第十四章 堕ちた者

 ロザリオを手に入れ、悠希さんに憑いている霊の対応をする前に少し慣れて置いた方が良いなと思った俺は、 街中でさまよえる霊を無料サービスで供養していた。

ロザリオに慣れるため、と言うのが主な目的なので、クリスチャンのさまよえる霊が主なターゲットなのだが、 そちらにばかり構っていると仏教系や神道系の霊が不平等がると思って、割と無作為にやっている。

無作為と言っても、ちゃんと誠心誠意込めてだ。

 少し不穏な動きをしたりするので、主な活動は人が少ない夜中なのだが、ある日の事突然こんな声が聞こえた。

「君は仏の加護だけで無くて、父たる神にも力を借りたいのかい?」

 背筋に悪寒が走る。

その声は背後から聞こえた気がするので振り向くと、そこには黒ずくめで、 黒く長い髪の男とも女ともつかない人影が立っていた。

こう言う格好をした人が別段珍しい訳では無いのだが、その人影からは禍々しさを感じる。

「お前は何者だ」

 俺が両手に数珠とロザリオを握ったままそう問いかけると、人影は気味の悪い笑みを浮かべてこう答えた。

「父なる神に、地に落とされた者だよ」

 『父なる神』『地に落とされた』この二つの表現から察するに、堕天使だろう。

堕天使が何の用だ。そう思いながらも何も言わないで居たら、堕天使は勝手に話を続けていく。

「この国の神と父なる神、それに天使達の争いがあるみたいだね。

実に、実に愉快だ」

「いや、パイ投げと小学生レベルの悪口合戦しかしてないんだけどな?」

「そこが残念な点なんだ。

せめて空気圧縮型水鉄砲くらい出して欲しかった」

「お前もそこそこ平和ボケしてんね?」

 とてつもない禍々しさを纏っている割には言っている事がしょぼい。

しかし、やっている事の内容はともかく、争い毎を楽しむという姿勢は良いとは言えない。

「お前は、神々の争いに乗じて何かするつもりか?」

 すると堕天使は愉快そうにこう答える。

「勿論だとも。

争いのキーパーソンである新橋悠希。

あいつが物語を紡ぐ事が出来ないようにしてやる」

 まさか、不幸を呼ぶつもりか?

そう思いロザリオを強く握り住めると、堕天使はこう続けた。

「新橋悠希に若く、働き者で、可愛い伴侶を付けてやろう。

私生活に没頭しすぎて小説を書く間を無くさせてやる」

「妨害の仕方がターゲットを幸せにする事って辺り、お前まだ堕ちきれてないよな」

「なんだと?ここで新橋悠希を不幸にしたら、父なる神とその部下達が喜ぶでは無いか!」

「あーもう、ほんと皆さん斜め上ですね」

 なんか、美言さんも悠希さんが小説を書くのは自主性に任せるって言ってたし、 この堕天使の事は放って置いても良いような気がしてきた。

 警戒するのもバカらしくなり、肩から力を抜いて堕天使と向かい合っている訳だが、突然こんな事を言い出した。

「そうそう、天使達を不利にする良い情報をお前に教えてやろう」

「天使達は蕎麦アレルギーとか、そう言う類いの情報だったらいらないよ?」

「お前、私を馬鹿にしているのか!」

 半分くらいは。

そう思ったが迂闊にそんな事を言って下手な霊障を俺に出されても困るので、堕天使の話を素直に聞く。

「新橋悠希に憑いているあの霊は、生前に神の禁忌を冒したのだ」

「神の禁忌?」

 一体何だろう、神の禁忌と言われる物はなんだかいっぱい有るようで、どれに該当しているのかが解らない。

急に真面目な話になり、思わず真剣になる。

「冒した禁忌は二つ。

その内の一つは、お前も冒した事の有る物だ」

「え?どういう事だよ!」

 俺が神の禁忌を冒した?

そんな話は神様で有る美言さんからも聞かされていない。

戸惑う俺に、堕天使はニヤニヤしながら言う。

「ふふふ……精々悩むがいい。

それでは私はこれで消える事とするが、お前の元にはまた現れる事もあるだろう」

 もう現れないでくれ。

自分が神の禁忌を冒したと言われ、いくら堕天使の言葉でも恐怖を覚えずには居られなかった。

 

 その日から数日、俺は本屋で聖書を購入し、神の禁忌について調べていた。

やはり、事前にインターネットで調べたのと同じように、禁忌と言われている物は数多く有る。

もう本当に自分がどんな悪い事をしたのかがわからなくなり、 藁にも縋る思いで俺はアポを取って紙の守出版へと向かった。

 

「神の禁忌ですか?」

 応接間でお茶を出してくれている美言さんに訊ねると、困ったような顔をしている。

「なんか堕天使に、俺が神の禁忌を冒していると言われたんですが、心当たりが全くなくて、 すごい不安になっちゃって……」

 思わず俯いている俺に、美言さんはこう答える。

「堕天使が言っていた。と言う事は、西洋系の禁忌ですよね?

向こうは色々な禁忌があるみたいですけれど、 我々八百万の神としては『無駄な殺生』と『反魂』以外にこれと言った禁忌は無いです。

仏の皆さんも基本的にそんな感じですし、仏に属する寺原さんが気にする事は無いのではないでしょうか?」

「そうでしょうか……」

「もし仮に、西洋の神や天使達があなたを罰しようとするのなら、仏も含めて全面抗戦しますよ」

「また中国でパイ投げですか?」

「そうなりますね」

「仙人の皆さんが不憫なのでやめたげてください……」

 取りあえず、仙人の皆さんにご迷惑をおかけしてしまう可能性は出てきたけれども、 八百万の神様と仏様的には問題となる行動をしていないようなのでひとまず安心する。

 ふと、美言さんがこう訊ねてきた。

「ところで、例の件は何とかなりそうですか?」

 ああ、悠希さんの件か。

「そうですね、悠希さんに憑いている霊と距離を縮めようと思ってロザリオなんかを作って貰ったりしましたよ」

 それを聞いて、美言さんはきょとんとしている。

何かと思ったら、ロザリオの名前は聞いた事があるのだが、実物を見た事が無いのだという。

折角なので最近ずっと持ち歩いているロザリオを見せたら、美言さんは良い笑顔でこんな事を言う。

「わぁ、可愛いネックレスですね!

私も欲しいです!」

「いや、ネックレスじゃ無いし法具だし、そもそもそれ敵勢力の物ですからね?」

「それはそれ!

これはこれ!」

 なんだか美言さんがロザリオを欲しがり始めてしまったので、 俺は匠ちゃんが運営しているというネットショップのアドレスを教えておいたのだった。

 

 紙の守出版を出たのは、お昼時も暫く過ぎた時間だった。

そう言えばまだ昼食を食べていないなと思い、その辺にあった牛丼屋へと入る。

「いらっしゃいませー!」

 元気の良い店員の声に迎えられ店内に入ると、見覚えの有る顔が居た。

牛丼屋の制服に身を包んだ、あの堕天使が居たのだ。

「……お前、なにやってんの?」

 俺が怪訝そうにそう言うと、堕天使ははっとして俺に言う。

「な、何のことは無い。

人間どもを堕落させるための下積みをしているのだ」

「ちょっと何言ってんのかわかんないんだけど、牛丼並とお新香、あとけんちん汁ね」

「牛丼並一丁!」

 店員が堕天使だと言う事はさておき、特に待たされる事も無く出された牛丼を食べ、ごく普通に会計をし、 ごく普通にその店を後にした。

 

†next?†