第二十章 光のサイコパス疑惑

 プロットが無事にまとまりしばらく後、ざっくりと原稿を仕上げた悠希は、原稿のデータを持って紙の守出版編集部へとお邪魔していた。
 いつも通り応接間で美言との話を済ませた後、編集部内に出ると声を掛けられた。
「悠希さん、お久しぶり!」
 誰かと思って声の方を向くと、そこには背が高く、長い銀髪を三つ編みにしている女性がいた。彼女に悠希がにっこりと笑って返す。
「紫水さんもお久しぶりです。近頃いかがですか?」
「おかげさまでごはんがおいしいです」
「お元気そうでなにより」
 その場で少し話をしたところ、紫水も丁度原稿が書き上がったところで、原稿データを持ってきて担当編集と話しを済ませた所だったらしい。
 用事の済んだふたりは、揃って編集部を出る。編集部が入ってるビルのエレベーターに乗り込むと、紫水がこんな事を言った。
「悠希さん、久しぶりに会ったし、どこかでお茶でもどうです?」
「え? でも」
 思わず悠希は戸惑う。紫水は既婚者だし、悠希にも千代子という恋人がいる。変な誤解をもたれるような事は避けたいのだ。
 するとそれを察したのか、紫水が真面目な顔をしてこう言った。
「悠希さんのこと、千代子から聞いてはいるけど、私も詳しく知りたいって思ってね」
「ああ、なるほど……」
 紫水は千代子の姉だ。千代子と仲が良く、千代子が紫水によく懐いているのは悠希も知っている。そんな妹が付き合っている相手というのがどんな人物なのか気になるのはわからないでもない。
「それじゃあ、本屋さんの喫茶店なんてどうですか?」
「お、いいですか? じゃあそこにしましょう」
 悠希の誘いに、紫水が了承する。ビルを出たふたりは、街中を歩き大通りへ出て、大型書店へと向かった。

 書店の中にある喫茶店に入り、ふたりは飲み物とケーキを注文する。
 飲み物が運ばれてきたところで、悠希の方からこう訊ねた。
「ところで、紫水さんは僕のなにが知りたいですか?」
 すると紫水は、困ったように笑って答える。
「知りたいっていうか、話をしてみたいっていう感じかな。
何か知りたいって言うにも、あたしは悠希さんのことを知らなすぎる」
「たしかに」
 それならば、何の話からしようかと悠希は考えを巡らせる。そして、こう紫水に言った。
「僕も、千代子さんについて知りたいことがあるんですけれど、教えてくれますか?」
 それを聞いて、紫水は少し視線を鋭くする。
「なにを知りたいんです?」
「千代子さんが、赤いクラゲになった理由です」
 悠希の問いに、紫水は深い溜息をつく。それから、重い口調でこう言った。
「千代子は中学生の時にひどい交通事故に巻き込まれてね。助かるかどうかあやしいって状況になった事が有るんだ。
その時に、千代子の命を助けてくれたのか赤いクラゲだったんだ」
「えっ……?」
 その言葉に、悠希は驚きを隠せない。あの千代子が、そんな経験をしていたとは思いもよらなかったのだ。
「赤いクラゲは、千代子を助けるときの条件についてこう言ったんだ。
赤いクラゲの技術で治療するのであれば、千代子は中学生の身体から成長することができないって」
 紫水の言葉に悠希は納得する。千代子くらい小柄な女性はそれなりにいるだろう。けれども、それにしても千代子は、服の上から見るだけでも、成熟した女性としての身体を持っていないような気がしていたのだ。
 紫水はさらに語る。それでも、千代子の命が助かるならばと赤いクラゲに縋ったこと、怪我が完治したあと、恩を感じた千代子が赤いクラゲに入ることになったこと、そんな話だ。
 この話を聞いて、悠希はそれでも千代子を受け止めきれるだろうかと考え、すぐにその考えを頭から追いやる。どんな過去があるにしろ、今までの千代子との記憶が変わることは無いのだ。
 そして、今度は紫水が訊ねた。
「ところで、悠希さんと千代子の馴れ初めは?」
「えっと、浅草橋を歩いていたら、千代子さんに急にさらわれそうになって」
「それはたいへん」
 そうは言うものの、薄々そうは思っていたようで、紫水は納得した顔をしている。
「でも、なんで付き合う気になったんです?」
 紫水の疑問はもっともだ。正直なところ、悠希もこれといって決定打と言えるようなものはよくわからない。けれども、こう思っていると言うことを口に出した。
「はじめはこわかったけど、千代子さんは思いやりのある人だって言うことがわかったから。それに」
「それに?」
「お姉さんを大事にしてるって言うのがわかって、なんか親近感が湧いちゃって」
「えっと、へへへ……」
 妹に大切に思われていると言われて、照れくさいのだろう、紫水の顔が少し赤くなっている。
 少しの間ふたりとも黙り込んで、ケーキを食べる。ケーキを半分ほど食べたところで、紫水がこう言った。
「実は、千代子が悠希さんと付き合いはじめたって聞いて、いろんな人に悠希さんについて訊いたんですよ」
「そうなんですか?」
「うん」
 紫水の夫は悠希の高校時代の友人だし、紫水の先輩の夫も短大時代の友人だし、なんならその先輩の弟は高校時代の後輩だ。訊く相手はそこそこいるだろう。
 紫水はどんな話を聞いたのだろうか、悠希が耳を澄ませてじっとしていると、紫水はこう言った。
「だれからも、全然悪い話を聞かなかった。
どこかで悪い噂を立てられてないかって訊いても、それはありえないってみんな言ってた」
「そうなんですか?」
「ああ、だから逆に不審に思ったんですよね」
 そんな事を言われても、悠希がなにか工作をしたとかそういうことはない。悠希が戸惑っていると、紫水はにっこりと笑ってこう続けた。
「でも、今日話してみて、改めて悠希さんがただの光のサイコパスだってわかったから良いかなって」
「そんな認識なんですか……」
 紫水の言っていることがいまいちよくわからないけれども、千代子との仲を反対されるよりは良いだろう。
 そのあと、飲み物とケーキがなくなるまでふたりで話をして喫茶店で会計をした。
 喫茶店を出ると、驚いたような声が聞こえてきた。
「お姉ちゃん、悠希さん、こんな所でなにしてるの?」
 声の元を見ると、書店の袋を持った千代子が立っていた。不安そうにしている千代子に、紫水が答える。
「千代子が悠希さんと付き合ってるって聞いたから、どんな人なのか確認しようと思って」
 その言葉に、千代子は不安そうだ。
「それで、お姉ちゃんとしてはどう思ったの?」
「光のサイコパスだから安心して千代子を任せられるな!」
「そっか、良かった!」
 それは良いのだろうか。悠希にはいまいち判断出来なかったけれども、一緒になってはしゃいでいる紫水と千代子を見て、姉妹だなぁ。と言う思いを深めたようだった。

 

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