猫神様を祀る神殿。そこに神官長である少女は住んでいた。
彼女を守るのは、彼女直々に選んだ一人の男兵士。
神官長に呼ばれた彼は、緊張した面持ちで彼女の部屋へと入る。
「ミエ様、何か御用でしょうか?」
彼の声を聞いて、彼女、ミエが駆け寄ってくる。
「良く来てくれました。
あの、私、セイタさんに伝えたい事があって……」
俯いてもじもじしているミエを見て、セイタと呼ばれた兵士は戸惑いを隠せない。
伝えたい事というのは何なのだろう。
そう思いながらも、自分から訊ねる事も出来ずじっとミエの言葉を待っていたら、彼女が意を決した様にこう言った。
「私、セイタさんの事が好きなんです!」
それを聞いたセイタは思わず身を固める。
決してミエの事が嫌いな訳では無い。
神官長で有りながらも可憐さと儚さ持ち、それと同時に芯の強さを持ったミエに対して、セイタ本人も好意を持っている。
けれどもセイタはミエに選ばれたとは言え一介の兵士でしかなく、ミエとは越えられない壁の様な身分差が有るのだ。
「そうおっしゃいましても、俺とミエ様では身分差が……」
「では、身分差が無かったら、私の気持ちを受け入れて下さいますか?」
「そうですね、身分差が無ければ。
しかし、身分差が有るのが現実でございます」
そこまで言ってセイタははっとする。
自分の不用意な言葉で、ミエが神官長を降りるのでは無いかと言う不安が湧いてきたのだ。
ミエは分別が有り、他の神官や街の人々を統べる事が出来る立派な神官だ。
けれども、如何に大人に引けを取らない事が出来ようとも、未だ激情に身を任せる事もあり得る年頃だ。
それに、セイタとしては神官で有るからと言ってミエへの好意が消える訳では無いのだ。
「俺としてもミエ様への好意は有ります。
けれども、それは周りが許さないでしょう」
セイタの言葉に、ミエは声を震わせてこう言う。
「そう……ですよね。
では、私とセイタさんの二人だけの秘密で。
他の人には知られない様に。
それなら、気持ちを受け取って下さいますか?」
「秘密にするのと、それと」
「それと?」
「俺の気持ちを受け取って下さるなら」
じっとミエの瞳を見つめるセイタに、ミエは力一杯抱きついた。
その日から、何度も二人は警護という名目の元、ミエの部屋で語り合う事が何度も有った。
「所でミエ様」
「なんですか?」
「前から気になっていたのですが、なんで俺なんですか?
他にも頼りになりそうな男は沢山居るのに」
その問いに、ミエはクスクスと笑って答える。
「何ででしょう。
気がついたら貴方を目で追う様になっていて、それで他の人から話を聞いていたら、 家族を凄く大切にしてるって話を聞いて。
素敵な人だなって思ったのは、その話を聞いてからですね」
はたとセイタは思い出した。
ミエは幼い頃から神官になるべく家族から引き離されて育ったのだと言う事を。
ミエが寂しい思いをしたのかどうかはわからないが、きっと家族という物がどういう物なのかを知らないからこそ、 憧れめいた物を抱えているのかもしれない。
「セイタさんのご家族に会ってみたいです」
「そうですか。
それでは、いつかお忍びで会いに行ってみますか?」
「本当ですか?楽しみです!」
無邪気に喜ぶミエに、セイタも笑顔を返したのだった。
ある日の事、兵士の仕事の給料として渡された穀物や乾燥果物を渡されたセイタは休みを取り、 それらを持って自宅へと帰っていた。
家に居るのは、脚を悪くした父親と、その面倒を見る母親。それにせわしなく家事をする妹が二人だ。
「お兄ちゃんお帰り!」
早速出迎えたのは一番下の妹、シェリティ。
家の中に入ると掃除をしていたとおぼしき真ん中の妹、ネテプが箒を片付けている所だった。
「お帰り兄さん。
お父さんとお母さんは奥に居るよ」
「ああ、取り敢えず、台所にこれ置いてから奥に行くよ」
大きな袋いっぱいに詰まった食料を台所に置くと、早速シェリティが仕分けを始める。
「お兄ちゃん、ちょっと貰えるお給料増えた?」
「ああ、ミエ様のお付きになったから、少し昇給した」
シェリティとセイタの会話を聞いていたネテプが、セイタの事を小突いて言う。
「お付きになったのは良いけど、みっともない所見られない様にしてね」
「お前俺が神殿でどんな目で見られてると思ってん?」
「んふふ、冗談だって。
でも、兄さんって肝心な所で手を抜く癖があるからそれは心配かな」
「自覚はあるから善処する」
そんな話をしている間に、奥の部屋から母親と父親が出てきた。
ミエ様のお付きになるとは光栄な事だなぁ。と素直に喜ぶ両親。
両親と、掃除の終わったネテプと、セイタの四人で話をしている間にも、シェリティは早速乾燥果物で簡単なおやつを作り、 出来上がった物を家族揃って尽きる事のない話と共に食べたのだった。
そしてその日の夕食を家で食べたセイタは、すぐに兵舎へと戻った。
ミエのお付きとなった以上、余り神殿の外に居る訳には行かなくなったのだ。
もう寝ているかもしれないと思いながらミエの部屋へと行くと、部屋の前には代わりの兵士が立っている。
「お勤めご苦労様です」
「これはセイタさん。もう戻っていたんですね。
何だかミエ様の元気が無い様なので、様子を見てくれませんか?」
「ミエ様が?
わかりました。失礼します」
軽く挨拶をしてミエの部屋に入ると、寝床の上で入り口に背を向けて丸まっているミエが居た。
「どうなさいました?」
寝ているかもしれないと思いながらも声をかけると、ミエがセイタに少し涙の浮かんだ瞳を向けた。
「今日は、ご実家に泊まってくるのでは無かったのですか?」
「いえ、ミエ様のお付きになった以上、余り長い事神殿から離れるのは良くないと思って、 夕食を食べたらすぐに戻って参りました」
セイタの答えに、ミエはむくりと起き上がり、目を擦る。
それを見て、セイタが問いかける。
「もしかして、俺が居なくて寂しかったんですか?」
ミエは黙って頷く。
暫くそのまま二人とも黙っていたのだが、ふとミエがこう言った。
「こういう時は、頭を撫でたり抱きしめたりしてくれる物なのではないのですか?」
その言葉に、セイタは顔が熱くなるのを感じながら答える。
「そうはおっしゃいましても、やはり神官長であるミエ様に触れるのは畏れ多いというか……」
「やっぱり、私の事は神官長としてしか見られないのですか?」
少し拗ねたような声を出すミエに、セイタはしどろもどろになりながら言葉を重ねる。
「いえ、その、そう言う訳では無いのですが、友人一同からヘタレと呼ばれている俺としては、ミエ様が神官長で無くても、 女性と言うだけで、その……」
「妹さんが二人も居るのにですか?」
「あの、二人も居るから、余計に……」
俯いて狼狽えるセイタの胸にこつんと何かが当たる。
「もう少し勇気を出して下さい」
セイタの胸に額を当てたミエは、そう言って抱きついた。