第七章 都の官吏

 コンとピングォのやりとりは続く。コンの言葉だけがわかるというのは実に不可解だったけれども、わかるおかげでなんとなく話の筋を捉えることができた。ウィスタリアは手に持っていたフィドルのケースをルカに渡す。そうしていると、コンがふたりにこう言った。
「皇帝に取り次ぐんだったら、皇帝に会わせるのに相応しい何かの用意はあるのかってピングォが言ってる」
 それに対し、ウィスタリアはルカに渡したフィドルを指さして返す。
「おれ達に出来る事と言ったら、おれ達の国の音楽を演奏するくらいですけど」
「おっ、それは珍しくていいかも知れない。
やってみ?」
 ウィスタリアにもわかるその言葉を、やはりピングォも理解しているようだ。頷き、演奏をはじめるよう手で促している。
 不審そうな顔をしていたルカも、ここで変に反発して使命を果たせなくなるわけにはいかないと判断したのか、大人しくケースからフィドルを取り出す。
 ルカがフィドルと弓を構え、ゆっくりと演奏をはじめる。それに合わせてウィスタリアも低くよく通る声で歌う。いかにもシノワズリといった風情のこの部屋には似つかわしくない旋律とリズムだけれども、物珍しいものには慣れているのか、ピングォは目を閉じてじっと聴き入っている。
 演奏が終わると、ピングォは何度も頷いてから瞼を開き、上機嫌な様子でコンに話し掛けている。
 とりあえず悪い結果ではなさそうだ。そう思ってウィスタリアは安心する。一方、ルカはフィドルをもうしまっていいのか出したままのほうがいいのか決めかねているのか、コンとウィスタリアへ交互に視線を送っている。
 そうしていると、コンがにっと笑って二人に言った。
「異国の楽士として紹介しても良いってさ」
 それを聞いてひとまずほっとする。ふとルカの方を見ると、複雑そうな顔をしていた。きっと、自分は楽士ではないとでも思っているのだろう。
 なにはともあれ、皇帝への紹介をこぎつけられた。ここから先うまく行くかどうか、それはまだわからないけれども確実な一歩だ。

 皇帝に会うとき、コンが通訳をしてくれるというところまで話がまとまった後、しばらくコンを挟んでピングォと話をしていた。なんでも、ウィスタリアたちの祖国を聞いて、それならばと貿易のことについて訊ねたいというのだ。
 通訳のコンが言う。
「ここ数年、そちらの国で何があったのか教えて欲しいだって」
「何が? っていうのは?」
 ウィスタリアが訊ね返すと、なんでもここ数年で急にウィスタリアたちの国の貿易のやり方が変わったのだという。ピングォが把握している限りではここ四年ほどの変化らしいのだけれども、海を渡る時間のことを考えると、大本の変化は五年から七年ほど前に起きているだろうとのことだ。
 貿易といえば、ウィスタリアが告解をし、現在所属している修道院への導きをしてくれた神父様がいる、最後にオペラの公演で訪れたあの街が港町だったはず。あの街には何人もの貿易商が住んでいて、その中の一人はウィスタリアも話したことがある。ウィスタリアが知っているのは、あの街で一番の大手の貿易商だ。何か変化があったというのであればその貿易商がやり方を変えたと考えるのが自然だ。だけれども、ピングォが言っている五年から七年前にはあの街を去ってしまっているので、実際のところどうなのかはわからない。そして当然のように、ルカは貿易のことなど知るはずもないのだ。
 その辺りのことを総合して、ウィスタリアが答える。
「ちょっとわかんないですね」
「お前正直だな」
 普通ならここでなにかしら取り繕うようなことを言う場合が多いのか、コンは拍子抜けした様子。けれどもウィスタリアの言葉をそのままピングォに伝えると、ピングォは溜息をついて眉間を押さえた。
「そんなに深刻な何かが起こっているのでしょうかね……?」
「どうなんでしょう……おれ貿易のこと全然わかんない……」
「私も……」
 ふたりが戸惑っている間にも、ピングォのなかで整理が付いたのか、顔を上げて女中に声を掛けている。
 一体何事だろうと思っていると、コンがこう言った。
「折角だからお茶に付き合っていけだってさ。
おやつも沢山用意するって」
 その言葉に、ふたりの顔がぱっと明るくなる。ルカはすっかりこの国のお茶が気に入ってしまっていたし、ウィスタリアもコンが作る料理から推測するに、きっとおやつもおいしいのだろうと思ったのだ。
 ピングォが口元を手で隠しながら笑う。コンがそれを通訳するには、出来合いのお菓子しかないけれど。とのことだけれども、それはそれでウィスタリアもルカも気になって仕方がない。
 早速茶席に移動すると言うことで、ピングォとコンに案内され、ふたりはその部屋を出た。

 茶席でまた一曲所望されはしたけれども、ゆっくりとおいしいお茶と初めて見る甘いお菓子を食べたふたりは、また皇帝に会うまでコンの世話になるということで都を出てコンの家に帰って来た。
 砂漠を旅していたときに比べれば、都と山の往復くらいたいしたことはない。目的地に続いているとはっきりわかる道があるから、気分的に楽なのだ。
 ここ数週間で馴染んでしまったコンの家の椅子に座ってウィスタリアが落ち着いていると、隣でルカが鋭い視線をコンに向けている。
 それに気づいたコンが訊ねる。
「どうした?」
 不思議そうな顔をしたコンに、ルカが厳しい声でこう言った。
「コン、あなたは一体何者なのですか」

 

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