第十一章 しっとりアーモンド

 会社から帰ってきて、今日も夕飯の買い物がてらのウォーキングをしている。
 発作的な危機感からはじめたこのウォーキングも、よくもまぁここまで続いているものだと思う。とはいえ、ウォーキングを続けていることでだいぶ体も軽くなった気がするし、夜もよく眠れるようになった。会社での仕事が長引くと、ウォーキングがしんどいと思うこともあるけれど、そういう日は素直に休むことにしている。無理をしていないのが長続きの秘訣なのかもしれない。
 でも、長続きの秘訣はもうひとつある。いつも歩いている親水公園沿いを進み、大きな道路に突き当たる。そこにある横断歩道の向こう側には、白い壁の小さなパティスリーがある。あのパティスリーで、月に一回だけケーキを食べるのが、ウォーキングのモチベーション維持に繋がっている。
 前回あのお店に入ってから、たっぷり一ヶ月は経っている。そろそろ、またケーキを食べてもいい頃合いだ。
 横断歩道の信号が青に変わるのを待って、道路を渡る。それから、もう慣れた手つきでパティスリーのドアを開ける。微かに甘い香りが鼻をくすぐった。
 今日はどのケーキを食べようか。そう考えながら、まずは席を取ろうと奥の方にある客席を見渡す。すると、残念ながら今日は席が全部埋まっていた。
 どうしよう、できればここで食べていきたかったけれど、お持ち帰りでケーキを買っていくか、それとも出直すか。少し考えて、いつもはあまり見ていないショーケースの向かい側を見る。するとそこには、壁に据えられた棚一杯に、クッキーやマドレーヌ、ビスケットやフィナンシェなどが並んでいた。
 こっちもこんなにおいしそうなものがたくさんある! なんで今まで気づかなかったんだろう!
 新しい発見に胸を弾ませながら、棚の上を見る。今日は客席も埋まってるし、このあたりのものを買って帰って、家で食べてもいいかもしれない。そう思いながら棚を見ていると、わくわくに比例して悩みも出てきた。どのお菓子を選べばいいのかわからないというのと、家に買って帰って食べ過ぎてしまわないかが心配になったのだ。
 月に一回のことだし、多少食べ過ぎても良い気はする。けれども、それでも気になってしまう。
 少し考えて、ショーケースの方に向き直る。ショーケースの向こう側にはいつも通りに店員さんがいたので、思い切って訊いてみることにした。
「あの、ひとつ伺いたいんですけど」
「はい、なんでしょう」
「ダイエット中でもおすすめのお菓子ってありますか?
カロリーが低いとか、糖質が抑えめとか」
 そんな都合のいいお菓子があるかどうかはわからなかったけれども、せめてカロリー低めのものを教えて貰えるならと思ったのだ。
 私の難しい注文に、店員さんはにっこりと笑ってこう訊ねてきた。
「糖質制限用のクッキーのご用意はありますが、お客様、アレルギーはございますか?」
「アレルギーですか?」
 そうだ、このお店はアレルギーに対してかなり配慮しているのだ。もし私にアレルギーがあったとしたら、その糖質制限用のクッキーはおすすめできないのだろう。
 でも、実際の所私は特にアレルギーがないので、その旨を伝える。すると、店員さんはショーケースの向こう側から出てきて、壁に据えられた棚から、透明な袋に包まれた、素朴な印象の丸いクッキーを手に取って、私に勧めてきた。
「こちら、小麦粉や米粉など、糖質多めの粉は使用せず、代わりに良質な油分を含んだアーモンドの粉を使って焼き上げたクッキーになります。
砂糖も控えめで、甘味は中に混ぜたデーツで出しております。
デーツはミネラルも多く含まれていますので、アーモンドと合わせて、ダイエット中にお召し上がりになるのにぴったりかと思います」
「そうなんですね。アーモンドかぁ……」
 私はアーモンドが好きなので、糖質カットというだけでなく、このクッキーに惹かれた。
 でも、このクッキーはそのまま囓っていいのだろうか。合わせるのにおすすめの飲み物とか、そういったものはあるのだろうか。そう思ったので、それも店員さんに訊ねる。
「おすすめの食べ方ってありますか?」
 すると、店員さんはまた丁寧に説明してくれる。
「こちらのクッキー、そのまま囓ってもおいしいのですが、かなり固めの仕上がりになっておりますので、食べづらいときは砂糖を入れていない紅茶やコーヒー、ルイボスティーなどに浸しながら食べるのもおすすめです。
そうしますと、お腹にもたまりますしね」
「なるほど……えー、おいしそう……」
 飲み物に浸してクッキーを食べるなんて、やったことがない。その食べ方に興味を惹かれたのもあって、私はそのアーモンドのクッキーを買う事にした。
 お会計をして、店員さんに最後にこう言われた。
「もしダイエット中なのでしたら、食べ過ぎにはご注意ください」
 その言葉に、曖昧な笑みを返す。痛いところを突かれたなぁ。

 アーモンドのクッキーが入った袋を持って、いつもの親水公園沿いを歩いて、今日のノルマをこなす。スマートフォンの万歩計を見ると、今日も歩いた歩数は上々だ。帰り際にスーパーに寄って夕食の材料を買い、家に帰ってざっくりと料理をする。ごはんだけ家を出る前に炊飯器にかけていたので、おかずだけを作ればいい。今日は手羽元と野菜たっぷりの味噌汁というか、鍋的な物だ。毎日毎日そんなに何品も作っていられないので、とりあえず彩りのいい野菜と肉類を煮るか炒めるかして食べることが多い。
 自分が作る料理に不満はないけれども、時々考えてしまう。あのパティスリーのパティシエさんが、私のごはんを作ってくれたらどれだけ幸せだろう。お菓子が作れるからといって、料理もできるとは限らないのだろうけれども。
 大雑把に作った今日の夕食を食べ終えて、洗い物を済ませる。それから軽くシャワーを浴びることにした。
 本当は、一刻も早くあのアーモンドのクッキーを食べたい。食べたいのだけれども、折角食べるのなら、寝る前のゆったりした時間に、おいしいお茶を淹れて楽しみたいのだ。
 急いでシャワーを浴びて、全身さっぱりして、それから、電気ケトルでお湯を沸かす。お湯が沸くまでの間に、ティーポットを用意してその中に茶葉を入れる。
 今回淹れるお茶は、甘い香りの付いたルイボスティーだ。紅茶やコーヒーでもいいのだろうけれども、私は個人的にルイボスティーが好きなのと、寝る前にカフェインを摂ると寝付けなくなりそうなのでこれを選んだ。
 もしかしたら、あのパティスリーでケーキを食べるときはいつもルイボスティーを頼んでいるから、それも意識の中にはあったのかもしれない。
 お湯が沸き、ティーポットの中にお湯を注ぐ。三分間蒸す。その間に、買って来たアーモンドのクッキーをかわいいお皿の上に盛って。お茶を蒸らし終わったら、お気に入りのマグカップにお茶を注いで準備万端だ。
 テーブルの上にティーセットとクッキーを乗せて、クッキーを手に取る。まずはそのまま囓ってみたけれども、確かに固い。しっかり噛んで食べるのも健康に良さそうだけれども、顎がつらい。なので、店員さんのおすすめ通り、クッキーをお茶に浸して食べてみた。
 すると、クッキーが程良く柔らかくなり、アーモンドの香りが際立った。中に入っているといっていたデーツであろうドライフルーツも、黒糖のような甘味で、甘さ控えめな生地と相まって味わい深いものになっていた。確かに、これならお茶に砂糖を入れる必要はないだろう。
「えー……めっちゃおいしい……これはリピート確定じゃん……」
 夜寝る前に、こんなしあわせな時間が過ごせるなんて、こんなことは滅多にない。クッキーを食べながら、私は今この時のしあわせをしみじみと感じていた。
 そうしている間にも、クッキーを食べ終わってしまった。少し残ったお茶を飲みながら余韻に浸る。
 今まであのパティスリーではケーキしか目に入ってなかったけど、たまにはクッキーを買って帰って、家で食べるのもいいものだ。
 そういえば、あのお店のことを誰にも話したことがなかった。今度友達とかにお土産でクッキーやなんかを買っていって、あのお店のことを紹介してもいいかもしれない。そんなことを考えていると、とてもリラックスできた。
 お茶を飲み終わって、ティーポットとマグカップ、お皿を洗って、しあわせな気持ちのまま布団に入る。
 なんとなく、明日もまた頑張れる気がした。

 

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