第一章 きっかけ

 うちの両親は、俺が小さい頃から共働きで、母さんの仕事が長引いた日の晩や、 土曜日の昼のご飯はよく一番上の兄のカナメ兄ちゃんが作っていた。

 始めの内はレシピを見ながら、 その内に冷蔵庫の中に有る物で大体まかなって作られた料理は母さんの作る料理とは少し違って、でも美味しくて。

 そんな料理を食べて育った俺は、いつかカナメ兄ちゃんに俺が作った料理を美味しく食べて貰おうと、 中学に入る頃には調理師学校に進もうと心に決めていた。

 

 しかし、心に決めたその矢先、カナメ兄ちゃんが服飾の学校に通う為に家を出て東京で暮らす事になった時に、 俺は相当ごねてしまった。

この家からでも通えないのかとか、そう言う事で。

でもよく考えたら通学時間は短い方が良いし、余りカナメ兄ちゃんには負担をかけられない。

夏休みとかには偶に帰ってくるからと、その言葉を信じて、俺はカナメ兄ちゃんを見送った。

 

 それから数年。

俺は調理師学校を卒業して、食品メーカーの開発部に就職した。

出された企画を商品化する為に、どの様な加工をすれば良いのかの研究をしている。

 結局俺も東京に出て、アパートの一室を借りてそこから出勤している訳なのだが、偶に実家に帰る事もある。

盆暮れ正月とかそう言うタイミング。でも勿論帰りはするけれど、それ以外の時にも帰る事はある。

 休憩中、俺のスマホが音を立てた。

何かと思ったら、母さんからのメールだ。

メールには、今度の土日にカナメ兄ちゃんが実家に行くと言う旨が書かれていたので、 俺は素早く画面をタップして返事を返す。

 次の土日は、俺も仕事が休みだ。

金曜の夜位から実家に行けたらなと思うんだけど、金曜定時で帰れるかな……

 

 そして金曜の夜。

結局三時間程残業をする事にはなったが、なんとかその日の内に実家に帰れた。

 実家に向かう電車の中で、スマホを眺める。

ロックを解除する訳でも無く、ただロック画面を眺めている。

ロック画面に設定されている画像は、一見すると可愛らしい女の子の写真なのだが、 俺はこのロック画面を絶対に家族には見せない様にしている。

何故なら、この写真は、女装したカナメ兄ちゃんだからだ。

 その写真を見ながら、口元が緩むのを必死に堪える。

 ああもうほんと可愛い。

カナメ兄ちゃんが女装を始めたのは高校の時で、 文化祭の時に漫研の出し物でメイド服を着たのがきっかけだったらしいんだけど、なんで俺は見に行かなかったんだろう。

行けば良かったのにと心底後悔している。

 その後、オタク系のイベントに行っては女装コスプレをして居る様で、その写真は本人直々に見せて貰った事が有る。

 未だにカナメ兄ちゃんは女装コスプレをイベントでしている様で、 ネットで検索したらコスプレのSNSに写真を上げているのが見つかった。

偶に男のコスプレもしてるけど、もうとにかく女装が可愛くて、こっそりとバレない様なハンドルネームでSNSに登録し、 日々チェックしている。

 流石に実家に来る時は女装はしていないけど、それでも俺はカナメ兄ちゃんに会えるのを毎回楽しみにしてるし、 カナメ兄ちゃんに俺の作った料理を食べて貰おうと、連絡がある度に、一足先に実家へと向かうのだった。

 

 俺が実家に着いた翌日の昼、カナメ兄ちゃんが実家にやってきた。

「ただいまー」

「あらおかえり。

ユカリも来てるよ」

 カナメ兄ちゃんの声と母さんの返事を聞いて、俺は読んでた料理雑誌をテーブルの上に置いて立ち上がる。

「ああ、ユカリも来てたんだ」

 そう言って微笑むカナメ兄ちゃんに、俺はこう訊ねる。

「うん、俺も来たんだよね。

カナメ兄ちゃん、お昼ご飯何食べたい?

それとも食べてきた?」

「まだ食べてないんだけど、そうだなぁ。

卵があったらオムライス食べたい」

 少し口を尖らせてそう言うカナメ兄ちゃんのリクエスト通り、俺は早速オムライス作りを始める。

カナメ兄ちゃんのリクエストは大体いつもオムライスなので、昨夜の内から卵とご飯の準備は万端だ。

 オムライスと言っても種類は沢山有る。

ケチャップライスのオムライスに、 ドライカレーの入ったオムライス。五穀米のオムライスもあるしかけるソースだって千差万別だ。

乗せる卵だって、トロトロだったり少し固めだったり。

 今日はどんなオムライスにしようかなと冷蔵庫とレトルト食品の棚を見ていると、ハヤシライスのパックがあったので、 今回はオムハヤシに決定。

 中華鍋の中にカナメ兄ちゃんと、母さんと、父さんと、俺、四人分のご飯を入れて、ハヤシライスのルーを絡める。

それをまずお皿に盛り、次は卵だ。

良く溶いた卵をフライパンに入れ、くるくると丸めていく。

それを一個ずつハヤシライスの上に乗せて、切れ目を入れると卵がとろんと割れて、半熟オムライスの出来上がりだ。

 早速オムライスをテーブルに運び、皆でいただきますをする。

「美味しいなぁ、美味しいなぁ」

 嬉しそうに食べながら言うカナメ兄ちゃんを見て、天にも昇る気持ちだ。

食べている所の写真を撮りたいのは山々なのだが、 不審がられるだろうしロック画面を見られたらいたたまれない気持ちになるのが目に見えているので、 機嫌良くオムライスを食べるカナメ兄ちゃんの事を、俺もオムライスを食べながらじっと観察していたのだった。

 

 その日の夕食は、母さんとカナメ兄ちゃんが一緒に食料の買い出しに行ってきて、カナメ兄ちゃんが作った。

 いつもなんていう料理なのかわからない物を作るんだけど、どれも美味しい。

お腹いっぱいに食べて、お風呂に入って、寝支度をする。

俺もカナメ兄ちゃんも、適当なTシャツにルームパンツに着替えている。

 ふと、母さんがこう言った。

「ところであなた達は何処で寝る?

ユカリはあなたのベッド空いてるけど、カナメとアレクのベッドは物で埋まっちゃってるのよ」

 我が家は元々狭いというのはあるのだけど、とにかく物量が凄いので、昔カナメ兄ちゃんと、 その下のアレク兄ちゃんが使っていたベッドは俺が高校を卒業した辺りで既に物置と化していたのだ。

 カナメ兄ちゃんを床で寝かせるわけにはいかないから、俺のベッドを使って貰って俺が居間で寝るか。そう思ったけれど、 ふとひらめいた。

「カナメ兄ちゃん、俺と一緒にベッドで寝ない?」

「ん~。良いけど、僕寝相悪いよ?」

「大丈夫大丈夫。

ベッドに柵付いてるから落ちないって」

「そうだね。じゃあ一緒に寝ようか」

 こうして二人一緒に寝る事になった。

 

 そして翌朝。起きるとなんか腕が重い。

何かと思ったら、カナメ兄ちゃんが俺の腕にしがみついて寝ていた。

その事にやや興奮気味になりつつも動けないで居たら、ふとカナメ兄ちゃんが寝言を言った。

「んんぅ……美夏……」

 甘える様な口調で言われた聞き覚えの無い名前に、俺は思わず奥歯を噛みしめた。

 

†next?†