第三章 正の場合

 ここは、繁華街にある英国風パブ。

暖色の照明に照らされた店内の一席に二人組の男性が座っていた。

 ビールを片手に机に突っ伏す男性が、向かい側に座る男性に言う。

「勤~、また彼女に振られちゃったんだよ~」

「正兄ちゃん、その台詞、本日十回目な?」

 彼女に振られたと言っているのは、普段雑誌のモデルを仕事としている寺原正。愚痴を聞いているのが弟の勤だ。

 実は、今日は正が彼女とのデートをしている日だったのだが、デートの途中で彼女が怒り出し、 振られてしまったのだという。

勤としては、兄の正が振られる度にこうやって飲みに付き合わされるので、そろそろこう言う話にも慣れてきた。

 何で振られたんだろう、なんで振られたんだろう。とビールを飲みながら繰り返す正に、 勤はミントの葉が浮いたモヒートを飲みながらこう訊ねた。

「正兄ちゃん、もしかして今日、新しいカエル買った?」

「え?なんでわかんの?」

 勤の問いが図星だったらしく、正は持っていた紙袋の中から、パックされたクリアブルーのカエルの人形を取り出す。

「これ、新作なんだよ。

それで、今日デートのついでにこのカエル買おうとしたんだけど、そしたら彼女がすごい怒り始めてさ。

何でだろうなぁ……」

「おう」

 そう正は言うが、勤には正が振られた理由が何となくわかっていた。

今までの彼女の時もそうだったのだが、大体正が集めているこのカエル人形の収集に呆れて、別れ話を切り出すのだ。

 正は、新作のカエル人形が出る度に、デートのついでと言って販売店を訪れる。

その店は人形に興味の無い人からすれば退屈な物のようで、ついつい入り浸る正に愛想を尽かしていくのだ。

中には、正にカエル人形を処分しろと言ってきた彼女も居たのだが、そう言った女性は正の方から、お断りだ。と言って、 別れてしまっていた。

「いいじゃん、カエルかわいいじゃん……

何がいけないんだよ……」

「そうだな、デート中に彼女ほっぽってカエルにかまけてるのがいけないな」

 勤の返しに正は、彼女だってデート中に自分をほうってアクセサリーや洋服に夢中になっている。と主張する。

どっちもどっちだなと勤は思ったが、口には出さずにモヒートのおかわりを買いに行った。

 

 勤を散々付き合わせ、なんとか歩けるというほどにまで酔った正は、大事そうにカエル人形の入った紙袋を抱えて、 住んでいるアパートのドアを開ける。

 ワンルームでは有る物の、少し広めの部屋。

その部屋に置かれた五段組の本棚は、下二段に本が、上三段に今日正が買ってきたような、 スリムな体に円盤形の頭を乗せたカエル人形が並べられていた。

 部屋の中に入った正は、紙袋の中からカエル人形の入ったパックを取りだし、開封する。

「はぁ……

人形の話が出来る知り合いが欲しい……」

 同志が身近に居ない寂しさに肩を落としながら、今日早速買ってきたクリアブルーのカエル人形を棚に追加する。

 暫くの間、かわいいのに、かわいいのに。とブツブツ呟きながらカエル人形と視線を合わせていたが、 ふと思い出したようにスマートフォンを取り出した。

「そう言えば、SNSでオフ会の募集かかってたよな」

 正が言っているSNSというのは、人形の写真を展示するのがメインの、人形の同志が集まるSNSだ。

今までなかなか参加するきっかけが無かったけれども、最近見掛けたトピックスで、 気軽に参加出来そうなオフ会の参加者募集がかかっていたような気がする。

それを思い出した正は、スマートフォンでSNSを開き、オフ会のトピックスを見た。

どんな種類の人形でも構わないというような旨が書かれているので、 正が集めているカエル人形を持参しての参加も可能だろう。

 このままカエル人形の良さをわかってくれる人が周りに居ないままなのは嫌だ。

そう思った正は、オフ会の参加表明を書き込んだ。

 

 そして翌日。仕事先に出勤する間、正は真っ青な顔をしていた。

二日酔いという訳では無い。昨晩、ついついオフ会の参加表明をしてしまったが、 その事を思い出して不安に襲われているのだ。

 そもそも正が今までオフ会に参加しなかった理由というのは、 少し閉鎖的な印象がする人形愛好家の輪に飛び込む勇気が無かったからだ。

気軽に参加出来そうだと思ったのは、酔った勢いだったのかも知れない。そう思えてしまい、 オフ会の参加表明を取り消そうかどうか、ついつい考えてしまう。

 けれど、カエル人形の良さをわかってくれる人が周りに居ないのが寂しいというのも事実なので、もうこのまま、 玉砕覚悟でオフ会に参加しても良いのでは無いかと、自分に言い聞かせた。

 

「勤~。飲みに付き合ってくれよ~」

『別に良いけど二日連続で何があったん?』

 仕事が終わった後、正はスマートフォンで勤に電話をかける。

状況がわからないと言った様子の勤に、正は待ち合わせ場所を伝えて通話を切った。

 

 それから一時間ほど経って。正と勤は、昨日入った英国風パブに居た。

正はビールを、勤はモヒートを注文した。

 何故今日勤を呼んだか。正はその説明をする。その理由は、昨晩参加表明したオフ会だ。

今朝電車の中で、玉砕覚悟でオフ会に参加するという決意を固めはした物の、不安が尽きないのだ。

「俺、オフ会に参加しても大丈夫かな……

主催や他の人に迷惑がられたりしないかな……」

 今まで全く人形の愛好家と交流を持てていなかったせいか、正は頻りに不安を口にする。

 暫く正の話を頷きながら聞いていた勤が、テーブルの上にグラスを置いてこう言った。

「初めての事で不安があるのはわかるけどさ、そんな迷惑がられるって心配しすぎるの、主催に失礼じゃ無いか?」

「え?なんで?」

「だって、主催はみんなで楽しむつもりで募集かけてるんだろ?

正兄ちゃんが悪い事考えてるならともかく、そうでも無いのに迷惑がる気なんて無いと思うんだけど」

 勤の言葉で、正の中の不安が少し和らぐ。

そうだ、何もしない内から迷惑がられるなんて考えるだけ損だ。そう思った。

「そっか、そうだよな。

勤はコミュ力高いな」

「正兄ちゃんがやや低いだけだぞ?」

「ひどい」

 その後、勤に背中を押して貰えた正は、勤と一緒にほろ酔いになる程度に飲んで。

改めてじっくりとオフ会の詳細を確認する為に部屋へと帰っていった。

 

 部屋に帰りスマートフォンを握る正。

改めてオフ会の詳細を確認しているのだが、特に問題は無さそうだ。

うっかり参加条件をまともに読まずに参加表明をしてしまっていたので、条件に引っかかるようだったら、 参加を辞退しようと思っていたのだ。

けれど、条件はそんなに厳しい物では無く、むしろ今までに募集がかけられていたオフ会よりも、 親しみやすそうな物だった。

ナンパ行為禁止という条件があるので、 女性が多いであろう人形のオフ会に男の自分が参加したら不安がられるかも知れないと思ったが、 そもそも男性の参加も視野に入れているから、敢えてこう言う条件がある訳で。

それを考えると、男である自分が参加する事も許されているような気分になった。

「おお……なんかすごい楽しみになってきた」

 参加表明をして居るのは、正と主催を入れて三人しか居ないが、もしこの三人だけでも、 人形についての話が出来るのなら参加する価値がある気がした。

 正は来るオフ会の為に、どのカエル人形を持っていこうかと思案する。

公園でブルーシートを敷いて行うというピクニック形式だから、全部持っていくのは難しいだろう。

 今朝の不安はどこへやら。正は期待を膨らませて頭を悩ませた。

 

†next?†