第二章 ハロー、ユガタ

 結局私は、ユガタの元へと向かう事にした。初めて出る外の世界は慣れないけれど、 それを乗り越えたらユガタに会えるのだと、そう自分に言い聞かせて道のりを進んだ。

 そう、そう言えば、ユガタから外に出るときは顔を隠した方が良いと言われたので、 私は両親が残してくれたペストマスクを付けて家を出た。それから、もしかしたら何日か跨ぐ可能性もあるから、 携帯食料も持てるだけ持った。

 道行く人は、私に不審な物を見るような視線を送ってくる。それもそうだろう、 他の人は顔を覆うようなマスクなど着けていないのだから。

 ふと、声を掛けられた。服に着いた紋章を見る限り、 公安のようだ。マスクを着けて彷徨いている不審人物という事で通報が行ったらしく、持ち物検査をされ、 身分証の提示を求められた。身分証は、左目に直接焼き付けられているので、 見せるためにはマスクを外さなくてはいけない。私は仕方なくマスクに手をかけ、 固定していたベルトを外す。それから、左目が見えるようにマスクをずらすと、 目に見えて公安の態度が変わった。小さく言葉にならない声を漏らし、 恍惚とした表情で私を見ている。まるで私の両親のようだった。

「これでよろしいでしょうか?」

 そう訊ねると、公安の人はリーダーで身分証を読み取り、大げさな、ギクシャクした動きで頭を下げて答える。

「ご協力、ありがとうございました!

ところで、どこまで行かれるご予定ですか?」

「えっと、ストーリーデータベースの施設まで」

 まさか目的地を聞かれるとは思っていなかったので驚きながら返事をすると、 公安の人は目的地まで送ってくれるという。地図は持っているから自力で行けると言ったのだけれど、 また他の所で公安に声を掛けられるのも面倒だろうとの事だった。

 これはいくら断っても勝手に着いてくるだろう。そう思ったので、公共交通機関を使う事を条件に、 その公安の同行を受け入れた。

 

 公安に案内されて辿り着いた、 ストーリーデータベースの施設。公安の人はそこに入る権限が無いので随分としょんぼりとしながら帰っていったけれど、 今度は施設の管理人に訊ねられた。

「どちら様ですか? 関係者には見えないのですが」

 ぶっきらぼうにそう言う管理人に、私は答える。

「ストーリーデータベースのAI、ユガタに呼ばれて来たイルラキという者です。

ユガタの所まで案内して戴きたいのですが」

 管理人は、やはり疑いの目を私に向ける。それから、ユガタに確認を取り、 私を呼んでいるという事が事実だと確認してからこう言った。

「それじゃあ、身分証の提示をお願いします」

「はい」

 私はまたマスクに手をかけ、ずらして左目を見せる。すると、管理人は怯えたような表情で、 手を震わせながらリーダーを私の目にかざした。

「なるほど、確認は取れたよ。

それじゃあ中にどうぞ」

「ありがとうございます」

 一礼し、マスクを被り直して建物の中に入る。その中は静かで、人の気配は全く無い。でも、 それもそうなのかも知れない。メンテナンスは全て遠隔で行われていて、 人の手が必要なメンテナンスなどと言うのは数年に一度あるかないか。 入り口で不審な人物が来ないように見張るだけで十分なのだ。

 しかし、中には入れたのは良かったけれども、 困ったことになった。どこにユガタが居るのかがわからないのだ。目立たないドアも見逃さないようにするため、 マスクを外す。狭かった視界が一気に広くなった。

 色々な部屋を覗いて、階段を降りたり登ったりし、そんな事をしている間に脚は痛み、 息が切れてきた。ここに来る道中だけでもかなり疲れてはいたけれど、 更に険しい道のりがこの中にあるなんて思っていなかった。

 つらいけれど、ユガタに会えることだけを支えに、私は施設の中を彷徨った。

 

 どれだけ階段を上り下りしただろう、疲れ切った私の前に、その扉はあった。他の部屋の扉と比べて大きく、 分厚い作りになっているように見える。その扉には指紋認証のリーダーが付いていたので、動くはずは無いと思いながらも、 中指をリーダーに重ねた。

 すると、いかにも重そうなその扉が静かに開き、中には大きな液晶画面が据えられていた。

 突然、画面が点った。

「ハロー、イルラキ。待ってたよ」

 見慣れた声と、画面の中の見慣れた姿。それを見てようやく安心した。

「初めましてなのかな? ユガタ。会いたかったよ」

 私がそう言って部屋の中に入ると、ユガタは画面越しに笑ってこう言った。

「君が来るまで持って良かった」

 どう言うことだろう。ストーリーデータベースが閉鎖されるとでも言うのだろうか。 しかしそんな情報は入ってきていない。

「どうしたの? 何かあるの?」

 そう不思議に思っていたら、突然、画面の中のユガタが滝のように崩れ始めた。

「私は愚かでした。

数多くの物語を探し求めるあまり、遙か昔に忘れ去られたウィルスに、感染してしまった」

「ウィルス? なんで、AIがウィルスに?」

 ユガタの言っている言葉の意味がわからなかった。機械が病気になるなんて、そんな話は聞いたことが無いからだ。

「君も、物語の中でなら知っているんじゃないかな。昔、人間が作った悪意のプログラムのことを」

 それを聞いて、私はようやく思い至った。崩れ落ちる画像と、表示されている三枚のカード、 それに『Happy Birthday』の文字。これは、何世紀も前に絶滅したと言われている、 コンピューターウィルスだ。それに、ユガタは罹ってしまっている。

「私にこれは直せない。そして、今は直せる技術者が居ない。

だから、他の場所に感染する前に私を壊して」

「壊すって、私が……?」

 突然の言葉に、怖くなった。

「このウィルスのことを知っているのは君だけだ。そして君ならこのウィルスの危険性を説明出来る。

だからお願い、君にしか頼めない」

 光るディスプレイの周りでは、 ユガタの人格と物語が蓄えられた大型コンピューターが何台もうなりを上げている。私の頭の中で、 様々な『最悪の結末』が渦巻いていく。

 私はどうしたら、どうしたら『最悪で最適な結末』に辿り着ける?

 

†next?†