第六章 また会いましょう

 難関である御茶ノ水駅をなんとか乗り越え、 悠希と蓮田は無事に神保町に辿り着くことが出来た。通り沿いに軒を連ねる古書店以外にも、 大型書店や画材屋も見て回る。店頭に並ぶいろいろな本を見ては手に取る蓮田だが、 特に珍しかったのは画材のようだ。見たことも無い素材の筆に、初めて見る紙、それから、 チューブの絵の具も初めて見る物だったようだ。

「すごいねぇ。東京には、いろんな物が有るんだね」

 珍しい物を見掛ける度に、蓮田はそう言う。画材屋で見掛けた石膏像が気に入ったようで、小さい物を購入した。

 いろいろな店を巡っているうちに、段々と日が傾いてきて、語主との待ち合わせ時刻になった。待ち合わせ場所は、 大型書店の側に有る画材屋の前。いましがた悠希と蓮田が覗いていた店の前だ。

 悠希が携帯電話を取りだして、時間を見ると、待ち合わせの時間を少し過ぎている。語主はまだ来ていないが、 きっと、仕事が詰まっていてなかなか職場を抜け出せないのだろう。

「悠希君、お腹空いたね」

「そうですね。

蓮田さんは、この後語主さんと一緒に食事をするんですよね?」

「うん、そうだよ。語主と悠希君が良いと言うなら、またみんなでご飯を食べたいけどねぇ」

 なつっこい笑みを浮かべる蓮田に、悠希も笑みを返す。そうしていると、大通りの方から語主が歩いてやって来た。

「新橋先生、お待たせしました」

「あ、語主さん。お疲れ様です」

 語主と悠希が軽く挨拶をして、それから蓮田が語り主に訊ねる。

「語主、この後晩ごはんなのだろう? できれば、悠希君も一緒が良いのだけど……」

 その言葉に、語主は予想通りという顔をして返す。

「俺は構わないぞ。

新橋先生、よろしければ夕食も一緒にどうですか?」

「はい、それじゃあお言葉に甘えさせていただきますね」

 そうして三人で夕食を食べに行って、食事の間、今日はどんなところを回ってきたのかという話に花を咲かせる。結局、 今日回れたのは亀戸と神保町だけなのだが、蓮田がゆっくりと物を見ていくたちなので、 ゆっくりと回れたのは良かっただろう。

 三人で食事をして居る間、蓮田は頻りに、藤の花とくず餅の話をしていた。

 

 夕食後、悠希は実家へと向かった。実家に預けている鎌谷を引き取りに行かないといけないし、 なによりも二日間だけとは言え、鎌谷に会えないで居たのが寂しかったので、早く会いたかった。

 悠希の実家は、神保町から電車で一本の所に有る。快速は止まらないけれども、電車もバスもそれなりに本数が多くて、 利便性の高いところだ。会社帰りの人達に揉まれながら電車に乗り、実家最寄り駅で降りる。それから、 寄り道をせずに真っ直ぐ実家へと向かった。

 

 実家に着くと、両親と鎌谷が出迎えてくれて、今住んでいるアパートに戻る前に、 居間でひと休みしていく事にした。居間のテレビは点いておらず、 父親のノートパソコンからクラシック音楽が流れている。

 そんないつも通りの日常に戻って、ああ本当に、蓮田と過ごせたのは、昔縁を結んだ友人と過ごせたのは、 僅かな時間だったのだなと、そう思った。

 

 鎌谷を連れアパートに戻った悠希は、荷物を置いて部屋着へと着替える。着替え終わってから、 鎌谷を膝に乗せてこう訊ねた。

「鎌谷君、僕が居ない間どうだった?」

「あー、知らない人と旅行に行ってるなんて心配だって頻りに言われたな」

「あ、うん。大体言いそうなのは誰か察しは付くよ……」

 それから、鎌谷の手を揉んだり、お腹を揉んだりと、せわしなく鎌谷に触る。過去にも何度か、 鎌谷を置いて悠希が外泊をすると言うことは有ったのだが、帰ってくると毎回決まったように、 こうやってスキンシップを取っているのだ。

 ふと、鎌谷が悠希に言った。

「おまえさぁ。いつまでもは俺とこうしてられないんだからな?」

「うん。そうだけど、今はまだここに居るでしょ?」

「そうだけどさ」

 お腹を揉んでいる悠希の手に鎌谷が肉球を押しつけると、悠希が寂しそうに言う。

「でも、そのいつかは来ないで欲しいな」

 鎌谷は、悠希が生まれた頃から一緒に育った。いくら宇宙犬で寿命が長いとは言え、人間ほどでは無い。

「俺犬だからしょうがないだろ」

 抱きしめる力を強くした悠希に、鎌谷は宥めるように言う。

「お前はさ、俺以外にもいっぱい友達居るんだから。そいつらも頼るんだぞ」

「……うん」

 しんみりとした空気のなか、突然悠希の携帯電話が鳴り始めた。なにかと思って開くと、メールを着信したようだった。

 こんな時間に誰からだろうと思いメールを開くと、 発信元は蓮田だった。今までスマートフォンを持っていたは良い物のメールを打ったことが無い、 そう言っていたはずだけれども、内容を見ると、今回東京旅行で悠希に会えた記念に、 語主に教えて貰いながらメールを打ったと、そう書いてあった。

 それを見て、悠希の目が潤む。こうやって自分を気にかけてくれる友人が居るのなら、鎌谷が言う『いつか』が来ても、 乗り越えられる気がしたのだ。

「鎌谷君、ちょっとメール返信していい?」

「おう、早めに返してやんな」

 心なしか安心したような鎌谷の声を聞いて、悠希は蓮田に返信メールを打った。

 

 それから数ヶ月後。悠希はさりげなくSNSで蓮田にフォローされているのに気づいたが、それはそれとして、 メールでやりとりをするようになった。メールでやりとりするだけでなく、蓮田はたまに東京に来たりもしているようで、 悠希の都合が付く時は会うこともあった。

 蓮田は、何度東京に来ても慣れると言う事はないようで、会う度にいつも、どんな物を見ただとか、 どんな物を食べただとか、そんな話を悠希に聞かせていた。

 あるときのこと、ふと蓮田が悠希に言った。

「悠希君。私も、悠希君の友達に会ってみたいなぁ」

 そういえば、蓮田からは語主以外の友人の話は聞かないな。そう思った悠希は、少しだけ考えて答える。

「そうですね。僕も蓮田さんに会わせたい友達が居ますけど、みんな仕事や家のことが忙しくて、難しいんですよね」

「そうなのかい?」

 悠希の返事に蓮田は少し寂しそうな顔をする。それに対し、悠希は続けて言った。

「だから、みんなが落ち着いた頃に、声を掛けて蓮田さんの所に行きたいです」

 それを聞いて、蓮田は笑顔になる。

「ああ、ああ。是非とも私の所へ来ておくれ。

たいそうなおもてなしはできないけれども」

「本当に行けるかどうかはわかりませんけど、その時はお願いします」

「もちろんだよ。

ああ、その時が楽しみだねぇ」

 無邪気に喜ぶ蓮田を見て、その時が来るのはどれほど先のことなのか、もしかしたら数十年先かも知れないと思ったが、 蓮田からすれば数十年はそれほど長い時間では無いだろう。ちゃんとその時を迎えられるように準備をしようと、 悠希は心に決めた。

 

†fin.†