第三章 いつものお店で

 照りつける日差しで汗ばむ陽気の日のこと。この日悠希は鎌谷を連れて新宿へと出かけていた。
 このところ執筆で忙しく、気がつけばほとんど休んでいないということに気がついた鎌谷が、たまには気分転換にどこかへ出かけた方がはかどるだろうと言って、外へと連れ出したのだ。
 新宿は悠希にも馴染みのある街だ。短大時代は東口の方にある生地屋で布や洋裁用品をよく買ったものだった。けれども、今日向かったのは南口にあるデパートだ。このデパートに入っている喫茶店で売られている、特製のキャラメルを買おうとやってきたのだ。
「お前、ここに来るといつもあのキャラメルだよな」
「うん。かさばらないし、美味しいって好評だから」
「カロリーはヤバそうだけどな」
「そこにはみんな目を瞑ってるよ……美味しいから……」
 今日は、この喫茶店でキャラメルを買って終わりというわけではない。これからまた電車に乗って、行きつけの店へと向かうのだ。
 買い物を済ませた悠希と鎌谷は、また駅の南口へと向かい、そこから私鉄の電車に乗り込む。多摩や橋本方面へ向かう電車にしばらく揺られるのだ。
 背の高いビルがほとんど見えなくなった辺りで、ふたりは電車を降りる。改札を通ってからしばらく閑静な住宅街を歩いていると、ドアがふたつ付いた、古びた家が建っていた。向かって左側のドアの前には看板が立てられていて、『とわ骨董店』と書かれている。悠希がふっと右側のドアをみると、そちらには『CLOSE』と書かれた札が下がっている。看板も特には出ていなかった。
 悠希が左側のドアを開け、中に声を掛ける。
「どうも、お久しぶりです」
 そう言って中を覗き込むと、中には壁沿いに棚が置かれ、その上には様々な古物が少し雑然とした雰囲気で置かれている。その部屋の奥に、籐でできた椅子に座っている小柄な女性がいた。
「どうもお久しぶりです悠希さん。
鎌谷君も中へどうぞ」
 女性にそう声を掛けられて、悠希は少し大きめにドアを開け、中に鎌谷を入れる。すると鎌谷は澄ました顔で、傘立ての側にちょこんと座った。
「まぁ、悠希さん、随分と髪を短くしましたね」
「そうなんですよ。林檎さんみたいに髪を纏められた方が楽は楽なんですけど、ちょっと思い切って」
 悠希の髪型をみて驚いたのか、林檎と呼ばれた女性は赤い髪を纏めている簪に手をやっている。その様子を見て、悠希は手に持っている紙袋を林檎に差し出す。
「お土産を持ってきたので、よろしければどうぞ」
「あら、いつもありがとうございます。
……あ、このキャラメル、みんな大好きなんですよ」
「それはよかったです」
 林檎が言っているみんなというのは、どこまで広い範囲の人間関係なのか、悠希は知らない。けれども、わざわざ確認することでもないだろう。
 紙袋を持っている林檎に一言掛けて店内を見る。その間に、林檎はキャラメルをバックヤードにしまいにいったようだった。
 悠希が慣れた様子で棚の上を見ていると、少し周りとは雰囲気の違うアクセサリーが目に入った。宝石とは言えないけれどもきれいな色の石が付いた、中央アジア風のブレスレットやネックレス、それに指輪が並んでいる。悠希が興味を持ったことに気づいたのか、バックヤードから出て来た林檎が声を掛ける。
「うちの店としては珍しいでしょう?
仕入れの時にたまたま見掛けて石がきれいだったから、試しに少し入れてみたんです」
「そうなんですね」
 林檎は鉱物とかそういった物が好きなようで、店頭に標本のような石が並んでいることも珍しくはない。だから、こういったものもあっておかしくはないのだ。
 悠希がふと、一本のネックレスに目を留める。太めの革紐に、夜空のような藍色の石が填まったネックレスだ。程良く黄鉄鉱が混じっているラピスラズリのそのネックレスを悠希はレジカウンターへ持って行く。
「これをお願い出来ますか?」
「かしこまりました。ラッピングはいかがいたしましょう」
「あ、自宅用で……」
 悠希に限らず、男性がアクセサリーを買っていくこともこの店ではよくあると、以前林檎は言っていた。だからなのか、悠希がネックレスを自宅用でと言っても特に驚きは無いようだった。
 会計が終わり、林檎がちらりとレジカウンター奥にある棚を見て言う。
「悠希さん、このあと特にご用事がないようでしたら、お茶でもいかがですか?」
 それを聞いて悠希は微笑んで返す。
「ありがとうございます。ちょっと、期待していたので」
「そうなんですね。それでは少々お待ちください」
 すぐさまに林檎が用意したスツールに腰掛け、お茶が出てくるのを待つ。この店ではこうやってお客さんにお茶を振る舞うことが多いのだそうだ。悠希もよく振る舞われると言う事もあり、いつもいただいてばかりでは申し訳ないと、たまにお土産を持ってくるようになった。
 林檎がバックヤードから急須を持ってきて、それに銀色のパックから緑色の茶葉をスプーンで詰め込んでいる。それから、カウンターの裏にあるであろうポットでお湯を注ぐ音が聞こえ、またバックヤードへと入っていく。それからまたお湯を注いだところで、林檎も椅子に座った。
「白毫ですか?」
 悠希がそう訊ねると、林檎はにこりと笑って返す。
「正解です。さすが悠希さんは詳しいですね」
「いえ、なんとなくそうかなって思っただけで」
 そんな話をしながらお茶が蒸らされるまで待ち、林檎が焼き物のカップにお茶を注ぐ。萩焼のカップが林檎のもので、美濃焼きのカップはいつも悠希が来たときに出されるものだ。
 お互いお茶を手に持って椅子に座り、お茶に口を付ける。ふと、林檎が手招きをした。なにかと思ったら、鎌谷が四本脚で立って尻尾を振っているのだ。
 確認するように鎌谷が悠希を見るので、悠希はちらりと林檎の方を見る。手招きをしているし、呼んでも大丈夫だろうと判断する。
「鎌谷君、おいで」
 すると鎌谷は軽快な足取りで林檎の所へとやって来て、足下にすり付いている。
「あらあら、すねこすりみたい」
 そう言って林檎が撫でると、鎌谷は嬉しそうに一声鳴いた。

 お茶をゆっくりいただいてから、悠希と鎌谷は店を出た。店を出てしばらくの間は鎌谷は四本足で歩いていたけれども、駅前あたりですっくと二本足で立ち上がった。それを見た悠希が鎌谷に言う。
「林檎さんに撫でてもらったね」
「おうよやったぜ」
「下心はなかった?」
「どうだろうな」
 それ以上ここで追求するのもどうかと思ったようで、悠希はそれ以上はなにも言わない。
 改札を通った辺りで鎌谷が悠希に言う。
「そのうち林檎さんと一杯やりたいな」
「鎌谷君、お店では普通の犬の振りしてるんだから林檎さんがびっくりしちゃうよ?」
 悠希が鎌谷を窘めると、鎌谷が悠希の着ている袴を引っ張って言う。
「それなら、たまにお前が飲みに付き合えよ」
 そう言われて、確かにこのところは鎌谷と一緒に酒を飲むと言うことをしていないなと悠希は思い出す。
「それじゃあ、今日は久しぶりに一緒に飲もうか」
「おっ、そうこなくっちゃな」
「じゃあ、返りに新宿でワイン買って帰ろうか」
 話がまとまったところに、丁度電車が到着した。電車に乗り込んで鎌谷の方を見ると、いつになくご機嫌な様子だった。

 

†next?†