第八章 神無月のこと

 日差しも段々穏やかになり、涼しい風が吹くようになり始めた頃。その日は珍しく原宿で三人揃って夕食を食べていた。 勤は霊園に、ジョルジュは美術館に用事があったらしく、オレはただ単に買い物に来ていただけなのだけれど、 表参道駅の入り口で、たまたまばったり会った。それで、折角だからみんなで食事をしようと、 店を探してうろついているうちに原宿まで来たのだ。

 この店の売りはガレットとか言うクレープみたいな物で、おいしいにはおいしいけど、 オレにはちょっと物足りない。あとでコンビニでおにぎりでも買って食べるかなと思いながら、ガレットを噛みしめる。

「そう言えば、もう十月だけどさ」

 ビールをぐっと飲み込んでから話を始める。勤とジョルジュが視線を送ってきた。

「おまえらハロウィンはなんかやんの?」

 その問いに、ジョルジュが当然と言った顔をして返す。

「僕は特に何もしないよ。ハロウィンの翌日とその次が本番だからね」

「そうなん?」

「諸聖人祭にミサに行って、その次の死者の日にお墓参りに行くんだよ」

 ちょっとしたお彼岸じゃん。

「え? ハロウィンってキリスト教のお祭りじゃないの?」

「違うよ……でも、元々はケルト系だとは聞いたけれど、僕も詳しくは知らないんだ」

「ああ、うん。結構ハロウィンをキリスト教のお祭りだと思ってるやつ多いから、イツキの驚きはわからないでもない」

「なんだよ、勤も知ってたんじゃん、教えてくれよ~」

 思わずむくれていると、ジョルジュが困ったように笑う。

「まぁ、みんなで楽しめるイベントが多いのは良いんじゃないかな。マナーさえ守れば」

「アッ、ハイ」

「ここ近年、ハロウィン後の渋谷のポイ捨てゴミやべぇよな」

 マナーさえ守れば否定的なわけじゃないのか、そこはなんとなく安心した。それから、勤の方を見て訊ねる。

「勤はハロウィンなんかやんないの?」

「正直に言うと、なにやればいいのかわかんないってのが実情だな」

「あ~、わかる。確かになにやればいいのかわかんない」

 そんな感じで、誰も実施しないハロウィンの話で盛り上がりつつ料理と酒を楽しんで、 気がついたら閉店時間になっていた。

 

 いい気分になったしよし帰ろうと地下鉄の駅に向かう。駅は表参道沿いにあるので、 三人で話をしながら通りへと向かう。

 ふと、違和感を感じた。妙に人の気配が少ない。いや、無いと言っていいほどだった。

 平日のこの時間、いくらなんでも人が全くいないというのはおかしい。勤とジョルジュも疑問に思ったようで、 訝しげに周囲を見渡しながら歩いている。参道に出ると、街灯が妙に、必要以上に明るい。なのに密度の高い闇を感じた。

「……なんだか様子がおかしくないかい?」

 ジョルジュがジャケットのポケットから布の袋を取り出して言う。

「なーんかやばい感じすんな」

 オレも、携帯電話を開いて、非常時用のアダルトサイトを表示させて、畳んで握る。勤も、 ベストのポケットから布袋を取り出している。なだらかな坂になっているその上の方を見ていた勤が、 袋から数珠を取り出して叫んだ。

「有象無象の大群が来るぞ!」

 それに応えてジョルジュも布袋からロザリオを出して握り、 そのまま内ポケットから水の入った数本の試験管を取り出す。そう言えば、オレもこんな事が突然会った時のために、 いつものあれの小さいボトルを持ち歩いてるんだった。それを思い出して、 ボディバッグから粘度の高い液体が入ったボトルを引っ張り出した。

 でも、これであいつらをなんとか出来るのか? あまりにも多勢に無勢すぎる。 目の前に迫った蠢く大群を見て怯んでしまう。

 だめだ、そんな事を考えてる暇はない。最低限飲み込まれないようにしないと。

 そう思ったその時、何かが割れる音がして、白い矢が雨のように、 襲い来る大群に降り注いだ。矢で射られた蠢く塊は蒸発し、そこから伝染するように、群れの一部分がぽっかりと空いた。

「あんたたち、こっちにおいで!」

 その声と同時にオレの背中が引っ張られたので、そのまま勤とジョルジュの腕を掴み、 引っ張った人物の方向へと走り出した。

 

 参道から少し離れた場所まで逃げ、オレを引っ張った人物を見ると、声から察しは付いていたけれど知った顔だった。

「おうツツジ、助かったわ」

 背中に円筒形の布バッグを背負い、手には木で出来た小さな弓を持ったツツジが、呆れたようにオレ達を見てる。

「全く、あんたみたいな子が神無月のこんな時間に、表参道なんて通るもんじゃないよ」

「え? なんかわかんないけどごめん」

 一体どう言うことなんだろう。不思議に思っていると、ジョルジュと勤もツツジにお礼を言っている。

「ありがとうございます、助かりました」

「危ないところをありがとうございました。

そっか、神無月かうっかりしてた……」

 三人でツツジに頭を下げて、それからはっとしたようにジョルジュが勤に訊ねる。

「あれ、ところで『かんなづき』? というのはなんだい?」

 その質問に答えたのはツツジだった。

「毎年十月になるとね、八百万の神様達が出雲に会議をしに出て行っちゃうんだよ。

それで、その間出雲以外の各地には神様がいなくなるから、その時期のことを『神無月』って呼ぶんだ」

「神様がいなくなる? それは、とても大変な事なのでは?」

 ジョルジュはそう言って驚いているけど、オレの疑問は他の所に有った。

「でも、その神無月にオレらみたいなのがそこの参道通るのよくないって、なんで?」

 その質問にも、ツツジは答えてくれる。

「そこの参道は、昔から気枯れたやつらが集まりやすい場所でね。特に神無月なんかは抑える物が何も無くなるから、 イツキみたいな拝み屋が夜中に彷徨くと危ないんだよ」

「ヒェッ……まじか……」

「たまにうっかり、あんたみたいにふらふらしてるのがいるから、毎年期間限定で私がこの辺をパトロールしてるんだよ」

 ふと、ツツジが勤とジョルジュに目をやる。手元に持っている数珠やロザリオが気になったようだ。 それを見てツツジは溜息をつく。

「さて、イツキのお友達も同業みたいだし、丑三つ時を過ぎるまでは参道沿いは危ない。

夜が明けるまで時間つぶせるお店紹介しようか」

 その言葉に、先程の大群を思い出しているのだろう、ふたりとも表情を強張らせてただ頷いていた。

 

 ツツジに案内されたのは、朝五時まで営業しているダイニングバーだった。なんでも、 オレ達みたいなうっかりをやらかす拝み屋というのは時々いて、そういうのを保護した時によく使う店らしい。

 すっかり酔いが覚めてしまったので、改めて飲み直す。勤とジョルジュも飲み直すのかなと思ったら、 余程肝が冷えたらしくジュースを飲んでいる。

 ふと、オレは気になったことをツツジに訊ねる。

「そう言えば、こんな夜中にこんな所来てて、旦那さんは心配しない?」

 すると、ツツジの答えはこうだった。

「まぁ、心配はされるけど、こう言う仕事もやってるってのは話してあるから、ある程度納得はしてくれてる。

あと、帰ってから甘やかしてるから」

「それで納得すんだ」

 その話を聞いた勤が、心配そうな顔でツツジに言った。

「でもツツジさん、こう言うお店に連れてくるとなると、その、よくないことを考えるやつもいるんじゃ……」

 なにか思い当たる節でもあるのか、ツツジがふっと暗い顔をする。

「まぁ、今のところ大丈夫だけど、その可能性はなくならないんだよね」

 ツツジは溜息と共にそう呟いて、コーヒーを飲む。このことについては、きっと長いこと悩んでいて、 解消していないのだろう。眉間の皺が深い。

「実家に帰る度に相談はしてるんだけど、まぁ、世の中そう思い通りには行かないねぇ」

 その一言を聞いて、こっちの仕事もかなり負担になっているのだろうなと思ったし、それと同時に、 家族に悩みを相談できるツツジが羨ましくも頼もしくも感じた。

 

†next?†