吹く風が鋭くなり冬の気配が感じられるようになった頃、とあるアパートの一室で、 着物と袴を着た青年がパソコンと向かい合っていた。
彼の名前は新橋悠希。小説家志望で、今は疾病の都合で就業を禁止されていることも有り、 日々投稿用の小説の執筆にいそしんでいる。
投稿用の作品の執筆も終わり、後は印刷して送るだけだとなった悠希が一休みしようとお茶を飲んでいる時に、 そのメールが来た。
送信元は、インターネット経由で知り合った友人の桑原七海。今度SNSで知り合った人とオフ会があるから、 一緒に来ないかという誘いだった。
そのメールを見て、悠希は窓際で寝そべっている柴犬に話しかけた。
「ねぇ鎌谷くん。こんなお誘いが来たんだけど、鎌谷君も行って良いかどうか訊いてみる?」
すろと、鎌谷と呼ばれた柴犬が、めんどくさそうな口調でこう返した。
「まぁ、お前一人を知らない人間の群れの中に放り込むのは不安だから訊いてみてくれ」
悠希は七海に、鎌谷も参加して良いかどうかの確認メールを打つ。
そうして待つ事数時間、人間の言葉を喋る宇宙犬に是非とも会いたい、 鎌谷も歓迎だとみんな言っているという返事が返ってきたので、悠希は鎌谷を連れてオフ会に参加する事になった。
そしてオフ会当日。悠希は駅の改札前で七海を探す。人が沢山居る改札前広場。そこで目に入ったのは、 背が高くパンクファッションに身を包んだ、少し癖っ毛の女性。彼女が七海だ。七海と合流し、 共にオフ会会場であるカラオケボックスへと向かった。
「そう言えば七海さん、今回のオフ会はどういった人の集まりなの?」
「メンタルヘルス系のサイトで知り合った人達だよ。
悠希さんの話をしたら、皆会ってみたいって言うからさ」
「そうなんだ」
他の人にも自分の話をするくらいには意識されているのかと、悠希は少し照れた様子を見せる。
七海にメンバーを紹介され、早速部屋へと通される悠希達。
まずは雑談という事で皆それぞれ食べ物や飲み物を注文して話をしている訳なのだが、その話の中で、 悠希は何となく違和感を感じた。
何がおかしいのかはわからない。だが何か違和感があるのだ。
ふと、オフ会の幹事が箱を取り出してこんな事を言う。
「今日はメンヘラ会に相応しい物を持ってきたよ! みんな遠慮せず使って使って!」
幹事が箱を開くと、そこには大量のカミソリが入っていた。
それを見て悠希と七海は驚きを隠せない。
悠希と七海以外の参加者が楽しそうにカミソリを手に取り、自分の腕に当て始める。
「誰が一番たくさん切れるか競争だよ!」
誰とも無しに掛け声が掛かり、参加者達の腕が血で染まっていく。
鎌谷としてはこの行為を咎めたい所なのだが、この様な状況に置かれるのは初めてなので、 流石の鎌谷も腰を抜かしてしまっている。
「ほら、七海ちゃんと悠希さんもやりなよ!」
カミソリを二人に勧めてくる幹事に、七海は顔を青くするばかり。
ふと、七海の隣に座っているメンバーが、七海の腕を掴んでカミソリを向けて言う。
「ほら、メンヘラはこう言うのが醍醐味でしょ?」
悲鳴を上げる事も出来ずただ怯える七海を抱き寄せ、手が傷つくのも厭わずに悠希がカミソリを取り上げて叫んだ。
「何でこんな事をするんですか! あなたたちはリストカットの痕が勲章だとでも言うんですか?」
取り上げたカミソリで傷ついた手で財布を取り出し、悠希は高額紙幣を取り出してテーブルに叩き付ける。
「狂っているのがステータスなんて言う考え方は僕には理解出来ません!
しかも嫌がっている人にまで強要するなんて。
遊びで自分を傷つけるなんて、一生懸命治療をしてくれているお医者様に対する侮辱です!
参加費はこれで足りますよね? それじゃあ、僕と七海さんと鎌谷君はこれで帰ります」
普段気弱で温和なのにもかかわらず、珍しく怒りを露わにした悠希は、鎌谷を抱え、 七海の手を引いて部屋から出て行った。
その後、カラオケボックスの受付で自分が居た部屋のメンバーが悪巫山戯をしているので、 様子を見に行って欲しいと言う旨を伝え、店を出た。
店の近くの公園で、ベンチに座り発作止めの頓服薬を飲んでいる悠希。
そんな悠希に、七海が申し訳なさそうな顔で声を掛ける。
「ごめんなさい、まさか、あんな集まりだとは思わなくって……」
「ううん、七海さんは悪くないよ。普通はあんな集まりだとは思わないし」
少し息苦しそうな声では有る物の、悠希は優しく笑って七海の言葉に返す。
余程怖い思いをしたのか、七海は悠希の腕にしがみついて身を預けている。
そんな二人を見て、鎌谷が言う。
「悠希、お前頑張ったな。
あと七海ちゃん、あいつ等とはもう連絡取らない方がいいぞ。厄介ごとの種にしかならなそうだ」
「うん。携帯は着拒にして、SNSでもブロックする」
震える声でそう言った後、七海はそっと、傷ついている方の悠希の手を取る。
「悠希さん、これ、手当てしなきゃ」
その言葉に、悠希は反対の手で七海の手を握り、こう答える。
「確か駅の地下にドラッグストアが有った筈だから、そこに絆創膏買いに行こうか。
でも、発作が落ち着くまでもうちょっと待ってね」
タオルハンカチを当てて血が流れないようにしている物の、そこそこ深い傷な様で、血はまだ止まっていない。
浅い呼吸を繰り返し、悠希は暫くベンチに座っていたのだった。