。
これならもう、ミシンでの依頼を受けても大丈夫だろうと思える程だ。
しかし、ミシンを使っても結局は手縫いで処理しなくてはいけない部分も有るというのが解ったので、 手縫いの技術も重要であるというのを仕立て屋仲間の集まりの時に報告した。
その時、仕立て屋仲間の間にそこはかとない安堵感が広がったのは言うまでも無い。
カミーユがミシンを購入してから暫く経っても、ミシンで服の縫製を依頼してくる客は殆ど居なかった。
偶に居たかと思えば、ミシンで縫った物がどうなるのか興味があるという、好奇心での依頼ばかり。
カミーユはそれでも構わないと思って居た。
手縫いでもミシン縫いでも、仕事は仕事。平等な物だ。
何はともあれ今日も仕事がある。真夜中になり、縫い針の糸を切って針山に刺した後、完成した服をハンガーに掛ける。
するといつものように首根っこを掴まれ、居間へと連れて行かれる。
そこに用意されていたのは、細かく刻んだズッキーニやタマネギにトマト、それから溶き卵が入ったリゾット。
疲れで震える手でリゾットを食べながら、カミーユがギュスターヴとアルフォンスに訊ねた。
「二人ともこんな時間まで起きてて大丈夫なの?
先に寝てても良いんだよ?」
するとギュスターヴが呆れた顔をしてこう言う。
「俺等が先に寝てたら、兄貴は絶対に晩飯食わずに寝るだろ?」
続けてアルフォンスが言う。
「折角作った料理を放置されて腐らせても嫌だしね」
二人の言葉に、カミーユは少し俯いて言う。
「……いつもありがとう……」
そんなカミーユの背中を、ギュスターヴとアルフォンスが軽く叩き、 そう思うならもう少し早く寝てくれ等と言ったのだった。