俺がこの会社に就職して二ヶ月ほど。 社員研修も終わり、最近は新入社員の俺でも、いや、だからなのかはわからないが毎日残業している。
今日も渡された仕事が片づかず、残業になりそうだ。
時計が就業時間を指す。
今日の夕食はどうしようかと思いながら仕事を続けていると、横から声を掛けられた。
「上杉さん、お疲れ様です。余り根を詰めないでね」
「あ、ああ。いつもありがとう」
パソコンに集中しているように見せかけ、俺は横を見なかったけれど、 声のした方からそっと綺麗な手が出てきて、コーヒーを机の上に置いた。
給湯室のポットは保温している温度が低いと言っていたか、少しぬるめのコーヒーに口を付けると、甘い。
いつもなら酸味の強いブラックコーヒーを飲むのだが、残業に差し掛かるような疲れた時間には、 これくらい甘いコーヒーが良い。
横から人が居なくなったのを確認した俺は、そっと社内を見渡す。
すると、一人の男性社員が残業している社員皆に飲み物を差し入れしている。
……ほんと柏原は気が利くよな……
飲み物の差し入れをしているのは、俺と同期の柏原。
今までお茶汲みは新人女子社員が主にやっていたらしいのだが、 昨今、女子社員にばかりそう言った仕事を押しつけるのはどうなのかという話が多く出ているので、 今年からお茶は自分で淹れるように。となったらしい我が社。
なので、昼間は皆各々好きな飲み物を入れているのだけれど、 飲み物を取りに行く気力も無くなりがちな終業時間後は、柏原が残業社員に飲み物を持って来てくれている。
緑茶か紅茶かコーヒーかしか給湯室に無いけれど。と言っていたけれど、 その三種類をちゃんと社員の好み通りに配布しているというのが凄い。
これを上司や先輩へのゴマすりだって言う奴も居るけど、 ゴマすりだけだったら俺みたいな新入社員に持ってくる理由は無いと思う。
何はともあれこのお茶汲みが功を奏したのか、柏原は上司からなかなか評判が良い。
まぁ、柏原は仕事が早いってのも評判が良い理由ではあるだろうけど。
それにしても、と思いながらパソコン越しに柏原が居る方を見る。
飲み物を配る柏原の横顔がとても綺麗で、男だって言うのが信じられない。
手もなんか、華奢な感じだしなぁ。
柏原を見ながらコーヒーを置いてくれた手を思い出していると、段々顔が熱くなってきた。
うう……こんな思いするの、高校時代以来だ……
ある日、俺は思いきって昼休みに柏原をランチに誘ってみた。
すると柏原は、少し驚いたような顔をした後、申し訳なさそうにこう言った。
「ごめん、僕お弁当持って来てるから、お店で食べるのはちょっと……」
「え?あ……じゃ、じゃあ俺、コンビニで弁当買ってくるから、休憩所で一緒に食べないか?」
「うん、良いよ。ごめんね上杉さん、なんか気を遣わせちゃって」
「いいのいいの!誘ったのは俺なんだから!じゃあちょっとコンビニ行ってくる!」
ランチには行けなかったけど、一緒に昼飯を食べられるぞ!そう思うと妙に浮き足立ってしまう。
コンビニに向かう道中、エレベーターの中で我に返る。
なんで浮き足立ってるんだよ。柏原は同僚だし、何より男だぞ……
そう思っても胸の動悸は収まらないし、何よりもついさっき、 申し訳なさそうに俺を見ていた上目遣いの綺麗な顔が思い出されてやまない。
だめだ、落ち着こう。今はコンビニで何を買うかを考えるんだ。 コンビニで時間を食わないように、何を買うかを事前に……
よし、カルボナーラだ。カルボナーラならコンビニでも大盛りがある。
俺は頭の中にカルボナーラを一生懸命思い描いて、コンビニへ足を向けた。
結局、コンビニにカルボナーラはなかったので、大盛りのペペロンチーノを買って会社へと戻る。
心なしか早足で休憩所に行くと、そこでは柏原が席を二つ取って待っていてくれた。
「上杉さん、おかえり」
「いやいや、待たせてごめんねー」
不意に向けられた笑顔に思わずときめくが、それを感づかれないように席に着く。
俺がペペロンチーノを取り出すと、柏原も幾分小さめなお弁当箱を開けていただきます。なんて言ってる。
普段一人で食べる時はいただきますなんて言わないんだけど、 目の前で言われると俺が言わないのは何となく悪い気がしたので、俺もいただきますと一言。
それから二人で食べ始める。
何か話題はないかと思いながらペペロンチーノを巻いては食べているのだが、 柏原はずっとお弁当を凝視しながら黙々と食べている。
その様子を暫く見ていたのだけれど、ブロッコリーや人参を囓る口元が妙に色っぽく見えてしまって、 目のやりどころに困ってしまう。
「あ、あのっ」
「ん?なに?」
「そのお弁当って、親が作ってくれてるのか?」
「ううん。僕は一人暮らしだから、自分で用意してるよ」
「お弁当自力で作ってるのか、凄いな」
柏原が作ったお弁当か、食べてみたいな。
そんな事を思っている間にも、彼はお弁当を食べ終えて。
いや、ほんといつの間にそんな食べたんだって位速やかに食べ終わってるんだけど、ごちそうさま。 と言った後になにやら小さいノートを取り出してメモを書き込んでいる。
「柏原、そのノート何?」
「ああ、お弁当日記。お弁当のメニューとか味とかメモしてるんだ」
俺の問いに柏原は手を止めて、微笑んで答えてくれる。
だめだ、可愛い。
これで女の子だったら、良いお嫁さんになったんだろうけどな。
そう思いながらも何とか別の話題を引っ張り出して、暫く柏原と話を弾ませた。
内容としては趣味は何なのかとか、休日は何して過ごしてるのかとか、そんな話。
柏原は編み物や占いとか、趣味は色々あると言っていたけれど、ゲームも好きだって聞いて何となく親近感が湧いた。
俺も昔からゲームが好きだし、偶にゲームセンターに行ったりもしているからだ。
その直後に、彼の口から休日は彼女と過ごす事が多いという言葉が出て、少しだけショックを受けたりもしたけれど。
それからと言う物、俺は頻繁に柏原と一緒に昼飯を食べるようになった。
よく考えたら柏原に彼女が居たって何ら問題ないよな。俺達男同士だもんな。
今日も柏原と一緒に昼飯を食べようと声を掛けに行くと、他の同僚が柏原と話していた。
「あれ?武田、柏原になんか用あんの?」
「あ、上杉さん。上杉さんも一緒にお昼ご飯食べる?」
俺が声を掛けると、柏原がにこにこしながらそう言ったけれど、話していた同僚、 武田が柏原の両手を取ってこんな事を言う。
「いや~、俺、柏原と二人で昼飯食べたいな」
その言葉に妙な苛つきを覚え、思わず武田の事を睨み付けてしまう。
すると、それに気付いたのかはわからないが柏原が少し困ったような顔をして武田に返す。
「でも、上杉さんを仲間はずれにしちゃうのもちょっと……同僚なんだし」
その言葉を受けて、俺は柏原と武田の肩に手を乗せ精一杯の作り笑いを浮かべる。
「そうだよ武田。俺達は同僚……だろ?」
俺と武田の間で見えない火花が散る。
こいつと柏原をふたりきりにさせてなるものか。きっと武田もそう思っているのだろう。
けれどもそこまでの事は柏原は察せられないようで、オロオロしてしまっている。
段々沈んだ顔になっていく柏原を見て、俺と武田がはっとした。
「よし、三人で食べよう。良いよな上杉?」
「武田と柏原が良いなら良いぜ。どうする柏原?」
それでようやく柏原はほっとしたようで。
「うん。三人で食べよう」
と、三人で昼飯を食べる事になった。
そして昼飯を食べているわけなんだけども。
「おっ、そのお弁当手作り?」
「うん。大体夜の間に準備しちゃってるけど」
「柏原えらい。ん~、俺、こんなお嫁さん欲し~い」
「うん。頑張って探してね」
「自炊してるのに綺麗な手だよね。やっぱりお手入れしてるのか?」
「うん。結構ハンドクリームとか塗るよ」
「もしかしてお肌も手入れしてるのか?いつも綺麗だもんな」
「うん。結構ハンドクリームとか塗るよ」
くっそ、偶に柏原の回答がおかしい気はするけど、武田の奴遠慮無く口説きやがって。
俺だって出来たら口説きたいよ!
いや、なんで柏原を口説くとかそう言う話になるんだ。俺はもう少し落ち着いた方が良い。
口を挟めないまま武田が口説く様を眺めているうちに、柏原はお弁当を食べ終わって、いつものお弁当日記を付けている。
それから、俺達二人に、飲み物取ってくるねと言って給湯室に行ってしまった。
その間に、きのこのボロネーゼを噛みしめながら武田に言う。
「てめぇ……堂々と柏原の事口説きやがって」
「え?もう何度も一緒に昼飯食ってんのに口説いた様子がないから、興味無いのかと思ってたんだけどな~
ねぇねぇ、今どんな気持ち?」
「煽ってんのか?あ?」
「チキンがピヨピヨとなんでちゅか~?」
お互い牽制し合う事暫く、給湯室から柏原が出てきたので二人揃って柏原の方に手を振る。
すると柏原は、コップを三つ、それぞれの前に置いた。
「上杉さんはブラックコーヒーで、武田さんはミルクティーで良かったんだよね?」
「あ、ああ、ありがとう」
「柏原、俺がミルクティー好きなの覚えててくれたんだ。嬉しいなぁ~」
そんなこんなで、その日の昼休みは武田に一歩リードされて終わったのだった。
その日以来、俺と柏原と武田の三人で昼飯を食べる事が多くなった。
頻りに柏原の事を口説く武田を俺が牽制するという形になっているのだけれど、 そもそも柏原は口説かれていると言う事に気づいていないようだ。
今日も昼飯時に武田と水面下でバトルをして。珍しく定時で仕事が終わった。
定時で帰ると柏原が淹れてくれたコーヒーが飲めないから少し寂しいんだけど、 偶には自分の時間も大切にしないとな。
と、思ったら、柏原も定時上がりらしく帰り支度をしている。
この期を逃してはいけない気がした。
「柏原」
「ん?どうしたの?上杉さん」
「あの、良かったらこの後一緒にゲーセンでも行かないか?」
今思うと何故ゲームセンターをチョイスしたのだろう。カラオケとかなら二人きりになれたのに!
自分の提案に少しがっかりはしたが、柏原は一緒に行ってくれると言っているし、 悪くはない選択だったかもしれない。
柏原は残業組の人達にお茶を淹れてからね。と言って給湯室に行ってしまったが、 その隙に俺の背後に忍び寄り、肩に手を置く人物が。
「上杉く~ん、俺様ちゃんもゲーセン行きた~い」
武田だ。
付いてくるなと言いたい所だが、そう言っても引き下がらないだろうし、 口論になった所に柏原が来たらまた要らない心配を掛けてしまうので、 渋々同行を許可した。
そして繁華街にあるゲーセンで暫くゲームをプレイしていたのだけれど、俺と武田は息を切らせて壁に寄りかかっていた。
「あの、二人とも大丈夫?」
「だ、だいじょぶ……暫く休ませて……」
「柏原がほっぺたにちゅーしてくれたら大丈夫になる……」
「もう、武田さんってばまたそんな冗談言って」
何でこんな事になっているかというと、柏原がハマっているというゲームが全身を動かすゲームだった物で、 慣れていない俺と武田は息も絶え絶えになってしまったのだ。
柏原は何ともないような顔をしては居るが、やはり身体を動かしたので少し顔が火照っている。
上気した頬と微かな照明に照らされる唇、それから髪の毛の張り付いた首筋を見て形容しがたい衝動が押し寄せる。
もう男でも良い。俺の物にしたい。
そうは思ったけど、柏原には彼女が居るし、本人の意思だって有る。
きっと本人にはこの事を言えないんだろうなと、何となく切なくなった。
それから数ヶ月、俺と武田が牽制し合いながら柏原と過ごしていたのだが、年末に忘年会をやる事になった。
その時に柏原が女性社員の要望により女装をする事になったのだけれど、 あれはもう、なんて言えば良いんだろうな。
他の面々は酒が入って囃し立てていたけれど、俺と武田は逆に何も言えなくなって。
綺麗だよな。ってアイコンタクトを取って、初めて武田と乾杯をした。
忘年会から数週間。年も明け仕事が始まったわけなんだけど、どうにも柏原の様子がおかしい。
終業後、仕事が残っていても暫く席を外すようになったし、戻ってくると随分と気落ちした顔をしている。
残業職員に渡す飲み物も、緑茶だけになった。
もし何か悩み事が有るんだったら話してくれと、俺と武田は言うのだけれど、柏原は何でも無いの一点張り。
次第に業務時間中にもよく席を外すようになり、ついには会社を辞めてしまった。
「うっ……柏原……なんで会社辞めてしまったん……?」
「柏原ぁぁ……俺の側に居てくれよぉぉ……」
柏原が会社を辞めた後、武田と二人で飲みに行って、二人で柏原の事を惜しんだ。
一応俺達は柏原のメールアドレスを知っているけれど、何処に住んで居るかまでは知らない。
会いたいと言ってメールを送っても、辞めた会社の同僚に会いたいと思ってくれるだろうか。
その日は二人で潰れるほど飲んで、柏原への想いをただただ吐き出していた。
それから数年。俺も武田もその間に出会いがいくつも有ったけれど、誰と付き合う事もなく独り身で居た。
駄目なんだよ。下手にメールを送ると返信が来るだけに、記憶の中の柏原がとても綺麗で、 それ以上に魅力的な人が居なくて。
偶にメールで近況を聞くと、彼女や友人と会ったって言う話を聞くんだけど、 柏原に会える友人達が心底羨ましかった。
そんなある日の事、珍しく柏原の方からメールが来た。
もしかして、俺に会いたいとかそんな事だったりしないだろうか。
ついそんな期待を抱いてメールを開くと、久しぶりに会いたいけれど良いだろうかという確認と、 今度結婚式を挙げると言う旨が書かれていた。
俺と武田は、遂にこの日が来たかと言いながら、柏原の結婚式に参加した。
柏原の相手は、学生時代から付き合っていた彼女だという。
結婚式に参加して驚いたのは、仏前式と言う珍しい形態というのも有ったのだけれど、 柏原も花嫁衣装を着ていたのだ。
その姿が余りにも綺麗で、思わず涙ぐむ。
そうこうしている内に結婚式は終わって、柏原とその相手と、特に仲の良い友人や兄弟で集まって二次会に移った。
まぁ、二次会に行ってびっくりしたよ。 柏原の知り合いがバリエーションに富みすぎてて。
小説家に、お寺さんに、カメラマンに、弟さんがプログラマーと調理師だったかな?
驚いたけれど、それ以上に俺と武田も特に仲が良いって言われたのが嬉しくて、 二次会では柏原の友人達とメール交換なんかもして、楽しく過ごした。
二次会が終わって、柏原とお嫁さんを除いた面々で三次会に突入したのだが、今思うとあれは異様な光景だった気がする。
深夜カラオケボックスで、各々酒を飲みながら、歌も歌わずにしんみりとした雰囲気になっていた。
「うっうぇっ……こんな事なら柏原にちゃんと言えば良かった……」
「俺、柏原に相手にされてなかったのかなぁ……」
「うっ……ひぐっ……カナメさん……」
「カナメ~……何で俺を置いて結婚しちゃったんだよぉぉ……」
「うぐっ……やだよぉ……カナメ兄ちゃん……」
どうやら七人中、弟を含む五人が知らぬ間に柏原に振られていたと言う事になり、 お祝いムードは何処かへと行ってしまったのだった。