銀座を歩く着物の青年と、紫の風呂敷を首に括り付けた犬。この組み合わせが人目を引くのか、 時々すれ違う着物姿の女性が挨拶をして行く。
人見知りをしてしまう悠希は、典型的なジャパニーズスマイルで返すのが精一杯だ。
そんな中、犬としての艇体を取り繕って四足歩行で歩いていた鎌谷の視線が鋭くなり、 悠希に言う。
「刺客だ。気を付けろ。」
「鎌谷くんは存在そのものが電波なんだからこれ以上電波な事言わないでくれる?」
呆れた様にそう言った次の瞬間、悠希は何者かに首を捕まれた。
余りの驚きで体が動かない。
威嚇の声を上げる鎌谷と、恐怖に震える悠希。
其処へ颯爽と何者かが現れた。
「とうっ!」
悠希の後ろで人間の体を殴った音がし、首を捕まえていた手が放れる。
即座に振り返り、自分を助けた救世主の姿を見て笑顔になる。
「大丈夫だったかな、青年。」
そう言った救世主の姿は、縁日の屋台で売っているような薄っぺらい、 茄子のお面を被り、おじさんシャツにステテコパンツ。 腹巻きの上に申し訳程度の変身ベルトを装着し、足下は下駄をあしらったがに股の男性。
「ありがとう茄子MANさん!
助かりました!」
彼こそ正義のヒーロー茄子MAN。
感動する悠希と誇らしげな茄子MANを、鎌谷が呆れた様な目で見ている。
そんな中、倒された刺客はフラフラと立ち上がり、こう言い残して去っていた。
「くそっ、茄子MANめ…
クラゲの毒がお前を殺す!」
「いまいち迫力の無ぇ捨てぜりふだな。」
鎌谷の呟きを無視し、悠希が茄子MANに訊ねる。
「茄子MANさん、あの刺客は一体何者なんですか?」
怯えているその声に、茄子MANは真剣な声で答える。
「世界にはびこる悪の秘密結社『赤いクラゲ』の一人だ。
青年、彼奴等は何時どこで現れるか解らない。
何かあったらすぐに私を呼びなさい。」
「解りました!茄子MANさん!」
「では、私は消えるとしよう。
今日も夜勤ッスよ…」
「夜勤頑張ってくださ~い。」
世知辛い言葉を残し茄子MANが去った後を、悠希が見つめる。
「茄子MANさん…」
感慨に耽る悠希とは対照的に、鎌谷が欠伸をしながら言った。
「茄子は良いから早く恵美さんち行こうぜ。」
「あ、そうだったね。もうお店開いてから結構経つから他のお客さん入ってるかな。」
二人は何事もなかった様に、銀座の通りを再び歩き出した。
銀座の閑静な細い通り沿いにある台湾茶屋『五徳堂』。
ガラスの自動ドア越しに、堅いプーアル茶をほぐしている女性の姿が見える。
それを確認した悠希は、自動ドアを開け挨拶をした。
「恵美さん你好~。」
アジア風の音楽の流れる店内に入ると、プーアル茶をほぐしていた手を止め、恵美も挨拶をする。
「悠希君你好~。元気だっタ?
鎌谷君も你好~。」
プーアル茶を台所に仕舞い、寄って来た恵美が着ているチャイナドレスの裾に鎌谷がじゃれる。 完全に普通の犬の振りをしている。
「ほら、鎌谷くん落ち着いて…すいません。」
困った顔をしたまま悠希が席に着くと、恵美にメニューを手渡された。
慣れた手つきでメニューを捲り、名前と効能が書かれた頁をじっくりと見る。
「じゃあ桂花お願いします。あと、鎌谷くんにパイナップルケーキを一つ。」
「わかりました~。少々お待ち下サイ。」
テーブルのすぐ横にある棚から、茶器とお茶の入った缶を取り出し、 丁度テーブルの向かい側にあるお茶棚からも、既にブレンドされたお茶の袋を取り出して来て、 恵美は悠希の向かいの席に座る。
『五徳堂』では、一階席だと恵美が目の前で、大陸式の作法でお茶を入れてくれる。
その優雅な仕草を見ているのが悠希も鎌谷も大好きだ。
硝子で出来た急須に、袋に密封してあったブレンドティーを入れ、更に桂花を缶から足す。
本来だったら特に桂花を足す事無くともバランスの取れたお茶なのだが、 悠希がとりわけ桂花を好むので、恵美がいつもサービスで多めに入れてくれるのだ。
砂時計をひっくり返して待つこと三分。
「お待たせシマシタ~。」
悠希の手元に置かれているガラスの器に、黄金色のお茶が注がれる。
それは何とも言えず甘い香りで、心を和ませてくれる。 口に含むと味自体もほんのり甘く、上品な口当たりだ。
お茶を淹れ終わった恵美は、台所に入り、四当分にされた小さなお菓子を、 小さなお皿に乗せて鎌谷の前に出す。
「鎌谷君もお待たせシマシタ~。」
目の前でしゃがんでいる恵美を見て、鎌谷は興奮気味だ。
だが、恵美はそれに気づかぬまま、テーブルの定位置に戻ってしまう。
鎌谷は、恵美が切ったパイナップルケーキを良く嗅ぐわってから食べ始める。
(鎌谷くん、絶対変態だよ…)
そう思いながらも決して口に出す事も無く、悠希はお茶と香りを楽しんだ。