第十一章 帰る道

 そうして一年が過ぎた。結局コンの兄は帰ってきていないけれども、情に引かれていつまでもチャイナに留まることはできない。ウィスタリアとルカは、準備を整えてコンの家を出る日を迎えた。
「それじゃあ、これでもうさよならだな」
 そう言って、強がっているけれども涙目になっているコンに、ふたりはなかなか言葉を返せない。
 少しの間黙り込んで、ウィスタリアがようやく口を開く。
「きっともう会えないけど、忘れませんから」
 コンの目から涙が一粒落ちる。それを見ない振りして、ふたりは別れの言葉をつげて背を向ける。
 山を下りたあたりでウィスタリアがルカの様子を見ると、ルカの目にも涙が滲んでいた。

 チャイナを出て、行きと同じようにだんだんと砂漠に入ってくる。陽の出る昼と冷える夜は休憩をして、夜明け頃と夕暮れ時に、少しずつ砂漠を進む。
 一年と少し前に通った崖の切り立つ場所に差し掛かり、ウィスタリアはあの悪魔の洞窟のことを思い出した。
「ルカ、あの、悪魔の洞窟を覚えてる?」
「え? はい。あのおそろしい絵は忘れられません」
「あそこを通るようなら、もう一度入ってみましょう」
 ウィスタリアの言葉に、ルカは驚きを見せる。渋い顔をして、なぜまたあの洞窟に行きたいのだと言うルカに、ウィスタリアはこう答える。
「あの洞窟の悪魔も、本当はコンみたいにいいやつかもしれない」
 それを聞いたルカは、少し考える素振りをして、自分たちが歩いてきた道を振り返って、それからはにかんで言う。
「そうかもしれませんね」
 その日、日が沈み冷え初める前にまたあの洞窟まで辿り着けたので、ふたりは改めてその中にはいる。
 朝日に絵が照らされたら、もう一度悪魔の姿を見てもいいかも知れないと思いながら眠りについた。

 それからまた、ふたりは時間をかけてゆっくりと帰路を歩く。砂漠の道のりは厳しかったけれども、砂漠を抜けてしまえば人里も多く見掛けるようになるし、何日も宿がないということも無いので、祖国に近づけば近づくほど、道のりは楽になっていった。
 周りで聞こえる言葉も、次第に自分たちの知っているものが増えてくる。そしてついには、おなじ言葉を話す人が住む場所へと辿り着いた。
 帰ってきたのだ。その実感は、ウィスタリアのことを安心させると同時に、永劫の別れを思い出させた。このまま修道院に帰り着いてしまえば、本当に、もう二度とコンに会うことはない。共に過ごした一年間をもう一度繰り返すことは無い。
 来た道を振り返る。チャイナは、コンの家は、もう遙か遠くで、様子を窺うことなど出来ようはずもなかった。
 そうしてふたりは修道院に辿り着く。コンから受け取った冬虫夏草を司教様に渡したら、旅は終わりだ。これからまた以前のように、毎日祈りをあげ、自らに与えられた仕事をこなす日々が再開する。
 司教様に冬虫夏草を渡し部屋から出ると、どうしようもない喪失感がウィスタリアを襲い、涙が零れてきた。
 ルカが指で涙を拭って言う。
「大丈夫です。空は彼のところまで続いているのです。
ずっとおなじ空の下にいるのです。だから……」
「……うん」
 長かったはずの旅が、妙に短く感じられる。それはきっと、遠方で出会った友人との思い出のせいだろう。

 

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