第十章 扉を開けた日

 大晦日の昼間、オレはスーツを着て、髪もきっちり整えて、 いつものドクターバッグには着替えを詰めて電車に乗っていた。

 閑散とした車内で何度も携帯電話を開く。液晶に映しているのは、 三日前に母親から届いたメール。次の元旦は実家で過ごすつもりなんだけれど良いだろうかという内容を送ったのだけれど、 その返信だ。

『もちろん良いですよ。

都合の良い時間に来て下さい』

 少し他人行儀に書かれたそのメールを見て、仕方なくこう返しているだけなのだろうかとも思ってしまう。

 でも、ここでやっぱり行くのをやめたなんてできない。やめたりなんかしたら、 折角変わるきっかけを掴みに行く決心が揺らぐ気がした。

 重くなる足に気合いを入れるためにスーツを着て、 今まで仕事の時でもしたことが無いくらいに身なりを整えた。髪を整えるのは普段もやるから手際よく出来たけれど、 結び慣れないネクタイは、形がきれいになるまで何度も結び直した。

 こう言う格好をしてると、ちゃんとした会社に勤めてるとか、そういう風に見えるのかな。母ちゃんは勿論、 父ちゃんもオレがどんな仕事をしているのかを知らない。実家にいた頃は、 日雇いバイトをして生活してるのかと思われていて、まぁ日雇いではあるな。そうなんだけれど、 まさか拝み屋をやってるなんて言えなくて、ずっと本当のことを言わずに、そうこうしてる内に家を出た。

 仕事のことを訊かれたらどうしよう。さすがにそこまでは話す勇気が無いし、 そもそも実家最寄りの駅に近づくにつれ動悸がしてくる。

 最寄り駅に着いた。

 電車を降りて、ホーム中程の階段を下りる。昔は駆け上がれるくらい短い階段だと思っていたのに、 妙に長く感じた。連絡通路から改札階へ下りていく。だんだん改札前の景色が開けてきて、 思わず足が止まった。改札前に、コートを着て、マフラーをぐるぐる巻いて、 イヤーマフまで着けたステラが立っているのだ。

 改札にICカードを当てて通り抜ける。歩道へ続く短い階段の手前にいるステラに声をかけた。

「よう、誰かと待ち合わせしてんの? それともオレのこと待ってた?」

 つとめていい加減っぽく笑ってそう訊ねると、ステラはポケットからICカードを出して目を逸らした。

「いんや、コンビニ行こうと思って出てきたんだけど、 そろそろお兄ちゃんが来るような気がしたからちょっと覗いただけ」

「そっか。じゃあコンビニ行く?」

「うん。

ああそうそう、コンビニでの買い物、お兄ちゃんが払ってくれてもかまわんよ?」

「オレがかまうよ」

 そんな風に笑い合って、途中コンビニでポテトチップスとチョコレートを買う。ああは言ったけど、 お代は結局オレが出した。

 家に向かう途中、ステラが真面目な顔で口を開いた。

「お兄ちゃん、何か黙ってて欲しいことってある?」

 黙ってて欲しいことそれはまぁ、あれだ。

「仕事についてかな。

って言うか、ステラもオレの仕事は知らないんだよな?」

「いや?」

「え? 知ってんの?」

 仕事のことは、ステラにも話したことは無い。一体どこで知ったのだろう。それとも、何かの勘違いか?

「拝み屋なのは、ちょっと前から知ってた」

「え……なんで……」

 引っ越した後に何か証拠が出たのか、それとも父ちゃんか母ちゃんが知らぬ間に勘づいていたのか、 どっちだろう。そう思っていたら、こう返ってきた。

「お兄ちゃんの部屋にあったアレ、あまりにも数が異常だったんで、高校の友達に相談したんだよ。そしたら、 その子のお兄ちゃんが、ああいうのを拝み屋がお祓いに使う事あるからそうなんじゃないかって」

「まじかよすげぇな。その通りだ。

と言うか、オレの知らない所でオレのぱずかしいこと広めるのやめてくんねぇ?」

「アフターカーニバル」

「せやな」

 まさかあれでバレるとは思ってなかった。でも、 確かに年頃の女の子がいきなりあんな物大量に見たら少なからずショックは受けると思うし、 不安になって友人に相談したくなるのもわからないでもない。

「まぁ、仕事については黙っておく」

「おう、サンクス」

「だから、私が魔法少女なのも黙ってて。

もし話に出したらぶっころがすかんな」

「アッ、ハイ」

 本気で魔法少女だってバレるの恥ずかしいんだな。

 その後お互い黙り込んで、家の前に着くまで静かだった。辿り着いたのは、細い路地が入り組む住宅街にある、 四角いフォルムで比較的近代的な作りの一軒家。ここがオレの実家だ。

 ステラが玄関の鍵を開けて声を掛ける。

「ただいまー」

 中に入って、ドアの前で固まってしまったオレを見て不思議そうな顔をしている。そうだよな、 そんな緊張するほどの事でもないんだよな。

 オレもドアを開けて、おそるおそる中に声を掛ける。

「た、ただいまー……」

 すると、奥からぱたぱたどたどたと足音がして母ちゃんと父ちゃんが姿を見せた。

「イツキ、おかえり。随分早かったね」

「おう、上がれ上がれ。お前と飲むのに酒用意してあんだからよ」

 思いの外すんなり迎えられて、拍子抜けした。もう少しこう、家になかなか入れてくれないとか有るかと思ってた。

 靴を脱いで上がり、リビングへと向かう。寒い廊下から暖かいリビングに入ると、父ちゃんが言ってたように、 缶ビールとあたりめなどのつまみが用意してあった。

「お父さんねえ、あんたが帰ってくるって聞くなり、一緒に飲むんだってお酒買い込んできたんだよ」

「お、おう」

「母ちゃんだって、イツキの好きなビスケットサンドのアイスあんな買い込んできて、人の事言えないじゃん?」

「ん、んー、そっか」

 なんだろう、こんなに歓迎するほどオレの帰りを待っててくれたのなら、 もっと早く帰ってきてもよかった。今更そんな事を思っても遅いけど。

 父ちゃんが椅子に座り、オレも向かいに座る。それから、ステラもごく自然にオレの隣の椅子に座った。

「お父さん、缶ジュース貰うよ」

 そう言って、缶ジュースを開けて、ポテトチップスの袋も開けている。オレも、 おっかなびっくり缶ビールに手を伸ばして、プルタブを開けた。

「えっと、じゃあ、いただきます」

 既に缶ビールを開けてた父ちゃんと乾杯をして、ビールを喉に流し込む。

 その様子を見てた母ちゃんが、父ちゃんの隣に座りながらオレに言う。

「それにしても、まさかあんたがそんなかしこまった格好で来ると思ってなかったし、 そんな服持ってるとは思わなかったねぇ」

 そうだろうなぁ。ちょっと前まで、こんなカッチリした服は当分必要無いと思ってたし。

「どんな仕事か知らないけど、そう言うの買えるくらいには稼いでんだな。えらいえらい」

 父ちゃんまでそんな事を言って、でも、どんな仕事をしてるのかの言及はしてこなくて、ひどくほっとした。

 ステラも、オレの方を見ないままに言う。

「お兄ちゃんがそう言う格好してると普通に残念なイケメンだから、すごい友達に紹介したくない」

「おお、褒められてんのかディスられてんのかわかんねえなこれ」

 その言葉でみんな笑って、ようやく緊張がほぐれた。オレが居なかった間の話をして、たまにちょっと黙り込んで、 はぐらかしたこともあるけれど、今まですごく離れていると思ってた家族との距離が縮まった気がした。

 想像上の距離を勝手に作って、勝手に怯えてたのはオレだけなんだ。そう思うと恥ずかしいけれど、 あったかくて安心した。

 今度の正月で、家族に甘える練習をしたら、今度は勤やジョルジュ、 それにリンと奏にも程良く甘えられるように頑張ろう。

 

 今まで扉を閉じてたのは、オレ自身だったんだ。

 

†fin.†