セイタが牢の中で過ごす事暫く。
日々自分はいつ家族とミエの元へ行けるのかと、それとも行けないのかと、その事ばかりを考えていた。
そんなある日の事、投獄されてから何日経ったかもわからない日に、セイタは牢の外へと出された。
手には枷を填められ、身体には縄を巻かれ、神殿の兵士に連れられて街の外へと出た。
……ああ、あそこか。
ぼんやりとセイタが思い浮かべたのは、戦の後に、始末するべき捕虜を処刑する為に使っていた崖。
その崖はとても深く、底が見えず、まさに深淵だった。
今までその崖の縁に立つ時は処刑する側だったのだが、それでも尚恐怖を感じる様な崖だ。
自分は深淵に飲まれて消えるのだろう。何とも無しにそう思った。
ミエが言っていた『いつか』
生まれ変われば『いつか』はきっとやってくる。
そうミエは言っていたけれど、あの深淵に飲み込まれたら生まれ変わる事すら出来ないのではないかと思う。
けれども、セイタにはもう生きている意味すら見当たらなかった。
それならいっそ、深淵に飲まれて消えてしまった方が楽なのかもしれないと、崖に向かう道中考えていた。
ふと、セイタを連れている兵士の内の一人が声をかけてきた。
お前、あの崖苦手なのに気の毒になぁ。と。
よく見ると、その兵士は兵舎で何度か一緒に食事をした事の有る男だった。
そんなに親しかった訳でも無い。けれども、自分の事を覚えていてくれる人が居るのかと少し安心すると同時に、 彼の心を少しでも翳らせてしまったらと言う不安を感じた。
その兵士に、ぽつりと呟く。
「俺、ミエ様と約束したんです」
「何を?」
「俺の家族紹介するって……」
すると兵士は、セイタの背中を軽く叩いて言った。
「お前の家族も、ミエ様も、みんな先に亡くなったけどさ、お前ももうすぐ死ぬし、百年経ったら皆居ないんだぜ?
でも、回り回ってまた会えるって俺は思う。
次のお前は上手くやれよな」
「……ありがとう……」
兵士の言葉にセイタが涙を零すと、こう言葉の続きが来た。
「あと、出来ればいつかオレも仲良しの輪に入れてくれよな」
「いつか?」
「いつか」
「『いつか』って、いつだろうな……」
「わかんないけど、オレも遅かれ早かれ死ぬし、次のオレに上手くやって貰うよ」
「そうか」
それっきり、言葉が途絶えた。
風の吹く音と足音だけが響く。
処刑地の崖まで、後一日かかるだろうという所での出来事だった。
それから、休憩を入れつつ歩く事一日。
処刑地である崖に辿り着いた。
セイタは勿論、他の兵士達も崖を覗き込もうとはしない。
誰も皆、これから深淵に飲まれるセイタの事を哀れがった。
「やるんだったらひと思いにやって下さいよ。
俺、自分でこの中に飛び込むだけの度胸は無いですよ?」
ふと誰かが言った。
「お前、ここで解放してやるから、他の街でひっそりと暮らしたらどうだ?」
「そうだよ。お前は何も悪い事してないし、お前がここで死ぬのは亡くなった家族だって望んでないだろ?」
ここまで来て恩情をかけられても辛いだけだ。
罪人とされたものの、元は自分達と同じ兵士だったセイタを手にかけるのは気が引ける様子。
「今更そんな事言われても、生殺しじゃないですか。
俺、もう何も残ってないんですよ?
俺だけ生きててもどうしようも無いんですよ?」
そう言って自ら崖の縁に歩み寄るが、やはり飛び降りる勇気が無い。
暫く崖の縁で震えていたら、誰かが隣に立った。
昨日、『いつか』を約束した兵士だ。
彼がセイタに問う。
「オレとの『いつか』とミエ様との『いつか』、どっちを取る?」
それにセイタは一言だけ答える。
「……ごめん……」
それを聞いた兵士は、セイタの肩に手を置いて確認する様に言う。
「ミエ様と、家族の所に行くんだな?」
セイタは黙って頷く。
「わかった。
行ってこい!」
そう言って兵士は、セイタの背中を思いっきり突き飛ばした。
崖から谷底へと落ちる間、耐えがたい程の恐怖がセイタを襲う。
二度とこんな思いはしたくない。
けれどもその恐怖の後、不思議と過去の事を思い出していた。
幸せに過ごしていた幼少期。
妹が二人になり、自分も家計の助けになれる様に兵士になった時の事。
裕福では無いけれど、暖かかった家族の事。
その家族をミエに会わせると約束した事。
そして、ミエを抱きしめた時の感触。
そんな柔らかく輝かしい日々を思い出している内に目の前は暗くなり、痛みも感じず暖かい物に包まれる感触がした。
自分が生きているのか、死んでいるのか、わからないままに意識を失った。