メロディーフラッグ

私と環は小学校の頃からの友人だった。

二人とも音楽番組が大好きで、お互いの家に泊まっては一緒にテレビを見ていた。

「清香、あのさ」

「何?」

「私、作曲家になりたいな。

清香は私の作った曲、歌ってよ」

そんな話をしたのは何時の事だったろう。

歌うことが大好きだった私は、環の言葉に二つ返事で返した。

 

中学に入り、私と環は同じ合唱部に入部した。

「これで毎日清香の歌声が聴けるね」

彼女のその言葉に、私は思わず赤面した。

だって、そんな事言われたら誰だって恥ずかしいと思う。

しかも、環は他の部員や先輩が居る前で、そんな事を言う物だから。

その後先輩達に冷やかされたのは言うまでもない。

因みに、誤解の無いように言っておくと、私も環も女だ。

見て取ってそれが解るのに、それでも冷やかす先輩達の言葉にはほとほと困り果てた。

けれど、環と一緒に歌って過ごす放課後は、とても楽しい物だった。

勿論、筋トレとか、歌の練習とか、大変な事は沢山あったけど。

夏休みには合宿も有った。

その時たまたま私が夕食の時に作った料理を、環は凄く気に入ったようだった。

「ねぇ清香、このにんじんの入ったの、なんて言う料理?」

「え?にんじんしりしりーって言うんだけど」

「へぇ、変わった名前だね。どこの料理?」

「沖縄料理だよ」

隣の席に座った環と話をする。

そんな何気ない事が幸せだった。

 

所が、幸せな日々は何時までもは続かなかった。

中学二年の終わり頃、環が両親の都合で引っ越す事になってしまったのだ。

私は泣いた。

一人で、部屋で。

環とはずっと一緒に居られると思っていた。

だから余計にショックだった。

彼女は偶に電話するからと言ったけれど、それでも私の不安は消えなかった。

引っ越し当日の日、環は私の家まで来てくれた。

「またきっと会えるよ。

だから泣かないで」

私は環を目の前にして、気が付かない内に泣いていた。

環が私の頭を撫でる。

「大丈夫。私達はまた逢える。

そんな気がするよ」

そうは言われても、寂しさはどんどん押し寄せて来るばかりだ。

何時までも泣きやまない私を見て、環が困った顔をして言った。

「そうだね…ちょっと一緒に買い物行こうか」

「…何で…?」

「また合おうって約束で、お揃いの何か買おう。ね?」

私は涙を拭って環の服の裾を抓む。

それから、一回だけ頷いた。

 

環が私を連れて来たのは隣町の駅ビル。

確かに、私の住んでいる町には可愛い雑貨とかが望めるお店は殆ど無い。

環の言う通り、お揃いの何かを買うんだったらここまで来るのが一番手っ取り早い。

二人で色々な雑貨を見て回る。

「どうしよう、何買う?」

さっきとは違う感じの困った顔をした環が、 お店の壁にぶら下がっている携帯ストラップを見ながらそう言う。

「そうだね、折角だから可愛いのが良いよね」

私がそう言うと、環がふと視線を手元の棚に落とす。

そこにはファンシーな指環がずらりと並べられていた。

それを見て彼女がにっと笑う。

「いっその事指環にする?」

悪戯っぽくそう言う環の言葉に、私はしどろもどろになる。

「え?いくら何でも指環は…

なんかエンゲージリング連想しちゃうよ」

「いいじゃんいいじゃん。

それこそまた逢おうって願掛けするんだったら効果有りそうだよ」

…そう言う物かな?

そうは思ったけど、そう考えるのなら指環が良いような気もしてきた。

私と環でああでもないこうでもないと言いながら指環を選ぶ。

結局二人が選んだのは、カットされたガラスで蝶をかたどったモチーフの付いている、 華奢な指環。

ちょっと高かったけど、これで何時でも環と一緒に居る気分になるなら良いと思った。

 

中学三年の一年間は、環が居ない寂しさを残したまま、過ぎていった。

そんな中、私は進路を音楽科の有る高校にしたいと親に言った。

理由は、単純に、私が歌手になりたいから、歌の勉強の出来る所にしたかったのと、 音楽関係の進路にすればまた環と会える気がしたからだ。

両親は私が歌手になると言う事に賛成はしていなかったが、 音楽科に行く事についてはあまり言わなかった。

ただ一言言われたのは、

「公立の音楽科にしてね」

とだけ。

公立の学校で音楽科なんて無いだろうと思うだろうけれど、運の良い事に、 隣町に音楽科と美術科を併設した公立の高校があるのだ。

その高校自体そんなに古い学校では無いのだけれど、十年くらい前に音楽科と美術科が出来た。

勿論私は、元々言っては居なかったけれど、そこを目指していたので異論はない。

何故私立の方の音楽科ではなく公立の方の音楽科を目指していたかというと、 実は大した理由ではない。

私立の音楽科はバス通学だけれど、公立の音楽科は自転車で通える範囲なのだ。

でも、設備も公立の癖にしっかりしてると聞いたし、期待できるのではないだろうか。

何を期待するのかは解らないけれど。

そのような訳で、私は今日も公立高校合格を目指し、苦手な英語の教科書と睨めっこするのだった。

 

「適性検査?」

進路を決めるために行われた三者面談の時に、突然そんな事を言われた。

なんでも、公立の音楽科に入るには入試の前に適性検査を受けなくては行けないとの事。

内容はこうだ。

一つ目は聴音記譜と言って、単純なメロディを聴いて、それを楽譜に起こすという物。

二つ目は新曲視唱と言って、当日渡された楽譜を見て歌う物。

三つ目に専攻別検査と言う物があって、それは選ぶ専攻ごとに内容が違う。

私が選択しようとしている声楽は、歌唱とピアノだ。

これが全てクリア出来るのか。

クリアできなければ、そもそも受験資格すら貰えないらしい。

思わず不安にある私に、先生はこう言う。

「まぁ、適性検査で落とされる人はまず居ないから」

本当だろうか。

聞いただけでは随分と高難易度な事を要求されている気がするのだが。

一応私は当然楽譜を見ただけで歌を歌えるし、ピアノも弾ける。

ただ、メロディを流されて、それを楽譜にするというのは出来るだろうか。

とても不安だ。

取り敢えず、音楽科に入学するには勉強以外にもやるべき事がある。と言う事が解った。

 

それから大分経って受けた適性検査。

こんな物だろうかと思いながら受けてきた。

自分では良くできた方だと思うのだが…どうだろう。

判断するのは高校の先生方だ。

適性検査の数日後、学校の方に結果が届いた。

先生が言うには、適性検査には無事合格。

あとは本試験に臨むだけとなった。

本試験と言っても、私はなんとか推薦して貰える事になっているので、 推薦入試を受ける事になる。

万が一推薦で落ちても、一般入試をまた受けられると言う寸法だ。

そもそも公立の音楽科は、採用人数の半数を推薦で採ると言う事になっている。

なので、結構な人数推薦で採ると言う事は、推薦で受かりやすいと言う事だ。

頑張ろう。

 

それからまた大分経って推薦入試を受けた。

結果を待つ間、ずっと緊張していた。

そして届いた入試結果。

先生が言うには、

「おめでとう」

つまり私は推薦入試で受かったのだ。

これで私は自分の夢に一歩近づけた。

その日の晩は嬉しすぎて眠ることが出来なかった。

 

無事に卒業し、高校に入学する。

私は音楽科の中でも声楽専攻なので、毎日声楽のレッスンがある。

ただ、高校に入ってみて予想外だったのがバイオリンだ。

何故か音楽科は全員バイオリンが必修となっている。

何故だろう。弦楽専攻の人だけでも良いのではないだろうか、バイオリンは。

ふと思ったのだが、 バイオリンなどと言う高価な楽器を全員購入すると言う事になっている公立の音楽科。

バイオリンの値段を考えたら、微妙に私立の音楽科の方が安上がりだったのではないだろうか。

それでもお母さんはこう言う。

「私立は公立の三倍お金がかかるのよ」

やはり初期費用よりも、三年間のトータル金額が問題か。

お母さんの言葉に、私は学費についての事を考えるのをやめる。

それにしてもこのバイオリン、弦楽器をやったことがある人なら経験があると思うが、 弦を押さえる指がぼろぼろになる。

慣れてくれば指の皮が厚くなって平気なのだろうが、 弦楽器に触るのが初めての私にはとても辛い。

同じく必修のピアノを弾くのにも支障が出てくる。

それでも私は必修のバイオリンを弾く。

これを乗り越えれば環に会えるんだと信じて。

まぁ、何だかんだで六月頃にある学校の文化祭で、音楽科伝統の音楽カフェを開く頃には、 もう私の指はバイオリンにも慣れていたけれど。

 

高校生活が始まって暫く。

中学の時に環が転校してからずっと友達の居なかった私にも、新しく友達が出来た。

隣のクラス、美術科の奈々子だ。

お昼休みになると、大体どちらかのクラスで一緒にお弁当を食べている。

「なんていうかさー、数学訳わかんなくない?」

お昼の前の時間が数学の授業だったのか、奈々子がそう愚痴をこぼす。

「確かに数学難しいけど…

私は何とか理解の範囲内かな?」

「え~、そうなの?

いいな~、清香は頭良くて」

こんな話をしていると、奈々子の数学の点数が甚だ不安になるけれども、何の事はない、 きちんと半分以上の点数は取れている。

不思議と音楽科、美術科は成績優秀な生徒が揃っていて、普通科と同じテストをしたのなら、 クラス平均の点数が普通科よりも高い教科が殆どだ。

特に国語と英語は顕著で、普通科との平均点数の差は倍ほど有る。

この学校で言うところの赤点は、全クラス平均点数の半分以下。

普通の高校と比べると緩いのではないのかと思うけれど、 苦手教科が有る身としては非常に助かっている。

正直、私は英語のテストが二十点台とか、恐ろしい点数を取っているので、 併願していた私立高校の赤点は一律四十点以下と言うシステムだったら、 きっと放課後レッスン所ではなく補習の嵐だ。

「清香は頭良いから他の教科も点数良いんでしょ?」

奈々子はそう言うが、そんな事はない。

さっきも言ったように英語は壊滅的。

物理、数学も半分くらいしか点数は取れない。

国語は点数良いんだけど…

「いや、私は日本語しか理解できないから」

私がそう言うと、奈々子は、

「またまた~」

とか言う。

実の所、中学の時の経験だが歴史も苦手だ。

兎も角、暗記をするのが出来ない。

テストの点数とかなんか暗い話題だ。

話を変えよう。

「そう言えば、奈々子は美術科で仲の良い子とか居るの?」

何時もお昼を私と食べているので、それが気になった。

「うん。

ウチのクラスはとても細かいグループに分かれてはいるけど、まんべんなくみんな仲良いよ」

成る程、私のクラスと同じか。

「ところで清香はさ、なんで将来どんな歌手になりたいの?」

突然の質問だった。

私が歌手になる為に音楽科に入った事は既に奈々子に話して有ったのだが、 今までそんな事を聞かれたことはなかった。

私はしどろもどろながらに奈々子に返す。

「そう言う奈々子こそ、なんで美術科入ったの?画家志望?」

その言葉に奈々子はにっと笑って答える。

「私は将来夢を与える漫画家になりたいの。

でも今の時代、漫画家になろうとしたらまず絵ヅラじゃん?

だから絵の特訓のつもりで入ったよ」

こんなにしっかりとした信念を持って居たのは意外だ。

取り敢えず、彼女が答えたのに私が答えないのは不平等だと思い、私もさっきの質問に答える。

「私はね、人の心を揺さぶれるような歌手になりたいの。

抽象的だけど。

それでね、中学の時に別れた友達を捜し出すの」

私の言葉を聞いた奈々子は一瞬ぽかーんとしたけれど、また、にっと笑って私に言った。

「きっとまたその友達に会えるよ。

頑張って。

でも、私の事も忘れないでね」

奈々子の言葉に、私は何となくこそばゆさを感じながら頷いた。

 

高校の三年間もあっという間に過ぎ去っていく。

奈々子は何だかんだで美大に行くと言っていたけれど、環はどうなんだろう。

私と同じ様に、まだ音楽の道を目指しているのだろうか。

もし道を違えていたら…そう思うことはあるけれど、歌手は私の夢。

絶対に諦めない。

私の目指す音大は国立。

理由は単純で、演奏会に行ったことがあるのだけれど、レベルが高かったからだ。

ついでに言ってしまえば親が「出来れば国公立で」と言ったからと言うのもある。

中程度の成績しか取れない娘に無理難題を言う物だ。

そう言った訳で、私は予備校等という物に通っているのだが、効果のほどはどうなのだろう。

とにかく英語と数学が苦手なので、その二教科を重点的に勉強しているのだけど…

先が思いやられる。  結局私は二浪して、何とか国立の音大に入ることが出来た。

その大学は美術学部も併設しているのだけれど、どう言う訳だろう、 奈々子も二浪して同じ大学に通う事になった。

「まさかこんな事になるとはね…」

「超予想外だね」

入学式の後、奈々子とファーストフードのお店でおやつとお茶をいただく。

ふと、誰かが私に声を掛けた。

「あれ?清香?

久しぶりじゃない?」

聞き覚えのある声に私が振り向くと、そこには記憶の中に居るよりも少し大人びた環が居た。

余りの驚きに、声が出なかった。

「あれ?清香、知り合い?」

奈々子の言葉を聞いても、頭が巧く回らない。

ただ、気が付いたら目からぼろぼろと涙が溢れ出てきていた。

「どうしたの?」

「ちょっと清香、事情を説明して。

飲み込めない」

どうしよう、二人を困らせてしまった。

取り敢えず私は涙を拭って奈々子に事情を説明する。

「あのね、この子、中学の時に転校しちゃった友達なの。

ずっと逢いたかったから、つい…」

それを聞いて環が照れた様に笑う。

「ずっと逢いたかったなんて照れるな。

でも、私も逢いたかったよ」

笑い合う私と環を見て、奈々子が納得行かない様子で環に訊ねた。

「逢えたのは良かったけどさ、転校したのに何で今ここに居るの?

もしかして近所の人?」

奈々子の言葉に環が返す。

「ああ、さっき大学の入学式が近くであってね、 そのついでに一服していこうと思ってここに寄ったんだ。

そしたら清香がここに居てビックリって事にね」

大学の入学式が近くであった?

この条件は私と奈々子も同じだ。

私はおずおずと環に訊く。

「大学って、そこにある…」

「そうそう、そこの音楽学部の作曲科に入ったんだよ。

二浪もしちゃった」

環の答えに私はますます驚いた。

「私も、そこの声楽科…」

今度は環が驚いている。

「え?じゃあ同じ学校?」

狼狽える環を見て、奈々子がこう言う。

「私、高校の時から清香と一緒なんだけどさ、私もそこの美術学部なんだよね。

二人とも感動の再会だ!

環さんだっけ?ここの椅子座って一緒にまったりしよう。

多分、これから長い付き合いになるよ」

それを聞いて、環が私の隣りに座る。

少しの間だけちょっとぎくしゃくした感じだったけど、みんなすぐにうち解けた。

「所で声楽科、十六単位も外国語取らなきゃいけないとかあり得ない…」

「デザイン科も二年次に芸術情報演習とか不穏なのが有るよ?」

「作曲科は指揮法が予想外だったなぁ」

これから、楽しい大学生活が送れそうだ。

 

†the end†