第十三章 お兄ちゃんのパティスリー

「あのお店行くの久しぶりだね」
「そうだね。気に入ってくれた?」
「もちろん! おいしいケーキ大好き!」
 仕事の関係で知り合った友達と、そんな話をしながら静かな住宅街を歩く。今日は友達と一緒に、お兄ちゃんが経営しているパティスリーに行くのだ。
 この友達は、以前にも一回お兄ちゃんのお店に連れて行ったことがある。その時に、ほうれん草のタルトをとてもおいしそうに食べていたので、機会があったらまたつれて行きたいと思っていた。
「チカちゃんと一緒にあのパティスリーに行くの、たのしみにしてたんだから」
 友達がそう言って、私の手をぎゅっと握る。私も手を握り返して言葉を返す。
「うふふ、嬉しい。
私も理奈ちゃんとお兄ちゃんのお店に行くの、たのしみにしてたんだ」
 そんな話をしながら歩いていると、大きな通りに出た。この通り沿いにお兄ちゃんのお店はある。大きな通りをしばらく歩くと、白い壁のお店が見えてきた。横断歩道の向こう側に見えるあのお店が、お兄ちゃんが経営しているパティスリーだ。
 友達の理奈ちゃんとふたり並んで信号が青に変わるのを待つ。信号が変わったら、横断歩道を渡ってお店の前にいった。
 お店の前には、ケーキの写真が貼られ、お店の名前が書かれた看板が置かれている。その看板に貼られた写真を見て、理奈ちゃんとどれもおいしそうだよね。という話をしてから入り口のドアを開ける。中に入ると、微かに甘い香りがした。
「いらっしゃいませ」
 店員さんの挨拶に軽く頭を下げて店内を見渡す。どうやらお兄ちゃんは今厨房にいるようで、店頭にはいなかった。
 まぁ、それもそうか。お兄ちゃんはこのお店のオーナーパティシエなのだから、お菓子を作るので忙しくても何も不思議はないのだ。本当はお兄ちゃんに声をかけていきたかったけれど、仕事の邪魔はできない。なので、理奈ちゃんと一緒にショーケースを見てから、奥の方にある客席に目をやった。なんとか席は空いているようだった。
 一番奥にある席に座って、メニューを見る。理奈ちゃんが、難しそうな顔をしてメニューを見ている。
「うーん、どれもおいしそうだなぁ」
 そう言ってメニューのページを捲っている。確かに、どれもおいしそうでこの中からひとつ。というのはなかなかに難しい。
「チカちゃんはどれにしたいか決めた?」
 理奈ちゃんのその問いに、私はにこりと笑って返す。
「私はチーズケーキにしようかなって。
理奈ちゃんはどうする?」
 私の言葉に、理奈ちゃんは悩む素振りを見せてからこう言った。
「私はタルトタタンにしようかな。
食べたことないんだよね」
「そうなの? お兄ちゃんが作るタルトタタン、とってもおいしいからたのしみにしててね」
「んふふ、私もチカちゃんのお兄ちゃんの腕前は信頼してる」
 ケーキが決まったところで、飲み物を選ぶ。あまり他のお店では見かけないということで、今回はふたり揃ってルイボスティーを頼むことにした。
 お水とお手拭きを持って来た店員さんに、注文を伝える。それから、また理奈ちゃんと向き合ってケーキの話をした。
「この前食べたほうれん草のタルト、すごくおいしかったからまた食べたかったけど、他のも気になっちゃってさ」
「そうだよね、野菜のケーキって珍しいし。
でも、理奈ちゃんがお兄ちゃんのケーキを気に入ってくれて嬉しいな」
「そりゃあ、私もおいしいものは好きだしね」
 しばらくそんな話をしていると、飲み物とケーキが運ばれてきた。ふたりでいただきますをして、まずはお互いひとくち分ずつケーキを交換する。理奈ちゃんから貰ったタルトタタンは、カラメルの部分がカリッとしていてほろ苦いけれど、甘いりんごの柔らかい食感とよく合ってる、やっぱりお兄ちゃんの腕前は確かだ。
「んー! チーズケーキもおいしい!」
「タルトタタンもおいしいよね」
 お互い交換したひとくちを食べてから、自分のケーキに手を付ける。理奈ちゃんはタルトタタンをとても気に入ったようだった。
「タルトタタンって、こんな味なんだ。すごくおいしい」
 そういう理奈ちゃんを見て、思わず笑みがこぼれる。
「お兄ちゃんが聞いたら、きっと喜ぶよ」
「えへへ。でも、おいしいのは本当だもん」
 話しながらケーキを食べていると、だんだんと話の方向がケーキから外れて仕事の内容に変わっていった。理奈ちゃんはよく音楽番組に出るので、出演した音楽番組を見たよ。だとか、理奈ちゃんの方も、モデルをやっている私が載っている雑誌を見ただとか、そんな話だ。
 私はお兄ちゃんに似てかなり太っているのだけれども、最近はぽっちゃりさん向けのファッション誌というものもあるので、その雑誌によく出ている。理奈ちゃんはかなりスリムな部類なので、私が出るような雑誌の想定購買層ではないのだろうけれども、それでも、私が出ているからと、その雑誌を定期的に買って読んでくれている。そのことがとても嬉しかった。
 ケーキを食べ終わって、これからどうするかという話をする。まだ陽が高いので、家に帰るにもまだ早い気がするのだ。
「これから新宿とか行ってお店見るのも大変だよね」
 そういう理奈ちゃんに、私はぽんっと手を合わせてこう提案する。
「このお店に来るのに降りた最寄り駅あるでしょ? そこから出てるバスに乗れば、一本で臨海公園に出られるんだけど、そこをお散歩するのどう?」
 すると理奈ちゃんは、にっと笑ってこう答える。
「いいね。お弁当とか買っていってそこで食べてもいいし、それに」
「それに?」
「ここでクッキーとかビスケットとか買っていったら、ちょっとしたピクニック気分じゃない?」
「そうだね、そうしようか」
 私と理奈ちゃんは、一緒に遊ぶとき、結構人が多い繁華街に出ることが多い。だから、公園でピクニックといったことは今までしたことがなかったので、それはそれでたのしみだ。
 ゆっくりとお茶を楽しんでから、ショーケース前の棚の前に移動して焼き菓子を見る。クッキーもビスケットもフィナンシェも、どれもおいしそうで悩んでしまう。
 そうやって悩んでいると、後ろから声が掛かった。
「チカ、来てくれてたのか」
 その声に振り替えると、私と同じようにかなり太った男の人が、ショーケースの上にケーキをたくさん乗せてにこにことしていた。
「お兄ちゃん久しぶり!」
 私とお兄ちゃんがやりとりをしている間にも、元々そこにいた店員さんが、ケーキをショーケースの中に入れていく。お兄ちゃんも、少し待ってといってから、ショーケースの中にケーキを並べている。
 それがすっかり終わってから、お兄ちゃんがまた話し掛けてきた。
「今日もお友達を連れて来てくれたのか。
うちのケーキは気に入ってくれたかな?」
 それを聞いて、理奈ちゃんがぺこりと頭を下げてからこう答える。
「今日食べたケーキもおいしかったです。
はじめてタルトタタンを食べたんですけど、あんなにおいしいなら、また食べたくなっちゃうくらい」
「そうかそうか、気に入ってくれたようで嬉しいよ」
 私もチーズケーキがおいしかったとお兄ちゃんに言う。それに、こう付け加えた。
「お兄ちゃん、お仕事忙しいみたいだけど、あんまり無理しないでね」
「もちろんさ。あまり無理しても、おいしいケーキは提供できないからね」
 それから、お兄ちゃんは仕事があるからと厨房に戻っていった。私も、理奈ちゃんと一緒に買っていくお菓子を選ぶのに、ショーケースの向かいにある棚に向き直った。
 ラズベリー入りのクッキーがおいしそうだったので、それを買ってお店を出る。いかにもわくわくした顔をした理奈ちゃんに、臨海公園はどんなところなのかと訊かれたので、駅への道を歩きながら、簡単に説明をする。
「臨海公園はとっても広くて、季節ごとのお花が咲いてたりするんだよね。海の見える芝生の広場も気持ちいいけど、水族館もあるから、そこを見てもいいかもね」
「水族館があるんだ。いいなぁ、見てみたい」
「それじゃあ、時間に余裕はあると思うから、水族館も見ようか」
 ふたりで駅前に出て、バスに乗る。これから一緒にピクニックをすることに、期待が高まった。

 

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