第一章 お電話替わります

 時は二〇××年。

 都内某所に有る小さな出版社。

 一見ただの弱小企業に見えるそこは、実は八百万神が経営しているのだった。

 

 初めまして、私は『紙の守出版』と言う出版社に勤める八百万神です。

神と申しましても、そんなに位の高い者ではありませんので、お気軽に『美言』とお呼び下さい。

 皆様の中には、何故我々八百万神が出版社を経営しているのか不思議な方もいらっしゃると思うのですが、 それは必要になった時にお話し致します。

 

 いくら神が経営している会社とは言え、仕事は普通の出版社のように有ります。

 少しざわついた部屋の中に、電話の呼び出し音が鳴り響きます。

 早速電話が掛かって来ましたね。いつもお世話になっている本屋さんか、印刷所か、 それともライターさんか小説家先生か。

 取り敢えず電話を取らないことには何にもなりませんね。

「お電話ありがとうございます。

紙の守出版でございます」

 受話器を取ってそう言うと、耳元に頼りなさげな声が入ってきました。

「あのっ、もしかして美言さんかな?」

 いきなり私が出たというのがわかったと言うことは、きっと知り合いでしょう。取り敢えず確認しなくては。

「そうですが、どちら様ですか?」

「お世話になっております。蓮田岩守です」

「蓮田さんですか? 一体どんなご用件で?」

 今、電話をかけてきている蓮田岩守さんという方は、普段鉱山の中に住まい、 鉱石を司る神としてひっそりと暮らしている方です。

 最近、八百万神の情報ネットワークを強化しようと、インターネットやスマートフォンなどの情報インフラを整えたので、 遠い鉱山からもこの様に連絡を取ることが出来るようになっています。

 それにしても、普段内向的な蓮田さんから電話が来るというのは珍しい物で、何が有ったのかが気になります。

 すると、蓮田さんはこう言いました。

「実は、おばけがこわくて眠れなくなって、困っているんだよ」

「はい、ちょっと何言ってるのかわかりません」

 昔から臆病な方では有りましたが、まさかこんな事を言うなんて。

 何故神がおばけを怖がらなくてはいけないのでしょうか。

 でも、それを疑問に思っても仕方有りません。現に電話の向こうで、蓮田さんは鼻を啜りながらおばけに怯えています。

「取り敢えず、なんでまた急におばけがこわくなったんですか?

そちらに何か物の怪が出たとか」

 蓮田さんは物の怪を除ける能力に乏しいので、実際物の怪があの方の周りに出たとなったら、それは大変な事です。

 なので確認を取ってみると、 「物の怪が出たわけでは無いのだけれど、そちらの会社の人に、暇つぶしに読むのに良い本は無いかと訊いて、 お勧めされた物を読んだのだけれど、それがこわくてこわくて仕方ないんだ」

「お勧めされた本。ですか?」

 困りましたね、まさか神である蓮田さんが怖い話でこんなに怯えるなんて。

 戸惑う私を余所に、蓮田さんは震える声で言葉を続けます。

「確かに面白いのだけれど、とにかくおばけがこわいんだよ」

「そうなのですか、少々お待ち下さい。

本に書かれている物となると、語主様にお任せするのが良いかもしれませんので、替わりますね」

 取り敢えず電話を保留にし、編集部内を見渡します。

 探しているのは、今、蓮田さんに替わると言った語主様です。

 語主様は人々が作り出す物語の管理をしている神なので、 きっと今の蓮田さんを宥めるのには彼が適任かと思ったのです。

「どうした美言。

蓮田から電話来てるみたいだけど、何か有ったのか?」

「あ、いらっしゃいましたね。

詳しくは蓮田さんから伺って戴ければと思います。

ちょっと私ではどうしようも無さそうなので」

「そうなのか? じゃあ替わるわ」

 語り主様が電話を取り、蓮田さんと話をして居ます。

「ちょっと何言ってんのかわかんないんだけど。

…………

ああ、うん。なるほど?」

 やっぱり、おばけがこわいと神が言うとか、ちょっとわけわからないですよね……

「わかったわかった。そんな泣くな。

今日はちょっと無理だけど、明日朝イチでそっち行ってお祓いするから少し待ってろ。

寝ずに待ってても、寝て待ってても、どっちでも良いから。

じゃあそう言う事で。俺もっちょい仕事有るんで。じゃあな」

 宥めるようにそう言って、語り主様は通話を切りました。

 それから、編集部内に大きな声で一言。

「おい!

蓮田にラヴクラフト全集勧めたやつ出てこい!」

 一体何のことなのだかは解らないのですが、その『なんとか全集』と言うのがこわい話で、 それを読んだ蓮田さんが怯えていたと言う事でしょうか。

 皆がそろりそろりと語主様を見るなか、一人の神が、ぬぼっとした様子で名乗りを上げました。

「ああ、蓮田が暇つぶし欲しいって言うから勧めておいたよ。

それが何か?」

 そう言って、自分の机から手を振っているのは、智慧の神の思金様です。

 そう言えばあの方、結構いらない事するんですよね……

「思金、お前の仕業かぁ!

お前が宇宙的恐怖を蓮田に勧めるから、蓮田が怖がって電話かけてきたんだよ!」

「え? あれそんなこわいかな?

確かに現地ではホラーとして有名だけど」

「んぐぐ、こわいかこわくないかの判断は、読んでないから俺は出来ないけど、 蓮田が恐がりなのわかっててなんでホラーなんて薦めるんだよ!」

「え? あれは邪神への恐怖を通して父なる神への信仰心が高められる素晴らしい本だって、 天使長から勧められたんだけど」

「よし、あいつも後で殴る」

 なんか複雑なことになってますね。

 取り敢えず、今の私にわかることは、思金様が余計なことをしたと言う事でしょうか。

 蓮田さんのことも心配ですが、私は他にも心配が有ります。

「語主様。明日蓮田さんの所へ行くのは良いのですが、明日のお仕事はどうなさるおつもりですか?

納期の近い仕事が有った筈なのですが」

 そうです。いくら我々が神であると言っても、会社を経営して居る以上は仕事が有るわけで、 それを捨て置くと言う事は出来ません。

「あ? そりゃ思金にやらせるに決まってんだろ」

「なんで僕に押しつけるんだよ!

仮にも紙の守出版の編集長でしょ?

責任持ってよ!」

「お前のせいで編集長よりも神としての責任果たさなきゃいけなくなったんだろうが!

グダグダ言うな!」

「んぎぎ……解せぬ」

 なんか口げんかが始まってますね。

語主様が元々喧嘩っ早いというのはありますが、思金様も、 智慧の神なのですからその辺り踏まえてお勧めの本を選べば良かったのに。

「取り敢えず、語主様も思金様も、今日の分の仕事をちゃんとやって下さい」

 取り敢えず、蓮田さんの問題も何とかなりそうですし、私は会社の仕事をやりますか。

 

†next?†