第五章 浅草橋散策

 書いていた原稿も一段落付き、しばらくゆっくりするかと言ったある日のこと、悠希の携帯電話が鳴り始めた。
 発信元を見てみると、かけてきているのは匠のようで、また課題を手伝って欲しいのかなと思いながら電話を取る。
「はい、もしもし」
「お兄ちゃん久しぶり」
「久しぶり。今日はどうしたの?」
「あのね、今度ステラと一緒に浅草橋に行くんだけど、お兄ちゃんも来ない?」
 それを聞いて悠希は少し考える。また新作のプロットに手を着けるまでは時間に余裕があるだろうし、小説を仕事にしはじめてからはとんと浅草橋に行っていない。久しぶりにアクセサリーのパーツやビーズを見るのも楽しいだろう。
「いいよ。一緒に行こう。
ステラさんはまた石とか見たいんだよね」
「そうそう。お兄ちゃんの石の話、聞きたいんだって」
 ステラというのは匠の高校時代からの友人で、パワーストーンの店でバイトをしている子だ。スピリチュアルなものに興味があるのかと思えばそうではなく、石そのものが好きだと言うことで、高校卒業後は宝石鑑定士の資格も取れるという専門学校に通っていると悠希は聞いている。
 とりあえず匠と一緒にいつ頃行くかの予定を決め、待ち合わせ時間と場所を決めたところで通話を切る。すると、窓辺で昼寝をしていた鎌谷が顔を上げて声を掛けてきた。
「浅草橋行くの久しぶりじゃねえ?」
「そうだね。気がついたらここ一年くらい行ってないや」
 しみじみとそう思った悠希は、ふと部屋の中に置かれているカラーボックスに目をやる。そこの一番下の段には、アクセサリーを作るときに使う工具やパーツがはいっている。あれにもしばらく触ってないなと思うと、なんとなく寂しいような懐かしいような、不思議な気持ちになった。
「それで、ステラちゃんも来るんだったら、なにか珍しい石とか持って行くのか?」
 ぼんやりしているところに鎌谷にそう言われ、悠希はカラーボックスの上の段を見る。
「そうだね。なにか珍しいのがあったら持って行こうかな」
 悠希はカラーボックスの上の段から、小箱をいくつも取りだして開く。その中には、色とりどりに輝く宝石が、小さなケースに収まって沢山入っている。それをひとつずつ眺めて、難しい顔をしてから一旦全部しまい、カラーボックスのもう一段上からバニティボックスを取り出す。それを開けると今度は、丸く紙に包まれたものが沢山入っている。それをひとつずつまた開けていくと、中には磨かれていない原石がそれぞれに包まれていた。
 それもまた全部確認して、悠希はまた難しい顔をする。
「うーん、特にこれと言って珍しい物がないなぁ」
「そうなのか?」
 意外そうにしている鎌谷の頭を撫でてから、悠希はまた原石をひとつずつ紙にくるんでいく。
「まぁ、今回はいっか」
「いつでも何かしらあるわけじゃねえしな」
 バニティボックスも元の場所にしまい、悠希はちゃぶ台の上に置いてあったお茶をひとくち飲んだ。

 数日後、悠希は鎌谷を連れて浅草橋にいた。匠達との待ち合わせ場所は、地下鉄の駅前。浅草橋に来るときはここを待ち合わせ場所にする事が多い。
 他の人の邪魔にならないところに立ち、ぎゅっと鎌谷の手を握って匠達が来るのを待つ。しばらくそうしていると、地下鉄のエスカレーターを上ってくる見覚えの有る顔が見えた。
「お兄ちゃんおまたせ」
「悠希さん、久しぶりー」
 そう声を掛けてきたのは、すっきりしているけれども可愛らしい服を着た匠と、ボーイッシュな格好をしてオレンジがかった金髪を肩の辺りで切り揃えている女の子だ。
「そんなには待ってないよ。
ステラさんは本当に久しぶりだね」
 悠希がそう返すと、ステラと呼ばれた金髪の女の子がにっと笑って言う。
「まぁ、私も学校と仕事と忙しいしね。
悠希さんも小説家になったって聞いたし、そっちが忙しいでしょ」
「それなりにね」
 少しの間駅前で立ち話をして、鎌谷が三人に声を掛ける。
「それじゃあ、店見に行こうか。俺犬だから入れないけど」
「うん、鎌谷君なんかごめんね?」
「気にすんな。おれも家の近所以外の所にたまには出かけたいから丁度良いさ」
 鎌谷の一声で、まずはどこに行くかという話になり、とりあえずステラが見たいという石屋から回ろうと決まる。まずは駅のすぐそこにある石屋からだ。

 その石屋はビーズ状の天然石を扱っているところで、全体的に品質が良いと悠希は評している。
 匠は店の奥にある様々な色や形の淡水パールに夢中になり、ステラは色石のビーズを見ている。悠希も色石のビーズを見ているのだけれども、特に見ているのは花や星形など、可愛らしいカットのものだ。
 ふと、石の束を持ったステラが悠希に声を掛ける。
「そういえば、近頃は私も石の良し悪しがわかるようになってきたんだ」
 それを聞いて悠希はにっこりと笑う。
「そっか、よかった。学校で勉強してる成果が出てるんだね」
「へへへ」
 照れたように笑うステラが石を店員の所へと持って行き、買いたい一連を探す作業に入った。それを確認した悠希は、今度は淡水パールを見ようと店の奥へと行った。

 ステラが見たがっていた石屋はおおむね回り終わり、今度は大通り沿いにあるアクセサリーパーツの店へ入る。その店の中では、匠はガラスビーズを、ステラはまた天然石ビーズを、悠希はアクリルやプラスチックのビーズを見ている。
 ガラスのビーズの入った小袋をいくつか持った匠が悠希の所へやって来て訊ねる。
「ところでお兄ちゃん、最近アクセサリーとか作ってる?」
 その問いに、悠希は少し困ったような顔をする。
「それが、最近さっぱりなんだよね。
パーツ屋さんに来るのも久しぶりだし」
「そっかー」
 そんな話をしていると、ステラもやって来てこう言った。
「悠希さん、最近うちの店にも来てないんだよね」
「あ、なんかすいません」
 思わず悠希が謝ると、ステラは手をひらひらと振って返す。
「いやいや、そんな気にしないで。気が向いたときに来てくれればいいから」
 きっとステラは、石が好きだと言っている悠希が急に店に来なくなったのを心配していたのだろう。悠希はそう思ったようだった。
 ふと、ステラがこう言葉を続けた。
「そういえば、最近お兄ちゃんがうちのお店来るようになったんだよね」
「そうなの?」
 それは初耳だといった様子の匠が、少し驚いたような声を出す。もしかしたら、兄がいたということ自体初耳なのかも知れない。少なくとも悠希は初耳なので、こう訊ねる。
「お兄さんとは仲が良いの?」
 ステラが苦笑いをして返す。
「悪くはない」
 微妙な答えだったけれども、それならそれで良いのだろう。納得した悠希と匠はそれぞれに欲しいものをレジへと持って行った。

 買い物を済ませ店の外へと出ると、なにやら鎌谷が不満そうな顔をしている。
「鎌谷君、どうしたの? 待たせちゃった?」
 心配になった様子の悠希がそう訊ねると、鎌谷は首に付けている風呂敷を手で触って答える。
「待つのは別に良いんだよ。歩いている人を観察してるのは楽しいからな。
ただ、煙草吸えないのがなぁ」
 そう、ここ近年路上喫煙禁止の場所が増え、鎌谷はなかなか外で煙草を吸えないのだ。
 少し前までは歩き煙草が当たり前だった鎌谷がちゃんと煙草を控えているのを知って、悠希は鎌谷の頭を撫でる。
「ちゃんと吸わずに待ってたのは偉いよ。がんばったね」
「そんな言葉で誤魔化されねーからな」
 そうは言うものの、褒められた鎌谷も満更ではないようで、尻尾を振っていた。

 あちこちを見て回りそろそろ歩き疲れただろうと、一同は駅の側に有る飲食店に入った。浅草橋に来るとよく入る店だ。
 席についてそれぞれ注文をする。匠はアイスティーとパンケーキ、悠希は温かい紅茶、ステラと鎌谷はアイスコーヒーだ。
 しばらく話しながらオーダーの品が来るのを待っていると、先に飲み物が、それから少し待ってパンケーキが運ばれてきた。
 匠は運ばれてきたパンケーキに早速ナイフを入れ、ひとくち分をフォークに刺して悠希に言う。
「お兄ちゃん、ひとくち食べる?」
「いいの? それじゃあいただこうかな」
「はい、あーんして」
 匠に言われるままに悠希は口を開け、入れられたパンケーキを食べる。その様子を見て、鎌谷とステラは、匠もあいかわらずブラコンだなと苦笑いをしたのだった。

 

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