第十四章 もっと早く知りたかった

 悠希が小説の執筆を進めているある日のこと、携帯電話がメールを着信した。
 誰からだろうと確認してみると、幼馴染みの緑からのメールだった。なんでも、今度の休みにでも一緒に会わないかという誘いだった。
「うーん……」
 悠希はメールと、小説が書きかけになっているパソコンの画面を見比べる。なるべく早く小説を仕上げてしまいたい気はするけれども、最近また籠もり気味で気分が鬱屈としているのか、筆の進みが悪い。それなら、久しぶりに会う友人と、楽しい時間を過ごして気分転換をした方がいいだろう。そう判断したようで、悠希は一緒に会う旨をメールで返信した。

 そして数日後の休日。悠希は鎌谷を連れて上野駅の中央改札口で緑のことを待っていた。携帯電話で時間を確認する。待ち合わせ時間まであと十分ほどだけれども、緑は遅れずに来るだろうか。実の所、緑とこうやって時間を決めて待ち合わせるということはあまりしないので、早めに来るタイプなのか時間通りに来るタイプなのか、はたまた遅れてくるタイプなのかは悠希は把握していない。
 多少待たされても仕方ないかなと思いながら悠希が改札を見ていると、待ち合わせ時間よりも五分ちょっとはやく、緑の姿が見えた。
 オペラ色のふわふわの髪を揺らしながら、手を振って駆け寄ってくる。
「悠希、鎌谷、お待たせー」
「緑君久しぶり」
「久しぶりだな、まあそんな待ってないから安心しろ」
 簡単に挨拶を済ませ、緑は早速鎌谷の頬をもみくちゃにしている。これはもういつもの事なので、鎌谷も嫌そうな顔はしていない。それどころか、久しぶりに会えたのが嬉しいのだろう、尻尾を振ってさえいる。
 緑がひとしきり鎌谷の顔を揉んだあと、これからどうするかという話になる。上野に行けば何かしらあるだろうというふんわりとした予定だったので、特に内容が決まっていたわけではないのだ。
「このまま喫茶店にでも入っておしゃべりしても良いんだろうけどさ」
 緑はそう言うけれども、言った本人がそれでは満足出来ないのだろうなというのは悠希にも見て取れた。
 悠希はちらりと鎌谷を見てから言う。
「それじゃあ、博物館でも見に行く?」
「俺は良いけど、鎌谷はどうなんだ?」
 緑も鎌谷の方を見て言う。ふたりの視線を受けて、鎌谷はぽんと悠希の脚を叩いて返す。
「博物館でも構わないぜ。
美術館ってなると高尚すぎてわかんねぇけど、博物館ならなんとかなる気がする」
「鎌谷君、見たもの全てわかる必要はないからね?」
 とりあえず、鎌谷もこの案で良いとのことなので、三人は駅の近くにある坂道を上って上野公園へと向かう。博物館は広いけれども、じっくりと見て刺激を受けるのには丁度良いだろう。

 博物館を見て、思いの外鎌谷が夢中になっているのを微笑ましく眺め、脚が疲れた頃に三人は博物館を出て、駅構内にある喫茶店へと入った。
 お茶とケーキを頼んで、しばらくは博物館で見た物の話をしてきた。そうしているうちに全員分の紅茶が運ばれ、ケーキも来た。
 以前よりも積極的にケーキを食べている悠希を見て、緑が驚いたような顔をする。
「おう、なんだよ悠希、結構食べるようになったじゃん」
「うん、最近はちゃんとしたごはん食べるようになって、それで、食べるのもだいぶ慣れたよ」
「そっか、よかった」
 悠希の言葉に、緑は安心したように笑う。 ふと、悠希が思い出したようにこんな話をした。
「そういえば、緑君ってカナメさんと知り合いだったよね?」
「ん? まあまあ仲いいけど?」
 緑とカナメは、通っていた高校が同じで、なにかと話す間柄だったらしいというのを、悠希は偶然知った。けれども悠希は、たしかに、カナメと緑は相性が良いだろうなとは思っているようだ。
 それを踏まえた上で、悠希は先日の話をする。
「カナメさんの結婚式すごかったよ。
結婚したっていうのは、緑君もカナメさんから聞いてると思うけど」
 すると、緑はぽかんとした顔をしてから、だんだんと涙目になってきた。
 何か悪いことでも言ってしまっただろうか。悠希がそんな心配をしていると、緑がむくれた声でこう言った。
「俺、あいつから結婚するって話聞いてない~……」
「えっ? そうなの?」
「なんで教えてくれなかったんだろ。俺とあいつの仲なのに~……」
 急にぐずりはじめた緑に、鎌谷が言う。
「でもさ、結婚の話を事前に聞かせるほど、お前とカナメって仲いいのか?」
 その言葉に、緑は鼻を啜って返す。
「そこまでではないけどさ……」
「じゃあしょうがないだろ」
「でもひとこと言って欲しかったの!」
 どうやら、カナメの方から緑に対する執着は薄いようだけれども、その逆はなかなかに強いようだ。
 ここまでごにゃごにゃした緑を見るのは、鎌谷はもちろん悠希もはじめてだ。どうしたら良いのかがわからない。
 悠希がおろおろしていると、カナメが結婚したという話に引きずられてだろうか、緑がこんなことも言い出した。
「紫水も結婚する前に結婚するって教えてくれなかったし、なんなんだよ~」
「えっ?」
 突然出てきた紫水の名に悠希が驚く。なぜ緑が紫水のことを知っているのだろうと思ったのだけれども、よくよく考えれば、紫水が書いた小説を、高校時代の友人が書いたものとして悠希に紹介してくれたこともあった。つまりは、緑と紫水は高校の時からの付き合いなのだ。
 なおさらごにゃごにゃする緑に、鎌谷が溜息をついて言う。
「紫水が結婚するの教えてくれなかったって、そんなに仲良かったのか?」
「紫水とはめっちゃ仲良かった」
「お、おう……」
 緑の圧に押されながらも、鎌谷は溜息をついてさらに言う。
「こんなんじゃ、緑の友達も結婚するとき大変だな」
 すると、緑が目を擦ってこう言った。
「よくつるんでるやつはちゃんと事前に教えてくれた」
「そうか、それはよかった」
 ふと、緑が悠希の方をじっと見る。
「悠希も、結婚するときはあらかじめ言ってくれよな」
 それを聞いて悠希は、困ったように笑う。
「そんな事言われても、僕はまだ予定がないよ」
「そうなん?」
「うん」
 それから、少しの間静かになって、お茶とケーキを口に運んで、今度は悠希が訊ねた。
「そういえば、緑君は結婚の予定あるの?」
 すると緑は苦笑いして答える。
「いやぁ、俺もまったくそういう予定は無いんだわ」
「そっか」
 予定がないと笑い合うふたりを見て、鎌谷はやれやれと言った様子だ。
「ふたりとも、お互い当分先の話って思ってるんだろうけどさ、はやくいい相手見つけてくれよ?
いつまでもひとりでフラフラしてるんじゃ、俺心配だよ」
 それを聞いて緑が笑う。
「なんだよ鎌谷。まるっきり父さんみたいなこと言うじゃん」
「年齢的にはそんな感じだからな」
 たしかに鎌谷は、宇宙犬とは言えもう老年に入った頃だろう。こんな心配が出てきてしまうのも仕方ないのかなと、悠希と緑で話したのだった。

 

†next?†