一切れ八十七円

ある日の夕刻、悠希と鎌谷は近所のスーパーに買い物に行った。

普段引き籠もりで滅多に料理を作らない悠希でも、 思い立った様に料理を作ろうと言う気になる事もあるのだ。

「偶には野菜食べなきゃ駄目だよね。」

中に入り生鮮食品を一通り見て回る悠希の目に、広告の品が飛び込んだ。

『鮭の切り身一切れ八十七円』

お買い得品に弱い悠希が、この広告の誘惑に勝てるはずもなく、 フラフラと鮭の切り身の前に引き寄せられていく。

だが、いざ切り身の前に立ってみると、どれを選べばいいのか解らない。

切り身がパックに入っているのなら、手に取って重さを比べられるのだが、 目の前にあるのは適当に並べられた鮭の切り身とそれを入れる袋、 それから切り身を抓む為のトンクだ。

見ただけでどれが大きい切り身なのかを見分けるのは至難の技。

「鎌谷く…」

困り果てた悠希が鎌谷に助けを求めるが、此処はスーパー。

犬である鎌谷が中に入れる筈もなく、入り口の所に繋いできてしまったのだ。

その事を思い出した悠希が慌てふためく。

「どうしよう、僕一人じゃ大きい切り身を選べないよ…どうしたら良いんだろう…」

冷凍鮭を目の前にして泣きそうになっている悠希の背後から、凛とした声が響いた。

「そこの貴方!私に任せなさい!」

スーパーの精肉売場にざわめきが広がる。

「その帽子は…

この前浅草橋で銀行強盗をやっつけた人!」

何事かと思って悠希が振り向き目にしたのは、巷で噂の夜型魔女っ子戦士スペードペイジだ。

その辺にいる、お母さんに付いてきたお子様達も、 憧れのヒロインが目の前に現れて大喜びしている。

「私の名前はスペードペイジ。

お兄さん覚えてね。」

「えっと、スペードペイジさんですね。

ところで、何で此処に?」

「貴方、鮭の切り身を選ぶのに悩んでたでしょ。私に任せなさい!」

「ええっ?本当ですか!お願いします!」

突如現れた食卓の救世主に悠希は喜ぶ。

スペードペイジも満更ではない様子で、笑顔を返す。

「じゃあ早速。

メジャーアルカナ、シャッフル!」

両腕を広げるスペードペイジの周りを、二十二枚のタロットカードが舞う。

その中から一枚カードを引き、悠希の目の前につき出した。

「ジャスティス、発動!」

声と同時に眩い光をカードが放ち、スーパーの中が明るく照らされる。

そして、光が収まった頃に目の前に出てきたのは、両手で持てるくらいの天秤。

その天秤をスペードペイジが悠希に渡して言った。

「この天秤を使って重さを量ってね。」

「有り難う、スペードエースさん!」

「エースじゃなくてペイジ。」

「ごめんなさい!スペードペイジさん。」

「私も鮭選ぶの手伝ってあげる。」

「ええっ、そこまで…

ありがとうございます。」

二人してトンクを持ち、天秤の両側に鮭の切り身を乗せては重さを量る。

試行錯誤した結果、重量トップ3の切り身をビニール袋に入れ、悠希は満足そうだ。

「ありがとうございました、スペードペイジさん。

これで安心してお買い物が出来ます。」

一礼して悠希が去った後、スペードペイジも立ち去ろうと振り返る。

すると、周りをお母さんとお子様方に囲まれて居るではないか。

「スペードペイジさん、ウチの娘が大ファンなんです!

握手して上げて下さい!」

「ウチの子も!」

「ウチの子もお願いします!」

正直とっとと変身を解いて悠希の後を付いて行きたかったスペードペイジこと匠にとって、 これは予想外の出来事だ。

「店長、あそこです!」

「本物なのか?」

「本物です!魔法使っている所を見ました!」

「スペードペイジさん、ウチの店に来た記念にサインをお願いします!」

(店員さんまでキター!)

良くも悪くもスペードペイジは人気者。

笑顔の裏に冷や汗を隠しながら、どうやって分厚い人垣を突破するか、途方に暮れた。

 

一方の悠希は、生鮮食品の会計を済ませ、スーパーの三階に有る本屋で雑誌を立ち読みしていた。

悠希が読んでいる雑誌は、数年前から流行始めたビーズアクセサリーの本。

「イニシャルモチーフ良いなぁ。

僕も作りたい…」

ビーズが流行始める前からビーズ編みをしている悠希だが、 今だに図案を自分で作ると言うことが出来ない。

だから、年々進歩し続けるビーズ編みの図案を見ながら編むことが殆どである。

ビーズアクセサリーのデザインも、昔に比べると大分パターンが増えてきた。

昔はモチーフをそのままチェーンに通すか、ブローチにするだけだったのに、 今ではチェーンそのものにモチーフやビーズをあしらったりしている物が多い。

素材も増えた。スワロフスキーと丸小ビーズが主とは言え、 近頃はチェコグラスやベネチアングラス、キュービックジルコニアや合成石、天然石、 メタルパーツなどが誌上を賑わせている。

雑誌に載っている広告も大分店舗数が増え、インターネットのみの店の広告も載っている。

悠希は雑誌をじっくりと見て、気に入った図案が載っているかどうかをチェックする。

そのなかで、悠希の目に留まる物があった。

「あ、オープンハート可愛いなぁ。」

丸小ビーズとキュービックジルコニアで編み上げられたオープンハートの写真は、 シンプルでありながらゴージャスな雰囲気があり、悠希の心を捉える。

その図案が載っている事を確認して、雑誌をレジに持っていった。

 

買い物を済ませ家に帰り、早速鮭の切り身を調理する。

まず、鍋に水を入れ火に掛ける。沸騰するまでの間に、 切り身を更に食べやすい大きさに骨ごと切り、湯気が上がってきたお湯の中にそのまま放り込む。

それに料理酒と砂糖、輪切り唐辛子に味噌を入れ暫く煮込む。

奥の部屋でいつもの通販番組を見ている鎌谷が、鼻をヒクヒクさせて漂ってくる匂いを嗅ぐわう。

「う~ぁ、旨そうな匂いだな、何作ってんだ?」

「え?良くわかんない。」

「わかんないで煮込んでんのかよ。」

暫く煮るだけなので、悠希もコンロを離れてテレビの前に座った。

テレビを見ると、先日鎌谷が欲しいと言いつつも買えなかった、 本格焼酎サーバーの紹介をしている。

紹介をしているキャストも前と同じ、鎌谷お気に入りの人だ。

「悠希、これ買ってくれよ~。

芋焼酎1に対してお湯を2で割って、これで一晩寝かせると甘くなるんだってよ。

これから酒の量減らすから買って買って。」

「そうだね、お湯で割る分、水分量は変わらないけどお酒の絶対量が減るね。買おうか。」

そう言って悠希は携帯電話を手に取り、テレビに映し出されている番号に電話する。

暫くするとオペレーターが電話に出たので、欲しい商品の番号を告げる。

「…はい、そうです。

それを一つお願いします。

…え?あ、はいお願いします。」

いつもの注文の時と少し違った様子に、鎌谷が悠希の方を見る。

「おい、どうした。売り切れか?」

「売り切れじゃなくて…

いまテレビに出てるキャストの人と話さないかって言われたんだけど…」

「マジで!俺が話したいよ!」

二人がてんやわんやしている内にも、テレビの向こうからキャストが話しかけてきた。

『ただ今、お客様からお電話が繋がったようです、お話しさせて戴きましょう。

もしもし~。』

「あっ、もしもし。」

『私キャストの稲垣と申します、こんばんわ。

宜しければお所とお名前を教えて下さい。』

「え…あぅ…と、東京都の新橋です。」

テレビの向こうの人と話をするのは初めてなので、 悠希の言葉はどうしてもしどろもどろになってしまう。

『今回お求めの商品は、この焼酎サーバーですか?』

「はい、そうです。あの~…

一緒に住んでる友達が前から欲しがってて…」

言葉をつっかえさせながら暫く話をして、 気が付くと興奮気味にテレビを見ていた鎌谷が隣りから居なくなっている。

テレビの向こう側との通話が終わった悠希が不審に思って台所を覗き込み、 思わず叫び声を上げた。

「鎌谷くん!何やってるの!」

「あ?味見。」

悠希の視線の先には、美味しそうな匂いを漂わせる鮭の味噌煮を、 おたまで皿に移して食べている鎌谷の姿。

慌てて鍋に駆け寄り、中身をおたまで掻き回すと、残っているのは汁ばかり。

「鎌谷くんヒドイよぉ~、鮭全部食べちゃったの~?」

「え、うっそマジで?もう無い?悪りぃ。」

鎌谷も全部食べていた事に気づいていなかったらしく驚きを隠せない。

悠希は悠希で鍋の前で肩を落とし、落胆する。

「せっかくスペードペイジさんに手伝って貰って大きい鮭選んだのに…」

「ほー、最近の魔女っ子は一般市民の買い物の手伝いもすんのか。」

ふと、鎌谷は冷気を感じた。

その冷気はすぐそこにある玄関のドアから来ており、そろりそろりとドアを見ると、 ちょっとだけ隙間が空いていて、恨みがましい女の眼が鎌谷を睨んでいる。

悲鳴を上げる事すら出来ずに腰を抜かす鎌谷。

そして、玄関のドアが勢い良く開いた。

「鎌谷くん、お兄ちゃんが買った鮭勝手に食べないでよ!」

「匠!何時の間に来たの?

余り騒ぐとご近所さんに迷惑だよ!」

余りにも突然の出来事に、悠希の体も一瞬凍り付く。

一方の匠は腰を抜かしている鎌谷に食ってかかる。

「お兄ちゃんは鎌谷くんに甘いの!

いくら見た目が可愛いからって騙されちゃ駄目だからね!」

「そう言う匠ちゃんは悠希にゲロ甘じゃねーか。」

「あああ、二人ともやめてよぉ、ご近所さんに迷惑がぁ…」

何時廊下に人が通るか解らない。そんな状況下で、悠希はただおろおろするばかりだった。

 

†next?†