第八章 会えなかった間に彼は

 今日の仕事はファッション誌のインタビューと写真のモデルだ。最近は大人っぽいメイクやファッションでの撮影が増えた。テレビやMVで着る衣装も、十代の頃に比べるとだいぶ大人っぽくなったと思う。昔着ていたレースとフリルの服はいまでも好きだけれど、求められているのはそれではないのだ。
 今日は雑誌の仕事だけで、他の仕事はないしレッスンもお休みだ。いつもなら雑誌の仕事があった日はその後か前にレッスンを入れるのだけれど、今日は奏が出演するというコンサートに行くために休みを取らせて貰ったのだ。
 どうやらマネージャーもコーチも、私は無理にでも休ませないと休まないと思っていたようで、今日の半休は喜んで取らせてくれた。
 雑誌の仕事が終わった後、マネージャーが少し心配そうに訊ねてくる。
「理奈ちゃん、おでかけするのはいいけど、誰か一緒なの?」
 奏と私の写真が週刊誌に載ったあの騒ぎは、さすがにもう落ち着いてきたけれども、また何かあったらと心配なのだろう。私はにっと笑って返す。
「今日は女の子の友達と一緒だよ」
「そっか。それなら良かった」
 マネージャーは安心しているけど、本当は華ちゃんのことを本当に友達と言っていいのかはわからない。わからないけれども、友達になりたいという気持ちは私の中にはしっかりとあった。
 そろそろ準備しないと華ちゃんとの待ち合わせに間に合わない。軽くマネージャーに挨拶をしてから、着替えの入った鞄を持って駅へと向かった。

 途中、駅のお手洗いにあるフィッティングボードを使ってきちんとした服に着替える。明るい若草色の生地でできたミモレ丈のワンピースに、白いレースでできたボレロを着る。これに一石使いのダイヤのネックレスを付ければ、ちょっとドレスコードが厳しめのコンサートでも大丈夫だろう。
 待ち合わせに遅れないように会場最寄り駅の改札前に向かう。改札の外は人が多くて賑やかで、そこにはすでに、紺色のワンピースを着た華ちゃんが待っていた。
「華ちゃんお待たせ! 待たせちゃった?」
「ううん、私も今来たとこ」
 時計を見ると、待ち合わせ時間きっかりだ。華ちゃんが早速会場に行こうというので、目の前の横断歩道を渡って会場に入る。
 開場まで少し時間があったので、一階のホールで華ちゃんと少し話をする。奏との馴れ初めとか、そんな話だ。すると、華ちゃんがくすくすと笑いながら言う。
「はじめ、女の子と会うのにふたりきりだと困るから付き添ってほしいって奏君に言われたとき、『えっ、女の子の友達いるの?』って思っちゃって」
 それを聞いて、つい笑ってしまう。
「あ、うん。私も女の子の友達に同伴してもらうって知ったとき、『えっ、女の子の友達いるんだ?』って」
「思っちゃうよねー」
「思っちゃう思っちゃう」
 そうこうしている間にも開場の合図が鳴る。ふたりでホールに入って隣り合って座った。
 こういうコンサートは静かにしていた方が良いのだろうか。演奏中はもちろん静かにするけれども、開演前も静かな方がいいのだろうか。そんな事を考えながら、先程聞いた奏と華ちゃんの馴れ初めを思い出す。あのふたりは大学で知り合って、華ちゃんの方が先輩なのだそうだ。大学のサークルで会って、気が合って、いまでも交流を続けていると言う。
 大学に行ってもいない、高校までの知り合いで友人として会っている人が誰もいない私からすれば羨ましい話だ。でも。ちらりと華ちゃんの方を見る。すると華ちゃんは私の方を向いてにこりと笑いかけてくれた。私も仲間に入れてくれるのかな。

 開演時間になり、まずはオーケストラの演奏が始まった。プログラムを見ても難しい名前でよくわからない。誰が作った曲なのか、どんな謂われの曲なのかはわからなかったけれども、音量に緩急が付いているとは言え、圧倒的な音圧の音楽は心地よかった。
 オーケストラの演奏を聴いていると、楽器の演奏者の後ろに黒い服を着た沢山の人が並びはじめた。並びきっていったん音が途切れると、今度は合唱が始まった。
 こんな豪華な伴奏に合わせて歌う気持ちはどんなものなのだろう。そして、あの合唱団の中に奏はいるのだろうか。じっと目を凝らす。けれども奏の姿は見つけられなかった。
 合唱を何曲か聴いて、普段自分が聴いている、歌っている曲とのギャップを感じていると、舞台左手からひとりの男が舞台に出て来た。指揮者にお辞儀をして、指揮者の隣に立ちこちらを向く。その男こそが、私たちをここに招いた奏その人だった。
 指揮者が指揮棒を振る。オーケストラの演奏が始まる。体を圧迫する強い音。それに合わせて奏はひとりで歌った。
 そう、ひとりで歌って、それなのに彼の声はオーケストラに負けていなかった。男とは思えない高い声で、朗々と歌を歌い上げる。
 これが、これが奏の実力なのだ。それに気づいてただ呆然とするしかできない。こんなに心地いい音は……

 コンサートが終わり、華ちゃんと一緒に夕食に行った。
 ざわつく店内でパスタを食べながら華ちゃんに訊ねる。
「奏って、大学の時からあんなだったの?」
 すると、華ちゃんは頷いて答える。
「うん。大学の時からああいう歌の練習してたよ」
「なるほど。そうなんだ……」
 奏は大学の時から、いや、音楽系の大学に行ったということは、それよりも前からずっと歌の練習をしていたのだ。
 私は、私はどうなんだろう。もちろん練習はしていたけれど、あそこまで圧倒的ななにかが私の歌にはあるだろうか。それを考えると急に、負けた。という気持ちになってきた。
 わかっている。オーケストラを背に歌った奏と、ステージで踊りながら歌う私では、求められるものも求める人も違うというのはわかっている。けれども、あの圧倒的な力が欲しいと思ってしまうのだ。
 それを素直に華ちゃんに話すと、華ちゃんは私の頭を撫でてからこう言った。
「だったら直接奏君に相談した方がいいよ」
 それを聞いて、それは奏に対する甘えになってしまうのではないかと思ったけれども、この際多少甘えさせて貰っても良いのではないかと自分に言い聞かせる。
 頭に浮かんだのは、最近のCDの売上チャートだ。私は未だに、アマレットシロップの売上を抜けていない。あのふたりを越えるには、いま練習で得られているもの以上のものが必要だ。
 華ちゃんと別れ家に帰った後、携帯電話を握ってメールを打つ。奏もコンサートのあとで疲れているだろうけれども、都合の良いときに見て返すだろうと送信する。

 ねぇ、私の歌に足りないものはなに?

 

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