第八章 ダブルカップアイスクリーム

 バレンタインから数ヶ月経ったある日のこと。次のライブに向けてダンスのレッスンとボイストレーニングを終えて、控え室でピクルスを囓っていると、スマホが着信音を鳴らした。何かと思って見てみると、いつもメッセージアプリでやりとりをしている男友達だ。届いたメッセージにはこうあった。
『近頃直接会うことが少なくなりましたが、テレビで様子を拝見している限りでは、最近楽しそうにしていることが増えたように感じます。
だいぶ前にお話して下さったお友達と、仲良くできているのでしょうか』
 そのメッセージを見て顔が熱くなる。そっか、チカちゃんと一緒に仕事が出来たり、ごはんを食べたりしてるのが嬉しいっていうの、やっぱり顔に出ちゃってるんだなと思う。
 私もメッセージをすぐに返す。
「もちろん仲良くしてるよ。でも、そんな見てわかる?」
 見てわかるからああいうメッセージを送ってきたのだろうけれども、どこをどう見たら楽しそうにしているように見えるのか、それが気になった。
 またすぐに返事が来る。
『レギュラーのバラエティ番組だけでなく、歌番組やゲストで出ている番組を見る限りでは、だいぶ穏やかになった様に見えますので』
 穏やかになったというのはマネージャーにも言われている。つまり、私は端から見てわかりやすいほどに変わったのだろう。
 チカちゃんと仲良くなる前、それはずっと前のことのような気もするし。最近のことのようにも思える。とにかく、その頃の私は少し気に障ることがあるとすぐに不機嫌になって怒っていたけど、今はだいぶ不機嫌や怒りを発散する場所とタイミングをコントロールできるようになった気はする。そんな変化があったのは、チカちゃんと会って友達になって、チカちゃんを不安にさせたり悲しませたりしたくないと思ったからなのだろう。チカちゃんは私のことを、いい方向に変えてくれているのだ。
 しばらくメッセージのやりとりをして、男友達の彼とはしばらく会っていないことに気付く。今度一緒に遊ぼうとメッセージを送ると、最短では今度の水曜日が空いているようなのだけれども、その日は私のスケジュールが埋まっている。
「その日はいつも言ってる子と一緒に旅番組にゲストで出ることになってて、次の日まで泊まりで仕事なんだよね」
『なるほど、それだと僕と会う日程はもっと後の方がいいですね。
仲の良い方と一緒の仕事だと、楽しみでしょう』
「まあね」
 楽しみにしてるのが筒抜けだ。顔が熱くなるのを感じながら、マネージャーにスケジュールを確認してもらって、こちらの予定が空いている日をメッセージで送る。すると、彼もスケジュールを確認したのか、一緒に遊ぶのに良さそうな日を第三候補まで挙げてくれた。
 できれば、彼と彼が紹介してくれた女の子の友達にチカちゃんを紹介したいなと思ったけど、チカちゃんの日程が合うかもわからないし、女の子三人に男ひとりが囲まれるとそれはそれでまた面倒な噂が立ちそうだし、これについては少し考えた方がいいかもしれない。
 きりの良いところでメッセージのやりとりを切って、ピクルスを囓って伸びをする。チカちゃんと一緒の旅行番組、楽しみだなぁ。

 それから数日後。チカちゃんと一緒に東京から一泊程度で行ける近場のホテルで番組の収録が行われた。もちろん、ホテルに入る前に近くの海やランチのお店、お土産物屋さんなんかも見て回って、そちらの撮影もした。
 だから、ホテルに着く頃には疲れが来てて、ゆっくり休みたいところだ。スタッフがホテルの手続きをしている間に、ロビーでウェルカムドリンクをだされ、それをゆっくりと飲む。
「喉渇いてたからおいしい」
 カメラの前でそう言ってにっこり笑うチカちゃんを見て、私もにっこり笑って言う。
「最近だいぶ暑くなってきたし、冷たい飲み物はうれしいです」
 チカちゃんとふたりで機嫌良くドリンクを飲んで、その間にスタッフの手続きが終わって部屋へと通される。今回私たちが泊まるのは、結構広さのあるところで、ダブルサイズのベッドがふたつ置かれている。ふたり部屋と聞いているので、ひとりにダブルベッド一台を当てているはずだ。なんて贅沢なんだろう。
 部屋の様子と窓からの眺めを紹介して、次は夕食の時に撮影をするから、それまで休憩と準備をしていて欲しいとスタッフに言われた。
「あー、だいぶ歩いて足が痛い。
チカちゃんは疲れてない?」
「えっとね、だいぶ前に理奈ちゃんから教えて貰った方法で毎日ウォーキングしてるからかな? あんまり疲れてないや」
「私の足が痛いの、ハイヒールのせいだな?」
 部屋の入り口近くに置いた私とチカちゃんの靴を見て、ふたりで笑う。チカちゃんはたくさん歩くというのがあらかじめ予想できていたのだろう、ローヒールの靴で来ている。私は甘く見積もってしまってハイヒールで来たので、それで足が痛いのだ。普通にアスファルトの上を歩くだけならそこまで痛くならないことが多いのだけれども、今日は砂利道なんかも歩いたので、そこでバランスを取るのが大変だったのだ。
 少しの間、履いていたスリッパを脱いでベッドの上に転がる。足が解放された感じがする。チカちゃんも同じようにしていて、ふと私の方を見てこう言った。
「少し休んだらメイク直ししようかなぁ。
汗かいちゃったから崩れてそう」
「あー、私もメイク直ししよ。さっき鏡で見たらちょっとテカってた」
 そんな話をしていたら、チカちゃんがベッドから立ち上がって、持ってきた荷物の中から小さな紙箱を取りだした。
「理奈ちゃんもあぶらとり紙使う?
これ、うちのメイクさんオススメのなんだ」
 チカちゃんのメイクさんオススメの物。それは気になる。
「一枚分けてくれるなら使いたい」
「うん、いいよ。どうぞ」
 チカちゃんがあぶらとり紙を一枚取りだして、手を伸ばして私に渡してくれる。それを受け取って、私も起き上がって鼻の周りにあぶらとり紙を押しつけた。すると。
「うわ、引くほどあぶら取れる」
「でしょ? これであぶら押さえたあとに紙おしろい使うとメイク直しも楽なんだ」
「あー、紙おしろい便利だよね」
 そんなこんなで流れるようにメイク直しをはじめて、夕食の撮影に行くために身嗜みを整えた。

 夕食は、ホテル内のレストランでイタリアンを出された。あまり格式張っていなくて、カジュアルに食べられそうなラインナップだった。料理を口に運ぶとトマトや海鮮の風味が口の中に広がっておいしい。すぐ側でカメラが覗いてきていなければ、もっとゆったりと、チカちゃんとおしゃべりしながら楽しく食べられたのかなと、少しだけそんな事を考えた。

 そして夕食後、ホテルに備え付けられている温水プールの撮影もということで、私とチカちゃんは水着に着替えて夜のプールサイドにいた。周りからは、木のさざめく音と波の音が聞こえる。灯りは空に浮かぶ月と星と、プールサイドに立っているモダンな電灯だ。
 プールの中には大きなビニールのボールや浮き輪、貝の形をした椅子のような物が浮いている。ホテルのスタッフさんが、これもサービスでお使いいただけます。と、水に浮かせる丸いライトをいくつか持ってきて浮かべる。ちゃんと防水になっているようで、その丸いライトはゆっくりと七色に光ながら水の上を漂っている。
 このプールはSNS映えを意識したサービスとのことだけれども、私としてはSNS映えする写真が撮れるということよりも、チカちゃんと一緒にプールには入れるというのが嬉しかった。今日初めて水着のチカちゃんを見たのだけれど、ふわふわでひらひらの水着を着てすこし恥ずかしそうにしているチカちゃんの姿に、私は拝まずにはいられなかった。もちろん、カメラが捉えてしまったであろうそのシーンはカットされることになるだろうけれども。
 チカちゃんと一緒にボールや浮き輪で遊んだり、貝の形の椅子の上に丸いライトを集めてその両脇に立って撮影してもらったり、あとは防水ケースに入れたお互いのスマホで一緒に写真を撮ったりした。それはあまりにも幸福な時間だった。
 しばらくして撮影が終わり、プールから上がる。すると、チカちゃんがくしゃみをしたので、もしかしたら冷えてしまったのかも知れない。私も、腕に鳥肌が立っていた。
 ともかく、今日の分の撮影はこれで終了だ。部屋に戻って暖かいシャワーを浴びよう。

 部屋に戻って順番にシャワーで暖まってから、楽な服装に着替える。チカちゃんはたっぷりのギャザーが入っていてスカートが良く広がるネグリジェを着ていて、私はニットのストンとしたワンピースだ。
 着替えたところで、私は気づいた。今回、はじめてチカちゃんと一緒にお泊まりをするということに。
「折角のお泊まりなんだから、いっぱいおしゃべりしたいよね」
 私が少し緊張しながらそう言うと、チカちゃんもにこにこして言う。
「ねー、お泊まりなんてなかなかできないもんね。
でも」
「でも?」
「明日も朝早くから収録だから、早く寝ないと」
 そう、明日も朝から仕事だ。それが嫌なわけではないけれど、チカちゃんといっぱいお話したいんだなぁ……
 ふと、チカちゃんが腰掛けているベッドを見て、思い立ったことがある。言ってしまっていいだろうか。良くない気もするけれど、今このチャンスを逃したら次いつチャンスが来るかわからない。だから、私は意を決してこう言った。
「ねぇ、ベッドなんか大きいしさ、一緒に寝て……みない?」
 さすがにこれは断られるか。無理があるか。やっぱり言わない方が良かったかと思っていると、チカちゃんは照れたように笑う。
「うん、いいよ。私あまり寝相良くないけど、それでも良ければ」
「ほんと! それじゃあそちらにお邪魔しますね」
 私は早速チカちゃんが座っている方のベッドに移動して、チカちゃんと一緒に掛け布団を被る。それから、チカちゃんにぴったりくっつくと、チカちゃんは私の背中をぽんぽんと優しく叩いてこう言った。
「ふふふ、理奈ちゃんの甘えんぼー」
「甘えん坊でいいもん」
 チカちゃんの腕に抱かれて、柔らかい感触に包まれて、ああ、今私は間違いなくしあわせなんだなと思った。こんなしあわせがいつまで続くんだろう。ずっと続いて欲しい。

 改めて思った。チカちゃんは私の中で、とっても大事な特別なんだって。

 

†fin.†