第十一章 年末年始のお向かいさん

 年も暮れ、年末のクラシックコンサートがテレビで放映される頃、悠希と鎌谷は久しぶりに実家へと帰っていた。

 今日は年越し蕎麦を食べると言う事で、夜も更けてから父親と母親が蕎麦の用意を始めた。

 居間では、悠希と、鎌谷と、匠と、聖史がテレビを見ながら蕎麦が出来上がるのを持っている。

 蕎麦を食べ終わって、日付が変わる頃に近所の神社へと初詣に行くのが恒例なのだが、 どうにも聖史は疲れているようで、すでに船を漕いでいる。

「お姉ちゃん大丈夫? 眠かったらもう寝ても良いんだよ?」

 悠希が心配そうにそう言うと、聖史は手のひらで頬を叩いて目を覚まそうとする。

「寝るんだったらお蕎麦食べてからにするわ。

折角ヒラタケの天ぷらをお母さんが揚げてるのに、それを食べなんで寝るなんて出来ないもの」

 揚げているのはヒラタケだけでは無いのだが、聖史は特に蕎麦とヒラタケの天ぷらの組み合わせが好きなので、 毎年ヒラタケは多めに揚げている。

 一方、匠はどうしているかというと、普段のバイトで疲れているのか、やはり船を漕いでいた。

「匠も、眠かったらもう寝て良いんだよ?」

 悠希が聖史に言ったのと同じように匠にも声を掛けると、匠も寝るのなら蕎麦を食べてからと言う。

 案外食い意地の張った姉と妹を見て悠希はつい、しょうがないなぁ。と言う顔をしてしまうが、 この状態なら喧嘩をする事はないだろうと、蕎麦が出来上がるのを待った。

 

 蕎麦が茹であがり、天ぷらも全部揃って。

 みんなで蕎麦と天ぷらをつつき、聖史と匠が満足してその場で寝落ちかけたので、 悠希は二人をそれぞれ寝室へと運び、食器を片付ける。

 台所で蕎麦をと天ぷらを盛っていた食器を片付けている悠希に、鎌谷が声を掛ける。

「今日は姉ちゃんと匠ちゃんが喧嘩しなくて良かったな」

「そうだね。

でも、明日起きてからどうなんだろう」

「姉ちゃんは総理大臣になったんだから、そろそろ自重して欲しいんだけどな」

 何故悠希と鎌谷は聖史と匠が喧嘩をする事が前提なのかというと、 あの二人は仲が悪いわけではないみたいなのだが、悠希の事が絡むと、すぐに喧嘩を始めるのだ。

 喧嘩の原因を、鎌谷はブラコンなせいだろうと思って居るのだが、 それを言うと悠希に必要以上の負担をかけてしまうので言わないでいる。

 悠希が精神科にかかるようになったきっかけは、聖史と匠の喧嘩だった。聖史がまだ学生で、 匠も小学校低学年くらいだった頃は、多少の言い合いがあったとしても、 いつも聖史が匠に譲る感じでその場は収まっていた。

 けれども、聖史が学校を卒業して軍に入った頃から、様子が変わってしまった。

 匠が小学校高学年に差し掛かり生意気になったからと言うのは有ったのかもしれないが、 聖史も厳しい軍の訓練で余裕が無かったのか、ある時遂に匠に手を上げてしまったのだ。

 今まで厳しいとは言え、優しく自制が効いていた聖史が匠を殴ったというのは、 悠希にとって耐えがたい事だった。しかも、その原因が自分を巡っての事だったので、 どうしたら良いのかわからなくなってしまったのだ。

 それ以来、当時まだ学校に通っていた悠希は、 自分が居なければ聖史と匠は喧嘩をしないだろうと学校に遅くまで居残る事が増え、結局、 医者のすすめで鎌谷と一緒に今のアパートに引っ越してくる事になった。

 食器を洗いながら、ふとその事を思い出し、つい気分が落ち込みそうになったが、 なんとか食器を片付けまた居間に戻る。

「悠希、そろそろ初詣行くわよ~」

 居間に戻ると、既に防寒バッチリの母親と、 コートをもそもそと着込んでいる父親が居た。もうそんな時間かと思いながら、悠希もかけていた外套を羽織り、 三人と一匹で玄関を出た。

 

 悠希達が玄関を出ると、ちょうどお向かいの家からも人が出てきていた。悠希と同い年くらいの男性と、 その両親の三人だ。

 悠希は、同い年くらいの男性に軽く手を振って挨拶をする。

「竜ケ崎さん、こんばんわ。緑君も久しぶりだね」

「よーう悠希、久しぶり。何年ぶりだろうな」

 挨拶を返してきた緑と呼ばれた男性は、悠希が小さかった頃から、年に数回会って遊ぶ事のあった相手だ。

 緑自体、昔からお向かいの家に住んでいたわけでは無く遠くから年に数回ここへ来るだけという頻度なので、 関係性が希薄すぎて友人と呼んで良いのかはわからないが、お互い学校を卒業し、 緑が就職した後もこうやって初詣の時に会う事が有る。

 前に会ったのは何年前だったか、去年はタイミングが合わず会わなかった。一昨年も、 タイミングが合わなかった。もう少し思い返すと、その前に会った気がするので、三年ぶりになるのだろうか。

 感慨にふけっていると緑が悠希達に使い捨てカイロを分けてくれたので、 みんなで揃ってカイロを揉みながら神社へと向かった。

 

 神社の鳥居から伸びる長い列。その尻尾の方に、悠希達は並ぶ。

 両親達が前に並び、その後ろに悠希と鎌谷と緑で付いて立ち話をする。

「そう言えば緑よぉ、お前、就職したってのは聞いたけど、今何やってんだ?」

 鎌谷が使い捨てカイロを揉みながら訊ねると、緑はにこにこしながら答える。

「今博物館の学芸員やってる。あんま休みは無いけど、まぁ、好きな仕事だからな。

鎌谷と悠希はどうしてる? 体調崩してないか?」

「うん。僕は崩しては居ないかな?

鎌谷君はたまにお酒飲みすぎてるけど」

 緑もなんだかんだで悠希が現在療養中なのを知っているので、仕事はなんなのか。などと言う事は訊かない。

 悠希の返事に緑は、鎌谷は犬なんだから飲み過ぎるなよ。と言いながら鎌谷の頭を撫で繰り回すが、 鎌谷は素知らぬ顔だ。

 ふと、悠希が気になっていた事を口にする。

「初詣の時会うと、緑君はいつも使い捨てカイロくれるけど、初詣用に多めに用意してるの?」

 改めて不思議そうにカイロを見ている悠希に、緑もカイロを揉みながら答える。

「あー、高校の時にカイロ蓄える癖付いちゃって、それ以来ずっとカイロ蓄えてる」

「どうやったらそんな癖付くの?」

「あと割り箸も蓄えてる」

「なんで?」

「緑も案外わけわかんないとこ有るよな」

 疑問は増えたがそれはそれとして、悠希達はまた暫く話を続ける。その中で、 悠希はまだ小説の投稿を続けているのかと、緑が訊ねてきた。それに、悠希はまだ続けていると答える。それに返すように、 悠希も訊ねた。

「緑君も、まだ書道やってるの?」

「ああ、仕事の合間縫いながらだけどやってる。

なかなか展示会の選考に残るようにはならないけどなー」

 二人が話しているように、緑は小さい頃から書道を嗜んでいる。いつか書家になりたいと、 そう言って美術科に入ったと聞いたのは高校の時だ。

 高校というのは、分岐点なのだろうか。悠希が小説の投稿を始めたのも、 高校の時だった。なかなか投稿する勇気が持てないで居た時に、後押しをしてくれたのは、部活の先輩だった。

 悠希は後押しをしてくれる人が居たけれども、緑は誰かに後押しされたのだろうか。それとも、 強い意思を持って自分でその道に入ったのだろうか。

 それはわからなかったけれども、お互いまだ目標を追い続けていられている事に、何故だかほっとした。

 

†next?†