第八章 足したいひと味

 よく晴れたある日のこと、だいぶ前に悠希が原稿を書き上げた小説の発行のめどが立ったので、その次の作品の打ち合わせのために、悠希は神保町にある紙の守出版へと訪れていた。
 この予定は最近入ったものだけれども、めどが付いたら次の作品の打ち合わせをするということだけは前から決まっていたので、めどが立ったという点を見るならば嬉しい予定だ。できれば次の作品の構想やネタ出しも多少はしてきて欲しいと言われていたので、今日はネタ帳も持参している。
 紙の守出版編集部にある応接間で、悠希は担当編集者の美言と向かい合って座っている。ネタ帳を見せたところ、思ったよりもしっかり固まっていそうだと、美言は安心したようだった。
「そういえば、一応参考までにといった程度なんですけれども」
 美言が手に持っていたファイルからはがきを何枚か取り出す。どうやらアンケートはがきのようだった。
 美言曰く、過去作品に付属していたアンケートはがきも、何通かは編集部に送られてきているようで、それに書かれていた要望は、くみ取るまで行かなくとも意識の端に入れておいてもいいだろうと美言は言った。
「なるほど、貴重な読者の声ですもんね」
 悠希はアンケートはがきを手に取り、感想欄を見る。読んでいるとほっとするとか、心が洗われるとか、そういった嬉しい感想もあるけれども、中には過激な内容を求める声もある。それを見て悠希はどうしたものかといった顔をする。
 美言がそれを見てか、アンケートを悠希の手から抜き取ってこう言った。
「あくまで参考ですから。振り回されないように気をつけて下さいね」
「あ、はい。わかりました」
 過激な内容を求められたのは意外なことではなかったけれども、多少はショックなことだったようで、悠希は両手で頬を軽く叩いている。
「それじゃあ、今後どういったスケジュールで進めるかも詰めていきましょうか」
「そうですね」
 感想の話から気分を入れ換えて、ある程度次回作のスケジュールも詰めていく。それもある程度まとまると、お茶を飲みながら、現在発行されている分の売れ行きなどの話になった。
「ところで、僕の過去作の売れ行きはどうなんですか?
続きを催促されると言うことは、打ち切りにならない程度には売れてると思うんですけど」
 悠希の質問に、美言はにっこりと満足そうに笑って答える。
「新人作家としては上々の売れ行きですよ。
まぁ、弊社としては。と言う話にはなりますけど」
「そうなんですね」
 それを聞いて悠希もほっとする。
「第一作目の重版も決まりましたし」
「ほんとうですか! よかったぁ……」
 美言からの嬉しい報告に、悠希は思わず声を上げる。まさか重版されるほどに売れるとは思っていなかったのだ。
 すると、美言が続けてこんな事を言った。
「というわけで、今度また書店さんと提携して、新橋先生のサイン会をやりたいんですよね」
「そ、そうなんですね」
 美言の提案に、悠希は思わず身を硬くする。サイン会自体は、二作目の出版の時に一度経験しているのだけれども、どうにもサインする側という立場には慣れない。なので、ついこんな事を訊ねる。
「でも、なんで僕のサイン会を?」
「人気のある作家は、積極的に押し出していきたいので」
「えっと、あの、でも、他の作家さんはどうなんですか?」
 しどろもどろになる悠希に、美言は斜め上を見て考える素振りをしてから答える。
「そうですね。新橋先生は紫水先生とお会いしたことありましたっけ?
あの方は他の出版社からの引き抜き組なんですけれど」
「あ、会ったこともありますし、存じております」
 悠希が紫水と初めて会ったのは、この紙の守出版でではない。高校時代の友人の結婚式に参加したら、新婦が紫水だったのだ。入場の際に新郎を姫だっこしていただとか、ブーケトスでブーケを空中分解させたりだとか、結婚式中からなかなかユニークな人だなとは思っていたけれども、その紫水が小説家だと知ったのは、彼女の作品を延々追い続けているカナメから話を聞いてのことだ。そして、そんな紫水のことだから書く小説もコメディタッチのものが多いのかと思いきや、読んでみると意外にも、重々しく重厚なディストピア小説を得意としているようだった。
「その紫水先生が、弊社では人気どころですね。新橋先生とはだいぶ違ったタイプの作風ですけど」
「そうなんですね」
 美言の言葉に納得していると、ふとこんな話を振られる。
「ところで、新橋先生は、紫水先生みたいな方向性の作品には挑戦してみないんですか? 今のとは別シリーズで」
「えっ?」
 余りにも意外な提案だったので、悠希は驚く。それから、曖昧に笑ってこう返した。
「いやぁ、僕にはああいう話は向いてないというか、得意な人にお任せしたいなって……」
「なるほど。まぁ、餅は餅屋ですからね」
 すぐに納得してもらえたようでほっとする悠希。けれども、美言はさらにこんな事を言った。
「でも、新橋先生の書くお話は、理不尽さって言うのが無さ過ぎるんですよね」
「理不尽さですか?」
「そうです。全体的に筋が通っていてまとまっていて読みやすいんですけど、逆に言うとまとまりすぎてるんです」
 まとまりすぎていると言われて、たしかに。と思う。けれども、どの様に遊びをつければいいのか、その加減というのもよくわからないと言うのが実情だ。
「理不尽さがもうちょっとでも加わると、また違った面白さが出てくるかも知れない……そんな気がするんですよね」
「なるほど」
 美言の言葉を聞きながら、悠希は理不尽について考える。理不尽を自分の身に感じていたと思えるのは、悠希がまだ学生の頃。詳しく言えば、小中学校の頃のことだ。あの時感じていたもやもやは、きっと理不尽と呼ばれるものだろう。けれども、それを作品に出してしまっていいのか、その判断は自分でできそうになかった。
 見透かしたような目で悠希を見た美言が、にこりと笑う。
「でも、新橋先生についてる読者の皆さんが、理不尽を求めているかどうかはわかりませんからね。
アンケートはがきでそういったものを求めてくる意見は、ノイジーマイノリティの可能性もありますし」
「はぁ……」
「弊社としましては、新橋先生が途中で挫けたりせずに、最後まで作品を書き続けてくれることを求めていますので、私のここまでのお話も、あくまで参考程度と思っていただければ」
「そうなんですね。色々とありがとうございます」
 もしかしたら、最近ネタ出しで煮詰まることが多いのを美言はわかっていたのかもしれないと悠希は思う。そう思っていたから、色々な案と可能性を提示してくれたのだろうと、悠希はそう感じたようだ。
 その後他の作家の話を少しして、改めて次のプロットの〆切りを確認し、悠希は紙の守出版の編集部を出た。

 晴れた空の下、街中を歩いていてふと思う。もしかしたら紙の守出版の人達は、作家のことを全部お見通しなのではないかと。

 

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